【人文学部クロストーク&教員コラム】人文学部教員コラム5 コミュニケーションツールとしての歌 万葉集の半分は恋の歌♪ 2023.07.31 人文学部宗教学科国文学国語学科歴史文化学科心理学科社会教育学科社会福祉学科 # 人文学部クロストーク&教員コラム

国文学国語学科講師・大谷歩

夏バテに効くウナギをどうぞ!?

 私が研究しているのは、日本現存最古の歌集『万葉集』です。収録されているのは、飛鳥・奈良時代の歌々です。古典文学、しかも和歌。きっと難しくてマジメな歌ばかりなのだろう、というイメージをお持ちの方も多いと思います。ですが、『万葉集』は案外ユーモアに溢れています。まずは次の歌をご覧ください。

石麻呂(いわまろ)に われ物申す 夏痩せに 良しといふ物そ 鰻(むなぎ)取り食(め)せ

(巻16・3853番歌)

——石麻呂さんに私は申し上げたい! 夏バテに効くというものですよ、鰻を獲って召し上がってください。

 この歌は、『万葉集』の巻16に収録されている、大伴家持(おおとものやかもち)の歌です。大伴家持は『万葉集』の編さんに関わった人物です。家持は石麻呂(=吉田老)という人物に、夏バテに効くウナギを食べることをオススメしています。1300年前からウナギは栄養満点で精のつく魚であることが知られていたのです。『万葉集』には、当時の人びとの生活を知る手がかりも多く残されています。
 この歌の注記によると、石麻呂はひどく痩せていて、食べても食べても餓鬼のように痩せていたそうです。この石麻呂と家持がどのような関係にあったかは不明ですが、家持はきっと石麻呂の痩せ具合を見て、ウナギで精をつけてほしいと思ったのでしょう。 家持さん、いい人ですね。では、さきほどの歌の次に載っている歌をご覧ください。

痩す痩すも 生けらばあらむを はたやはた 鰻を取ると 川に流るな

(巻16・3854番歌)

——痩せに痩せていても生きていられたらまだ良いでしょうに。そうはいっても鰻を獲ろうとして川に流されないでくださいね(痩せていて体が軽いのだから…)。

 この歌では、鰻を獲ろうとして川に流されないようにと、痩せていて体が軽いことをイジっています。現代では他者の身体的特徴を笑いの対象にすることはもちろん控えるべきですが、1300年前の作品ですのでお許しください。
 この二首には、「痩せたる人を嗤咲(わら)へる歌二首」という題詞(作品のタイトル)が付けられています。すなわち、はじめから「痩せたる人」=石麻呂を笑いの対象とすることが意図されていた作品でした。現代であれば誹謗中傷、まことにけしからん歌という評価になってしまうかもしれません。しかし、これを芸人の漫才やコントのようなものだと捉えてみるとどうでしょうか。相方に対する痛烈な悪口や揶揄は、漫才やコントという場であるから許容されるものです。家持のように他者をからかう歌は、そのような歌をうたうことが許された場であったと推測されます。
 残念ながら石麻呂の反論の歌は残されていませんが、たとえば同じ巻16の宴席における作と考えられる歌の中には、互いに相手の悪口を言い合う歌合戦のような一幕が記録されています。このような歌は、互いに了解された上でうたわれたものだったのではないかと私は考えています。そうでなければ、『万葉集』を編さんした大伴家持は、ただただ他人をからかった悪意に満ちた自分の歌を採録したことになってしまいます。

『万葉集』古活字版 無訓本(天理大学附属天理図書館所蔵)

 歌は、それ単体で存在しているのではありません。歌が詠まれた場や受け取る相手がいるものです。なによりも見落としがちなのは、この歌をうたったのは私たちと同じ人間であるということです。「古典」という枠組みによって、遠い昔の、自分たちとはおよそ価値観も感覚も異なる人びとが詠んだり書いたりしたコトバだと、無意識に壁を作ってはいないでしょうか。もちろん、時代や社会構造が異なることによる違いはあります。でも、楽しいことがあったら大声で笑い、好きな人にフラれたら絶望して落ち込み、愛する家族が亡くなって号泣し悲嘆するのは、万葉びとたちも現代の私たちも同じです。
 『万葉集』は古典ですが、そこには1300年前に確実に生きていた生身の人間の痕跡があります。その痕跡を言葉をとおして探究し、人間の歩んできた心の歴史を考えるのが文学研究だと思います。

雪をめぐる夫婦の歌

 『万葉集』は20巻で約4500首ありますが、その半分は恋の歌です。次の歌は、飛鳥時代の天武天皇とその妻の一人(古代の天皇は妻が複数いました)である藤原夫人の贈答歌です。

   天皇の藤原夫人に賜へる御歌一首
わが里に大雪降れり大原の古りにし里に落(ふ)らまくは後(のち)

(巻2・103番歌)

——わが飛鳥の里には大雪が降っているぞ! お前のいる大原の古びた田舎に降るのは、もっと後だろうね。

 この歌が詠まれた年月は不明ですが、天武天皇は在位673~686年ですのでその間の歌と考えられます。天武天皇は、飛鳥に降った大雪にはしゃいでいます。というのも、当時雪は瑞祥(良いことがおこる前兆)と考えられたからです。とはいえ、少々こどもっぽい印象を受けるのは、心を許した妻へあてた歌だからでしょうか。

【飛鳥宮跡】撮影:筆者

 この時、藤原夫人は大原の里にいました。藤原夫人は中臣(藤原)鎌足の娘で、大原の里は鎌足が誕生したという伝説がある土地です。その藤原夫人が応えたのが次の歌です。

   藤原夫人の和(こた)へ奉れる歌一首
わが岡の龗(おかみ)に言ひて降らしめし雪の摧(くだ)けし其処(そこ)に散りけむ

(巻2・104番歌)

——いえいえ、わたくしがこの岡の竜神に言いつけて降らせた雪のくだけたかけらが、そちらの里にちらついて降っているのでございましょう。

【大原の里】撮影:筆者

 藤原夫人は反論します。その雪は、自分が竜神に命じて降らせた雪で、そんなことも知らずお喜びになってまあ無邪気なこと——とまでは彼女は言っていませんが、言外にそのような声が聞こえてきそうな歌です。夫とはいえ、天皇に対してやや生意気とも思える内容ですが、このことによって彼女が無礼者と叱責されることはなかったでしょう。それは、この二人の居た位置関係にヒントがあります。
 天武天皇の宮は飛鳥浄御原宮、現在の史跡飛鳥宮跡(明日香村岡)です。一方、大原の里は、現在の明日香村小原周辺です(小原には、鎌足の産湯の水を取ったという伝説のある井戸が大原神社の裏手にあります)。同じ明日香村内ですが、ぜひ地図でこの二地点の距離を確かめてみて下さい。約1km、歩いて15~20分ほどの場所です。

飛鳥宮跡と大原の里の位置関係図

 歌だけをみていると、天武天皇と藤原夫人は遠い場所にいるように錯覚してしまいますが、そもそも天武天皇の「大原の古りにし里」という表現自体が戯れであったことがわかります。その戯れを藤原夫人も了解し、戯れでお返ししたのです。歌でじゃれあっている仲のよい夫婦の笑い声が、聞こえてきそうです。

 天理大学がある奈良県は、『万葉集』に詠まれている土地があちらこちらにあります。明日香村に行けば、天武天皇と藤原夫人がいた場所を実際に歩いてみて、どれくらい近いのかを実感することができます。机の上で勉強するだけでなく、ぜひ古代の世界を体感しに出かけましょう。文字だけではわからなかった発見が、きっとあるはずです。

もっと知りたい人のために

  • 中西進『万葉集 全訳注原文付』1~4、別巻[万葉集事典](講談社文庫、1978~1985年)
  • 大谷歩『万葉集の恋と語りの文芸史』(笠間書院、2016年)
  • 井上さやか監修『マンガで楽しむ古典 万葉集』(ナツメ社、2016年)
  • 上野誠ほか 編『万葉集の基礎知識』(KADOKAWA、2021年)

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