【人文学部クロストーク&教員コラム】天理教史へのアプローチ —歴史学的視点がもたらすもの— 2023.06.13 人文学部宗教学科国文学国語学科歴史文化学科心理学科社会教育学科社会福祉学科 # 人文学部クロストーク&教員コラム

歴史文化学科教授・幡鎌一弘×宗教学科准教授・澤井治郎

教えを理解するためには、歴史的な視点が必須

(幡鎌) 澤井さんは、今年『「おさしづ」に道を求めて』を上梓されました。おめでとうございます。早速読ませていただきました。『グローカル天理』で連載していたのはよく知っていましたが、通読してみて、初めてわかってきたこともあります。

 天理教の信仰でしばしば用いられる「道」という言葉を丁寧に分析していますね。教会本部が設置され教会制度が整備されるにつれて、「神の道」が強調されていったと指摘はなるほどと思いました。天理教学の立場で書かれているのですが、時間軸に沿って分析されたのは、歴史学的だと思いました。

(澤井) ありがとうございます。「おさしづ」を理解するには、その背景を知らなければならないとよく言われます。原典の言葉は「神の言葉」ですが、それは特定の時と場において語られたものです。それを理解するために歴史的な視点は必須だと思います。

 本をまとめてみて、「道」の教えが説かれる背景に、教会制度の発展が大きく関係していることが分かりました。教えを理解するためには、天理教史、教会史も学ぶことが必要だと再認識しています。

『「おさしづ」に道を求めて』澤井治郎著

(幡鎌) いや、その話を聞くと、歴史文化学科にスカウトしたくなりますね。
 天理教史を研究する前提にある「教え」は、普遍的な価値あるものですよね。普遍的なものが歴史を考えるときの基礎にあるというようなことは、天理教学に限った話ではないのです。歴史学においても、歴史を学ぶ姿勢の深いところには、歴史的ではない普遍的な価値観があり、いままさに歴史を掘り下げようとする人々の関心にかかわって歴史が書かれるといわれます。そうやってみると、歴史学的に見ることと、天理教学的に見ることの差というのはそれほど大きくはないようです。

(澤井) 確かに「教え」は普遍的なものですが、「教え」が叙述されたものは、どうしても歴史的な意味を含むことになると思います。その歴史的な意味を認識しつつ、普遍的な「教え」により近づこうとするのが天理教学の大事な仕事だと言えるでしょうか。

(幡鎌) 歴史学研究コースでも、これまで天理教を扱った卒論は出てきています。印象深かったのが、教会の財政分析でした。教会には面白い史料が残っていますね。
 むかし、ある先生のお伴で、いくつかの教会をお訪ねしたことがあります。その教会の設置を許された「おさしづ」だけではなく、「おふでさき」の写本や布教日誌があって、教会史としてできることはまだまだあるだろうと思いました。

フィールドワークで連携を—教会活動調査×民俗学実習—

(澤井) 宗教学科でも当然多くの学生が天理教に関するテーマで卒論を書きます。伝統的には、教義学的、教理的なテーマ多かったですが、最近は、現在の教会活動(里親やこども食堂など)をとりあげるものが増えています。各教会に残された史料を使って、これまでの教会活動やこれまで説かれてきた教理に焦点が当てられれば、もっと面白くなるのではと思っています。

(幡鎌) 現在行われている教会活動調査は、言葉を代えれば参与観察、あるいはフィールドワークですね。今回の改組で歴史文化学科の民俗学コースではフィールドワークを強調しています。

(澤井) 教会活動についてフィールドワークしようとする学生が増えているのですが、フィールドワークの指導については、民俗学コースとも連携できればありがたいなと思います。

(幡鎌) 歴史文化学科の民俗学実習では聞き取りの練習をしているようです。実習科目は他学科の学生は履修できませんが、あたらしく開講する「フィールドワークからみる民俗文化」という講義などで、フィールドワークに接してもらうことができるでしょう。

(澤井) 教会史料を用いた教育研究がどれほどできるかもこれからの課題です。その一環で、去年宗教学科研究室では、東海大教会に残されていた加見兵四郎による和歌体こふき本を翻刻して、墨書史料と翻刻とが対照できるテキストを刊行しました。この本を用いて、「こふき」を読む授業も来年度から始める予定です。

こふき本の版面(天理大学HP宗教学科ページより)

こふき本のテキストを作成 (20230512)

これからの教会を考えるために必要なものは

(幡鎌) 教会の史料を掘り下げることで天理教史が深まっていけばいいですね。教会史料で卒論を書いた歴史学の学生には、教会の立場だけで考えてはだめだよと伝えていました。史料に出てきていた数字が変わってきた原因が教会の活動にあるのか、社会、たとえば当時の貨幣価値のせいなのか、そもそもどのような場面でその史料が作られたのかなど、いろいろと検討しないといけません。史料批判が歴史研究の第一歩ですから。

 教会史では高野友治先生が網羅的に調査されていて、その後も宗教学科の金子圭助先生、天理図書館の早田一郎先生が調査、整理されましたね。そういえば、かつて金子先生、早坂正章先生、伊橋房和先生も奈良県地域の民俗調査をしていましたし、石崎正雄先生が地域の信仰を取材して『こうきと裏守護』をまとめておられます。歴史に近いスタンスは結構あるのではないですか。

『こうきと裏守護』『教史点描』『御存命の頃』

(澤井) 挙げていただいた先生方の業績は、教会史について勉強する際には、必須の研究だと思います。また、教義の研究でも、原典やこふき話の言葉には、その当時の大和地方の土着の言葉遣いが含まれているため、地域民俗の理解はどうしても必要です。とくに、「こふき」や「おさしづ」を読み進めるために、当時の人びとの認識は重要な視点だと思います。そうした方面の知見は、天理教史の研究として進めることもできるでしょうが、そもそも歴史学や民俗学において、かなり蓄積されているのではないかと想像するのですが、どうなのでしょうか?

(幡鎌) 個別に民俗調査、方言調査は行われているかもしれませんが、それを天理教に引き付けることは少ないと思います。吸収していくのは天理教史側の仕事でしょう。
 私は運がいいのか、たまたま調査していた一般のお宅の文書に天理教の出版物やおさとしの台本が含まれていたり、屋敷の雷除けのお守りとして天井裏に置かれていた俵をひらいたら、伊勢や熊野のお札にまじって黒住教や天理教のお札が出てきたりしました。どちらもとても驚きました。

「日本近世史料実習3」で学生指導をする幡鎌教授

 史料講読の授業に使っている17世紀後半の史料に「田地のくろかり」(田地のくろを刈る)と出てきたときに、管内学校出身の学生に水を向けてみましたが、だれも反応してくれませんでした。「やまさかやいばらぐろふもがけみちも」の「ぐろふ」が「くろ」で畔のことだといってもなかなかです。歴史や民俗、方言の知識を得るにはやはり地道な勉強が必要ですね。「おふでさき」や『教祖伝』を読むときに役立ちます。
 澤井さんは今後の研究についてどういうビジョンをお持ちですか。

(澤井) 私は、「教会」という当時の新しい組織の在り方が、どのようにお道のなかで内面化され、どのように教会における信仰実践が出来てくるのかというあたりに、興味があります。教会の組織や制度の在り方にたいして、これまで様々な意見も議論もあったのだろうと思います。それらを掘り起こし、これからの教会を考えるという教学的な問いに繋げていきたいと思っています。

もっと知りたい人のために

  • 石崎正雄編『こうきと裏守護』天理やまと文化会議、1997年
  • 澤井治郎『「おさしづ」に道を求めて』天理大学出版部、2023年
  • 天理教道友社編『教史点描——“おさしづ”の時代をたどる』天理教道友社、2012年(石崎正雄、伊橋房和、中島秀夫、早坂正章による討議)
  • 高野友治『御存命の頃』天理教道友社、2001年
  • 幡鎌一弘「守札からみる家の信仰と近世・近代」、明治維新史学会編『明治維新史研究7 明治維新と歴史意識』吉川弘文館、2005年
  • 幡鎌一弘編『語られた「教祖」』法藏館、2012年
  • ●幡鎌一弘「神武陵と橿原神宮の周辺」、高木博志編『近代天皇制と社会』思文閣出版、2018年

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