【人文学部クロストーク&教員コラム】人文学部教員コラム1 「気づき」が社会をほんの少し変える 2023.06.20 人文学部宗教学科国文学国語学科歴史文化学科心理学科社会教育学科社会福祉学科 # 人文学部クロストーク&教員コラム

人間関係学科社会福祉専攻准教授・森口弘美

「弘美ちゃん」初めて呼ばれた名前

これは、もう20年以上も前、私が4年制大学を卒業して障がい者の通所施設で職員として働いていたころのエピソードである。

利用者のSさんは知的障がいのある女性である。Sさんは、わかりやすい言葉で言われたことは理解できるが、自分から話す言葉の数は決して多くはない。顔見知りの人には「元気かい?」と話しかけ、周りからの声かけには「はいー」「いやー」というシンプルな返事をする。Sさんはふだん、気が向けば施設の活動に参加するが、多くの時間を施設の玄関を入ってすぐのところにある事務所の入り口に座って過ごしていた。そこで、事務所に出入りする職員やボランティアに「元気かい?」とニコニコ話しかけたりしていた。

Sさんは当時、女性職員や女性ボランティアを名前で呼ぶことはほとんどなかった。男性職員のことは名前で呼ぶが、なぜか女性に対しては、職員の名前を認識しているにもかかわらず、話しかけるときは「なあなあ」と呼びかけ、決して名前を言おうとはしない。私がその当時知る範囲では、Sさんが名前で呼ぶ女性は、この施設で最も長く働いている女性職員のYさんと、同じように長年ボランティアをしているGさんの2人ぐらいであった。二人に共通するのは、どんな人とでもすぐに仲良くなれるようなひときわ明るい雰囲気であった。

そんなSさんが、私が入職して5年ほどたったある日、急に私のことを名前で呼び始めた。その日は「ひろみちゃん」と何度も私を名前で呼んでくれた。私はとても驚き、「Sさんは私のことを見ていてくれたのだ」とはっとし、深い感慨に包まれた。

社会福祉施設職員の経歴を持つ森口弘美准教授

互いが「見る」側、「見られる」側

さて、このときの「私」に起きたことはいったいどのようなことだったのだろうか。

私がSさんに名前を呼ばれて「とても驚いた」のは、Sさんが私の名前を呼んでくれるとは期待も予想もしていなかったことを意味している。期待も予想もしていなかったのは、私の中に「Sさんはそういう人だ」という決めつけがあったからかもしれない。もしかしたら、「Sさんは知的障がいがあるから、私の名前を呼ぶことはできない」という思い込みがあったかもしれない。今思い返すと、成長期の子どもならまだしも、とっくに成人していたSさんにこのような大きな変化があるということ自体、全く想定していなかったようにも思う。

「私のことを見ていてくれた」という感慨についてはどうだろう。私は自分のことを、Sさんをはじめ障がいのある利用者たちのことを「見る」側だと思っていたように思う。施設の職員であった私は、利用者が安全に過ごせるように見守り、利用者の様子に何か気になる変化が見て取れたりしたら他の職員に相談し会議で報告した。このように、支援の場では多くの場面で、職員は「見る」側で、障害のある人たちは「見られる」側である。しかし実際にはSさんは私のことを「見ていた」からこそ、ある日突然私の名前を呼び始めたのではないだろうか。「名前を呼ぶ」という行為をとおして突如表出されたSさんの強い主体性のようなものに、私ははっとさせられたのではないかと、今では思っている。

ほんの少し「社会」が変わるために

このエピソードは、私の思い込みや先入観に対する反省文に見えるかもしれないが、社会福祉においてはこのように、大事なことにはっと気づかされたり、思いもよらない展開にえっ?と驚いたりすること、つまり私の「気づき」がとても大事である。「気づき」とは、自分の認識が少し変わると言い換えられるだろうか。

社会福祉とは、生活上の困りごとをかかえる人の課題解決に尽力するとともに、その人たちを困りごとを抱える状況に至らせた「社会」に働きかけようとする。そのために必要なのが、一人ひとりの「気づき」である。なぜなら、「私」はこの「社会」を構成する一員であり、「私」が何かに気づいてほんの少し変わることは、「社会」がほんの少し変わることだからだ。

社会福祉の授業では、社会福祉に携わる専門職にゲスト講師として授業に来ていただくことがたびたびある。学生にとってはもちろん、教員にとっても多くの「気づき」がもたらされる授業のひとつである。専門職のお話を聞いていて感じるのは、彼らが自分自身の「気づき」、つまり自分自身が変化するような体験(それは多くの場合、とても大変な体験だったりする)を、どうやら楽しんでいるらしいということだ。

さまざまな状況の人と出会い、自分や社会を変えていこうとする社会福祉の実践は、一つの職業というよりも、生き方のようなものかもしれないと最近考えている。

著書:知的障害者の「親元からの自立」を実現する実践

もっと知りたい人のために

  • 鯨岡峻『エピソード記述入門—実践と質的研究のために』東京大学出版会、2005。
  • 鯨岡峻『関係の中で人は生きる—「接面」の人間学に向けて—』ミネルヴァ書房、2016年。
  • 森口弘美『知的障害者の「親元からの自立」を実現する実践—エピソード記述で導き出す新しい枠組み』ミネルヴァ書房、2015年。

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