【人文学部クロストーク&教員コラム】聖書の地を掘る —イスラエルの発掘調査から— 2023.07.04 人文学部宗教学科国文学国語学科歴史文化学科心理学科社会教育学科社会福祉学科 # 人文学部クロストーク&教員コラム

宗教学科教授・島田勝巳×歴史文化学科教授・橋本英将

天理大学と考古学

(島田) 今回の『大学案内』での歴史文化学科のコピーは「ひとはなぜ「遺跡」を掘るのだろう?」ですね。そもそも人はなぜ遺跡を掘るのでしょうか?

(橋本) そのようにあらためて問われると、あまり深く考えてこなかったように思います。考古学が学問として成立する以前から、遺跡を発掘した人物はいました。たとえば、17世紀末に、徳川光圀は栃木県の上侍塚古墳・下侍塚古墳を掘らせましたし、18世紀末には、のちアメリカ大統領となるトマス・ジェファーソンがネイティブアメリカンのマウンドを発掘しています。
 一説には古代メキシコのアステカ人も発掘のようなことをしていたともいわれています。19世紀に鉱山開発が大規模になったとき、鉱山のエンジニア達が興味本位で古代の金属生産研究を始めたのも同じように感じます。
自分たちの前に明らかに何者かが存在しているけど、それが誰で何を考えていたのか、文字による資料では十分に知ることができないといったときに、考古学的な調査への衝動が生まれるのかもしれません。

(島田) 天理大学の考古学の大きな特徴は、イスラエルの発掘にかかわっていることですが、キリスト教を学んでいると、聖書の地を掘ることにはさらに複雑なものがあるように思います。

(橋本) 「聖書考古学」といわれる分野は、現在のイスラエル周辺(南レヴァント)という聖書の舞台に赴き、聖書—この場合旧約ないしユダヤ教聖書が中心ですが—の真実性を実証しようという、信仰とかかわった関心から始まった点が、他と違っていますね。東アジアでの仏教考古学にはこうした点はほぼみられません。
 もちろん現在のこの地域の考古学者たちは、聖書の真実性を実証しようなどと考えているわけではありませんが、聖書の記述をどの程度まで信用するかについては、研究者によって立場が大きく異なります。

(島田) 天理大学がイスラエルの調査にかかわるようになったのはいつ頃ですか。

(橋本) イスラエルでの調査は、日本オリエント学会10周年記念事業として1964年のテル・ゼロール遺跡から始まりました。東京大学の宗教学出身で、日本オリエント学会の理事でもあった中山正善天理教二代真柱とのつながりで、大畠清東京大学教授・日本オリエント学会常務理事(当時)を団長とする調査団に天理参考館の福原喜代男さんが参加されたのが天理大学としての最初の関わりです。
 翌1965年から、この後長くイスラエル調査をけん引することになる本学の金関恕先生が参加されました。金関先生と、イスラエル側のモシェ・コハヴィ先生(元テル・アヴィヴ大学教授)との間に築かれた関係が、エン・ゲブ遺跡、テル・レヘシュ遺跡の調査に繋がりました。

日本隊によるイスラエルの考古学調査の歴史

発掘調査の主導は宗教学者!?

(島田) 私は学生時代に金関先生の「考古学概論」を受講しました。二代真柱と大畠清がおなじ東大宗教学の出身であることについてもよく知っています。本学宗教学科は今も日本オリエント学会の会員です。

(橋本) 金関先生が参加された第2次調査には、のちに慶応大で聖書考古学の教鞭を執られる小川英夫先生も参加されていますが、隊員の多くは宗教学者や歴史学者で、測量や記録作業といった考古学の実務は、主に金関先生が担当していたようです。

(島田) 当時のイスラエル調査を主導していたのが宗教学者や歴史学者で、考古学者ではなかったというのは意外でした。

(橋本) 発掘への関心に、「聖書叙述の真実性の検証」が絡んできているからでしょう。19世紀に聖書にでてくる都市名と、パレスチナ各地の遺跡とをはじめて高い精度で同定したのは、考古学者ではなくエドワード・ロビンソンという聖書学者です。この地域の歴史を調査するには聖書に関する深い理解が必須だという認識が、調査団の人選に影響したのでしょう。

(島田) 橋本先生の発掘成果の報告を拝見していて、宗教史的視点から特に興味深いのは、テル・レヘシュ遺跡で初期(1世紀)のシナゴーグ(ユダヤ教の会堂)の可能性がある建物が見つかったという指摘です。ローマ帝国によって第二神殿が破壊されたのが70年なので、イエスの弟子たちは、まさか40年後に神殿が破壊されるとは思ってもみなかったはずです。
 いずれにせよ、テル・レヘシュ遺跡の例がこの時代のシナゴーグだとすれば、神殿破壊の前後によって、その役割や意味づけが変化したと考えるのが自然でしょう。この急激な変化の時代に、ガリラヤ地方のシナゴーグが果たした信仰共同体としての機能にも変化があったのかどうか。発掘ではそこまで見極めるのは困難でしょうね。

初期シナゴーグ
初期シナゴーグ

シナゴーグの機能変化

(橋本) 第二神殿が破壊された後の、シナゴーグの性格の変化については、ご指摘の通りです。大きなストーリーとしては、第二神殿の破壊で、神と祭祀によってつながる正式な場をユダヤ人たちが失ったことにより、シナゴーグが次第に宗教的な側面を強めてゆき、「ユダヤ教会」的なあり方に変ってゆくととらえられています。
 テル・レヘシュのシナゴーグはおそくとも2世紀初頭には廃絶したようです。同じガリラヤでも当時の都会であったミグダル(マグダラ)では、初期シナゴーグがここ10年ほどで立て続けに2例発見されています。これ以外にも、4世紀や5世紀の、宗教的要素が強まったとされるシナゴーグの実例も知られており、こうした成果をあわせて検討してゆくことで、ガリラヤ地方のシナゴーグの果たした信仰共同体としての機能に変化があったのかどうか、今後理解が深まるのではないかと期待されています

(島田) 1世紀という時代だけではなく、ユダヤ地方の中心地エルサレムとガリラヤ地方という地理的な違いも関係しているようですね。上村静氏によれば、「神殿から離れた場所に生きたガリラヤ人にとって、神殿崩壊は日常生活に大きな影響を与えるものではなかった」ようですし。ユダヤ人としてのアイデンティティ問題とも絡んでいるようで、簡単なことはいえません。
 いずれにせよ、いわゆる「ユダヤ教キリスト派」は当時のシナゴーグをも利用しつつ、2世紀に入ると次第に独自の「教会」体制を構築していく流れになるので、その過渡的な時代である1世紀のガリラヤ地方のシナゴーグの遺跡の解明には、好奇心を駆り立てられます。

(橋本) エルサレムとガリラヤという地理的な違いがあるというのは、おっしゃる通りだと思います。初期シナゴーグの分布がエルサレム周辺地域とガリラヤ周辺地域に偏ることが知られていますが、それぞれに違った背景があるでしょう。宗教史的な視点からの評価をあらためて勉強しないといけないと感じました。

「気になってしまう」研究と信仰の関係

宗教学科教授・島田勝巳

(島田) 考古学と聖書学の関係性についても興味深いです。そもそも近代の聖書学は歴史学の影響のもと、主にプロテスタント神学者の関心から始まっています。だとすれば、それが戦後日本のイスラエル発掘にも影を落としていたことも十分にうなずけます。金関先生の時代には、「聖書考古学」という表現はやや色眼鏡で見られていたようですが、おそらくはドイツの神学者であるブルトマンが提唱したような「非神話論」が浸透し、神学的ニュアンスが薄まったことで、この表現が再び用いられ始めたということだと思います。
 キリスト教の信仰を持つ研究者にとって、具体的な考古学的成果がどのような意味を持つのかについては、実のところ私にはよく分かりません。欧米、特にアメリカには、いわゆる「原理主義者」的な傾向を持つ聖書学者や歴史学者は、いまだに一定数います。一方で、そうした姿勢とは対照的で、しかも信仰を自認する研究者が、実際に自らの信仰とどう向き合っているのか、はたからはあずかり知らぬところです。おそらくそれは「信仰とは何か」という根本的な問いと絡む問題で、簡単には語れないように思います。

歴史文化学科教授・橋本英将

(橋本) 「聖書考古学」という言葉は、今でもあまり好んでは使用されません。考古学者の間では、いろいろなニュアンスを含まない「南レヴァントの考古学」のように表すことが多くなってきています。
 それぞれの研究者が聖書の記述をどの程度まで信頼するかについては、信仰と文献学的なテキスト解釈の両方が関わってくるので、信仰が個別の研究者にどの程度影響を与えているかについては、結局のところ邪推するくらいしかできないのが実際のところです。ただこの点は逆に、キリスト教徒でもユダヤ教徒でもない、私や桑原先生のようなものがこの分野に取り組む一つの意義になるのではと勝手に思っています。
 いずれにせよ、これほど研究と信仰の関係が「気になってしまう」学問分野もなかなか珍しいですよね。

(島田) 客観的な史実と信仰的価値観との関係については、広義の宗教研究において特に先鋭化する傾向があるようですね。史実の「客観性」を基準とすることは、哲学的に言えば「真理」へのこだわりを持ち続けるということなので、それは聖書が描く「神」と同じような位置づけになるといえそうな気もします。

(島田) 今年の夏もイスラエルに行かれるそうですね。

(橋本) 今年は、考古学・民俗学研究コースの学生6人がイスラエルに行く予定になっています。せっかく人文学部になることですから、聖書に関心を持つ宗教学科の学生も参加してくれたらいいですね。

発掘風景

もっと知りたい人のために

  • 上村静「第二神殿時代におけるガリラヤのリーダーたち」、勝俣悦子他編『一神教世界の中のユダヤ教』リトン、2020年
  • 金関恕『考古学は謎解きだ』東京新聞出版局、1999年
  • 長谷川修一『聖書考古学:遺跡が語る史実』中公新書、2013年
  • 長谷川修一『旧約聖書の謎:隠されたメッセージ』中公新書、2014年
  • ルドルフ・ブルトマン『キリストと神話』山岡喜久男・小黒薫訳、新教出版社、1960年
  • エルンスト・トレルチ『キリスト教の絶対性と宗教の歴史』深井智朗訳、春秋社、2015年

関連リンク

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