【人文学部クロストーク&教員コラム】夢と物語 源氏物語_夢考察 2023.06.09 人文学部宗教学科国文学国語学科歴史文化学科心理学科社会教育学科社会福祉学科 # 人文学部クロストーク&教員コラム

国文学国語学科教授・原豊二×人間関係学科臨床心理専攻教授・橋本尚子

※2024年に予定している天理大学の改組によって臨床心理学専攻は心理学科となります。

「箱庭療法」日本初上陸は天理大学

(原) 私は天理大学で教えるようになって4年目で、これまであまり人間学部の先生とは交流する機会はありませんでした。天理大学での臨床心理の取り組みは、人間関係学科臨床心理専攻が発足した1997年よりずいぶん古いとお聞きしました。

(橋本) 臨床心理専攻ができたきっかけは、河合隼雄先生の存在です。河合先生は天理大学に籍を置きながらユング研究所で心理療法を学び、日本に箱庭療法を紹介しました。日本で最初に箱庭療法を始めたのが天理大学だったのです。臨床心理の実習室で箱庭療法ができるようになっています。

河合隼雄先生の著書を持つ橋本尚子教授

(橋本) フロイト以来、夢分析は精神分析、心理治療に用いられてきました。いまでもユング派(分析心理学)の分析の中心は夢分析で、私もその訓練を受けました。チューリッヒ滞在中は、毎日、見た夢を記録しそれを分析家に持っていき、その夢について話し合いました。一人で夢を書いているときには全く気付かない視点が開く面白さがありました。
 原先生は中古文学、とくに『源氏物語』がご専門とうかがいました。『源氏物語』にも夢の記述がありますね。

夢分析 —『源氏物語』「明石巻」より—

(原) 『源氏物語』には夢の場面が20程度あります。研究者によって、数え方が異なるので、確定はしていません。主人公の光源氏の見る夢が多く、また重要だと思っています。おおまかにいえば、男女関係に関わる夢と、源氏の出世に関わる夢が連動しつつ描かれているようです。

(橋本) 具体的にはどんなお話ですか。

(原) たとえば、「明石巻」の夢の話です。源氏が須磨に行った時に、死んだ父帝が夢に出てきます。そこで父帝は「どうしてこんな所にいるのか?住吉の神の導きによって、この浦を離れなさい」と言います。その父に光源氏は「今は大変つらく悲しい、この渚に身を捨てたいのです」と申し上げます。父は「自分自身も在位中に罪があり、その罪が終わるまでは忙しかったが、ようやく悲しんでいるお前(光源氏)のためにここにやって来た。これから内裏に奏上に行く」と言って立ち去ります。

天理大学カウンセリングルームにて(左が原教授・右が橋本教授)

(原) ここで気になるのは、男子にとっての父が登場することです。エディプスコンプレックスの感じで考えると、母親が出て来てほしいとも思います。夢に父親が出てきて、息子を助けようとする夢は、どのように考えたらよいでしょうか?

(橋本) 父帝とは、桐壺帝でよかったですか。この明石での源氏の夢と同時期に帝も父帝ににらまれる夢を見ていたと思いますが、この帝は誰ですか? 

(原) 父帝は桐壺帝です。また、帝も、桐壺帝ににらまれる夢を見ました。この帝は朱雀帝で、源氏とは母親が異なりますが、兄にあたります。朱雀帝の夢は源氏の夢と深く関わっていると言ってよいと思います。

(橋本) 「自分自身も在位中に罪があった」とか、「その罪が終わるまでは忙しかった」との父帝の言葉がありますが、その父帝の罪とは何なのですか?

(原) それが、本文には具体的に書いてないのです。そのため、研究者の間でもそれが何なのか議論があります。正確に言うと、在位中「過(あやま)つこと」はなかったが「おのづから犯し」があったので、「その罪(意味としては「罰」に近い)を終ふる」までの間、忙しかったということです。「過つこと」と「犯し」と「罪」という言葉の区別も難しいところになります。

原豊二教授・天理大学附属天理図書館前にて

(原) 帝王というのはそもそも存在論的に罪を得るものであるから、「犯し」とはそのようなことを言っているのだという考えもあるようです。ともかく具体的内容はわかりませんが、「王権」に関わる思想が背景にあるように思われます。お答えになったかどうか。

(橋本) 夢を考えるにも、細かな事情をわかってないと無理なので、色々疑問が出てきてしまいます。

(原) この夢のくだりは、『源氏物語』の中でも具体的な意味がわかりにくいところです。

帝の罪から始まっている物語

(橋本) 『源氏物語』は、そもそも帝の罪から始まっている物語であると、私は思っています。桐壺帝は賤しい身分の桐壺更衣を愛しました。帝として生きる政治の世界では本来決して許されない私情を優先したのです。当時としては大変なことだったのだと思います。桐壺帝は私人としての愛と公人としての生き方で葛藤を持つことになります。その罪により桐壺更衣はひどいいじめにあい、亡くなってしまいます。そのこともあり、桐壺帝は源氏に十分な地位を与えることをしませんでした。その愛と罪が物語を動かしていきます。私人としての愛と公人としての生き方を問われたのは源氏も同じです。「自分自身も罪があった」と父帝が言うのはそういうことではないでしょうか。

(原) 『源氏物語』は帝の罪から始まっている物語とする考え方は、国文学の研究においても言われていますね。

(橋本) 父が登場するのは納得がいきます。父が源氏を再度政治の世界へと駆り立てるのです。母にはできないことでしょう。源氏の中ですべてを捨て死にたい気落ちにまで至ったところから、それを反転させる力として、父なるものが源氏を立ち上がらせたのではないでしょうか。それまでの幾分無責任な生き方が今後変化していく契機に父なるものが現れたのかもしれません。同時に朱雀帝が父に睨まれる夢を見るのも、朱雀帝の母の言いなりのマザコンぶりが朱雀帝自身の中の父なるものに戒められているようにも思えます。
(橋本) 人が大きく変化したり、事態が大きく変わったりすることの背景には、この夢にあるような心の動きがあるのが面白いです。朱雀帝が源氏の帰還を許すとき、その背後には父なるものの声があり、源氏が帰還を果たそうと思う心の背後にも父なるものがある。すべてが揃わないと事態は動きません。帰還してからの源氏は父なるものの世界、政治の世界でも力を得ていきます。父が現れたというのは、今後の源氏の人生の中で、今までなかった父なるものが課題になっていくことでもあったのかもしれません。

(原) 桐壺帝と桐壺更衣の物語は、唐の詩人・白居易の書いた『長恨歌』の影響が強く、この両作品はともに帝のアンバランスな愛情のあり方を描いています。そして、ともに愛された女性たちは不幸な最期を迎えます。光源氏についても、自身のしたことが自身にかえってくるような因果応報の中にいて、やはり罪の意識はあるようです。
 『源氏物語』の桐壺帝は光源氏の最大の支援者なのですが、源氏は桐壺帝の后である藤壺宮と密通し、やがて子が生まれ、その人物が帝となります。とんでもない人です。ただ、桐壺帝は生前そのことに気づく様子もなく、また死後の「明石巻」の夢においても全くそのことに言及がありません。鈍感にもほどがありますね。

物語自体にあるカウンセリング効果

(原) 夢は『源氏物語』という物語に、新たな場面として現われ、そして物語を動かしていく機能があると思っています。神仏の託宣、予言などとあわせて、今後も『源氏物語』研究の重要な課題となっていくのは間違いないと思います。

 夢とは違うのですが、物語研究を臨床にひきつけてみますと、物語それ自体にもカウンセリング効果があるのではないかと思っています。たとえば『源氏物語』の「帚木(ははきぎ)巻」に「雨夜の品定め」というのがあって、男たちがそれぞれ自身の経験を話すところがあります。多くは女性に関わる話です。この場面は、『源氏物語』の「物語内物語」と言ってよいのですが、話す側、聞く側ともにそれを楽しむようでもありますし、何らかの心理的な効果があるように思います。

(橋本) 物語それ自体にカウンセリング効果があるというのは仰る通りです。思春期の人達との面接では、よく漫画やアニメや映画の話がされます。それは単なる漫画の話ではなく、彼らの心の様子を語っているのです。自分の心にぴったりくるアニメの話は、そのまま彼らの心の様子であり、それらの物語は心を収める器になります。自分の気持ちをうまく表現できない彼らの心の世界を、私たちは彼らが語るそれらの物語から理解することができるのです。

 『源氏物語』には、1対1の愛を求める気持ちとそれに伴う嫉妬の感情がみられますね。表面のメロディーは様々あってもその底に流れ続ける一つの低い音のように常に嫉妬が見え隠れします。それは女だけのものではなく、男である源氏にも感じられます。物の怪が多く表れるのもそのような押し殺された感情と関連があるように思います。嫉妬は恋をめぐって万人が持つ感情でもあり、だからこそ、時代を超えて読み継がれるのでしょう。

もっと知りたい人のために

  • 原豊二『源氏物語と王朝文化誌史』勉誠出版、2006年
  • 原豊二『源氏物語文化論』新典社 2014年
  • 原豊二『日本文学概論ノート 古典編』武蔵野書院、2018年
  • 原豊二・古瀬雅義・星山健『「女」が語る平安文学』和泉書院、2021年
  • 小山利彦・原豊二『視て語る 王朝散文選』和泉書院、2023年
  • 橋本尚子「摂食障害の10代女性との心理面接—背後にある現代の意識—」、河合俊雄編『ユング派心理療法』ミネルバ書房、2012年
  • 橋本尚子『心理療法と現代の意識:「非二」という視点からの考察』箱庭療法学モノグラフ 第12巻、創元社、2020年
  • 西郷信綱『古代人と夢』平凡社、1993年
  • 河合隼雄 2009 『ユング心理学入門』岩波書店、2009年
  • 河合隼雄著、河合俊雄編『源氏物語と日本人:紫マンダラ』岩波書店、2016年
  • 河合俊雄『夢とこころの古層』創元社、2023年
  • 笹生美貴子『源氏物語夢見論』文学通信、2023年

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