《公開講座記録》【人文学へのいざない】第4回 忘れられた仏教天文学 —19世紀の日本における仏教世界像— 2023.06.17 社会連携生涯学習公開講座記録

《公開講座記録》【人文学へのいざない】第4回
●2023年6月17日(土) 午後1:30
●テーマ:忘れられた仏教天文学 —19世紀の日本における仏教世界像—
●講師  岡田 正彦(宗教学科 教授)

内容

徳川吉宗の実学奨励によって、近代科学の自然観が一般に普及し始めた江戸後期。一人の仏教僧が、仏典中の円盤状の宇宙像をもとに仏教天文学の理論を確立し、地球の概念や地動説にもとづく近代的自然観に対抗しようと試みました。この講座では、19世紀の日本思想史のなかで異彩を放つ、この特異な思想運動を紹介しながら、日本の「近代」について考えました。

しばしば、「梵暦運動」と呼ばれるこの思想運動のキーマンは、普門円通(1754-1834)という人です。文化7年(1810)に円通は、主著である『仏国暦象編』(全5巻)を刊行し、独自の「梵暦(仏教天文学)」の理論を体系化します。

多彩な仏典の物語の舞台となっているのは、世界の中心に巨大な須弥山を配する円盤状の世界です。逆台形状の須弥山の周囲には八つの山脈が取り巻き、それぞれの山脈の間に海洋が広がっています。一番外側の広大な外海には、東西南北にそれぞれ大洲(島あるいは大陸)があり、そのうち南に位置する閻浮提洲が「われわれ」の住む世界とされています。ちょうど『指輪物語』や『ナルニア国物語』のようなファンタジーを味読するためには、その世界の地図をふまえる必要があるように、仏典の内容を生き生きと理解するためには、須弥山を中心にする世界像を詳しく学ぶ必要がありました。

しかし、徳川吉宗の実学奨励と禁書の緩和令を受けて、西洋の天文学理論が一般の人々にも紹介され始めると、地球の概念や地動説にもとづく自然観とのギャップが指摘されるようになります。とくに、国学者を中心にした排仏論者たちのなかには、須弥山を中心とする世界の存在を否定し、仏説批判を展開する者も現われます。このため、仏教側からも多彩な反論や擁護論が展開されました。円通が創始した「梵暦」もその一つです。

ただし、円通の理論体系は須弥山を中心にした円盤状の世界を前提にして、太陽や月の運行をはじめとする天文現象を説明し、さらには正確な暦を作成することによって仏教の宇宙像の正当性を証明するという極めてユニークなものでした。もし、円盤状の宇宙のモデル(須弥界)をもとに、天体の運行や季節の移り変わりを正しく説明できるのであれば、むしろ仏教の世界像のほうが説得力を持つことになるでしょう。19世紀前半の日本においては、近代科学の自然観がまだ唯一の世界標準にはなっていない知的状況のもとで、西洋の天文学(西説)と仏教天文学(仏説)が、ともに暦算や暦の予測の正確さを競い合い、学説として競合することができたのです。

円通の梵暦を学ぶ門人たちは、かなり広い社会階層に分布し、仏教各派の学林や学寮には、梵暦を中心に天文学を講義する科目が設けられました。その門人(梵暦社中)の数は1,000人を超えていたとされ、門弟たちには大行寺の信暁や明治期に活躍した佐田介石など、近世から近代の仏教思想史を語るうえで重要な人物が少なくありません。しかし、のちに「梵暦運動」と呼ばれたこのユニークな思想運動は、明治20年代を境にして急速に忘れ去られていきます。

この講座では、この思想運動が急速に拡がる一方で、突然に忘れ去られた過程とその要因について、文庫として再刊予定の拙著『忘れられた仏教天文学—19世紀の日本における仏教世界像』(法蔵館)をもとに考察しながら、日本の「近代」の特質と近代日本における宗教言説の形成について考えました。円通とその門弟たちの活動は、19世紀の仏教系の思想運動を代表するような広がりと多様な展開を示しながら、20世紀の初頭には完全に忘れ去られます。この忘却の意味を問うことは、排仏と護法、伝統と近代、といったステレオタイプを前提とする従来の近代日本仏教史、近代日本思想史の定説を再考することにもつながるでしょう。

かなり専門的な内容だったのですが、当日はみなさん熱心に受講してくださり、とても充実した時間を過ごすことができました。誌面をかりて御礼申し上げます。

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