《公開講座記録》【多文化理解へのいざない】第3回
●2024年7月6日(土) 午後1:30
●テーマ:ボルネオ島カヤンの口頭伝承とインドシナからの民族移動
●講師 奥島 美夏 (外国語学科 教授)
内容
今回は筆者が長年調査してきたボルネオ(カリマンタン)島内陸の少数民族、カヤン系言語諸族(以下「カヤン」と省略)の言語状況について紹介した。カヤンを含む東南アジア島嶼部の諸民族は従来オーストロネシア語族とされてきたが、カヤンの諸方言には東南アジア大陸部に住むモン・クメール(オーストロアジア)語族の影響が色濃く残っている。ここから、カヤンの先祖がインドシナ半島からボルネオ島へ移住してきたか、交易などを通じて半島の言語を採り入れてきたことがうかがわれる。
1.カヤン系言語諸族とは
カヤンは高床式長屋(ロングハウス)に住み、陸稲や水稲を育てる農耕民族である。現在マレーシア領のサラワク州とインドネシア領の東・北・西カリマンタン各州の内陸部に散在しているが、もともとはサラワク州に集住していた。その後、民族間での戦争や植民地支配をきっかけに、数世紀前かけてサラワク州から山を越えて北カリマンタン州へ、そしてさらに他地域にも移住していった。
ボルネオ少数民族の中で有名なイバンやクニャーなどと比べると、カヤンはマレーシア・インドネシアの人口をあわせても10~12万人程と少数である反面、非常に勇猛な首狩り族で、隣接する他の民族にも政治的影響力があることが知られている。イギリスやオランダ、日本の植民地政府からも、内陸で事実上の自治を続ける統治しにくい民族とみなされてきた。この背景にはカヤンのサラワク集住時代の地位の高さが関係している。彼らの先祖はインドシナ半島との交易によって豊かな物資を手に入れ、栄えていたのだ。
2.カヤン諸語にみるインドシナ半島起源の語彙
カヤンの口頭伝承によれば、先祖がサラワクに集住していた時代、沿岸部の交易都市から陶器や衣類、装飾品などを大量に入手していた。このことは彼らの言語からも裏づけられる。カヤンは従来、南中国から台湾を経て東南アジア島嶼部やオセアニアに広がったオーストロネシア語族の子孫といわれてきた。ところがカヤン諸語を同語族のデータと比較すると基礎語彙の多くが一致しないのだ。
調べた結果、カヤンの非オーストロネシア系語彙は、上記のようにインドシナ半島のモン・クメール語族の語彙に近いとわかった。例えば「包丁、ナイフ」(pek, pa:yc)、「指輪」(gǝnmean)、「猫」(ŋɔw, ŋiw)はバナール語派、「(女性用)帽子」(sǝdɔw, sǝdo:n)、「タロイモ」(hǝlea)はヴェト語派、「剣」(kɔwʔ)、「歯」(ku:, kiw)はペアール(ペア)語派、「遠い」(dǝlɔwŋ)はモン語派の語と近い。これらの語派の先祖はいずれもベトナム、カンボジア、ミャンマーなどで古来栄えてきた王国にいたので、カヤンと頻繁に交易していたのは勿論、ボルネオへ移住した可能性も十分にある。
3.東南アジア大陸部・島嶼部間の交流の軌跡
ただし、カヤンはモン・クメール系の語に、オーストロネシア語族の使う接頭辞をつけて独自に活用させる。これは古い時代にはモン・クメール語族でも行われていた可能性があるが、その後失われてしまった。もともとオーストロネシア語族とモン・クメール語族には、「目」「骨」など非常によく似た語形も存在しており、両言語族の関係性についてさらなる研究が待たれる。
対照的に、カヤンのモン・クメール系語彙の中には、オーストロネシア系語彙と併用されているものもある。例えば「耳」には、耳全体にモン・クメール系を、耳飾りで長く引き伸ばした耳たぶにはオーストロネシア系の語を当てる。「水、河川」や「空」も日常語と敬語・文学的表現で両系統の語を使い分けている。
以上から、カヤンはベトナムやカンボジアなどと交易し、移民も受け入れてきたが、近世以降、おそらくは植民地政府の都合などにより往来が途絶えたという過去が浮かび上がってきた。これがマレーシア・インドネシアの少数民族という不安定な立場に置かれたカヤンのアイデンティティを補強し、インドシナ半島の遠い親族との交流再開につながれば幸いである。