《公開講座記録》【人文学へのいざない】第1回 聖書の舞台を掘る —イスラエル国テル・レヘシュの発掘調査— 2023.05.27 社会連携生涯学習公開講座記録

《公開講座記録》【人文学へのいざない】第1回

●2023年5月27日(土) 午後1:30
●テーマ:聖書の舞台を掘る —イスラエル国テル・レヘシュの発掘調査—
●講師  橋本 英将(歴史文化学科 教授)

内容

旧約聖書の主要な舞台として知られ、現在でも世界中から各国の学術調査隊がフィールドワークにおとずれるイスラエル国。天理大学も1960年代から現地での調査を実施し、様々な成果をあげてきました。2006年より現在まで続いているテル・レヘシュの調査成果と、その学術的意義を紹介することで、古代イスラエル史のもつ魅力を感じていただきたいと思います。

天理大学が関係するイスラエル国における調査の開始は、1960年代にさかのぼり、日本オリエント学会10周年記念事業としておこなわれた1964年のテル・ゼロールの調査から始まりました。東京大学の宗教学専攻出身で、日本オリエント学会の理事でもあった中山正善天理教二代真柱とのつながりで、大畠清東京大学教授・日本オリエント学会常務理事(当時)を団長とする調査団に、天理参考館の福原喜代男さんが参加されたのが天理大学としての最初の関わりです。翌1965年からは、この後長くイスラエル調査をけん引することになる本学の金関恕先生が参加されました。金関先生と、イスラエル側のモシェ・コハヴィ先生(元テル・アヴィヴ大学教授)との間に築かれた関係が、その後のエン・ゲブの調査、テル・レヘシュの調査に繋がりました。

テル・レヘシュはイスラエル国、下ガリラヤ地方に位置する、長さ350m程のテル型遺跡です。テルというのは一般的に、同じ場所で、昔の町の上により新しい時代の町が築かれるということが長い間続いたことによって、丘のように高くなった町ないし都市の遺跡のことを指します。

2006年から現在まで続いているテル・レヘシュの調査は、第一期(2006年~2010年)、第二期(2013年~2017年)、第三期(2019年~)に分けられます。それまで発掘調査が一度も行われていなかったテル・レヘシュにはじめて学術調査のメスが入った第一期調査では、このテルでの人間の活動が前期青銅器時代から、ローマ時代までの3000年ほどに渡ることが明らかとなりました。その中でも、後期青銅器時代の終わりころ、後期鉄器時代、ローマ時代に特に人の活動が活発で、人口も比較的多かったらしいということがわかりました。後期青銅器時代にはオリーブオイルを搾るための施設や宗教的な儀礼の場が作られ、後期鉄器時代には大型の公共建造物がテルの頂上に建造され、ローマ時代には、当時のユダヤ教を信仰する人々の村が営まれていたようです。

こうした成果を受け、第二期調査では、後期鉄器時代の大型建物、ローマ時代集落の調査に重点が置かれました。テル・レヘシュのあった地域は、北イスラエル王国の領土でしたが、紀元前8世紀の終わりにはアッシリアの支配下に組み込まれます。大型建物はこの時期ないしその後この地域を支配化においた新バビロニアの影響下でつくられた、なんらかの拠点的な建物と考えらえます。第二期調査の結果、この建物の規模は、東西50メートル、南北35メートルもの規模であることが判明しました。これはテルの頂上にある平坦面の、半分近くを占めるものになります。ローマ時代の調査では、紀元1世紀代のユダヤ人の集会所である、初期シナゴーグが発見されました。イスラエル国内でも8例目となる貴重な発見で、注目を集めました。当時のユダヤ教徒が使用した、石灰岩をくりぬいて作った容器類や、エルサレムの周辺から持ち込まれたと推定されるランプ等も発見されました。

第三期調査では、後期青銅器時代の都市構造を明らかにすべく、テルの中腹にある平坦面、通称「下の町」にあらたに調査区を設けました。地中レーダによる事前調査をふまえ、写真測量やドローン等、近年の調査技術の進歩にあわせた記録作成方法なども取り入れ、2019年に始まった第三期調査では、石造りの建造物の一部や道路上の遺構と思われるものが見つかりつつありましたが、その年末より始まる新型コロナの流行により、2020年から中断を余儀なくされました。今年度の夏、ようやく調査が再開される予定です。

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