【教員コラム】看護とAI 2024.11.14 医療学部看護学科 # 教員コラム# 医療学部# 看護学科# 教員コラム

最近、私の周囲でAIに関する情報が自然と入ってくるようになりました。さまざまなアプリがAI機能をおすすめしてきたり、AI関連の話題が増えたりして、AIが日常の一部になっていると感じることが増えています。避けて通れない流れだと理解しつつも、私の軸は「看護」です。看護は対人関係援助職ですので、AIに完全に取って代わられるものではないと思っています。

しかし、そう考えることが時代遅れなのかもしれないとも感じています。AIの進化はとても速く、その影響や可能性を見逃すわけにはいかないなと思う今日この頃です。

1.看護の世界でAIはどこまで活用できるか

最近、AIは医療の各分野で注目を集めており、看護の現場でも様々な活用が期待されています。例えば、患者データの分析やリスク予測、診断サポートなどが挙げられます。そしてAIは情報処理の迅速さを武器に、医療者や患者さんの意思決定をサポートする役割も担っています。 AIチャットボットやアプリを通して、質問に答えたり、健康管理に関する情報を提供したりして患者エンゲージメントの向上にも活躍していると思います。看護師のサポート役としてAIのもつ機能がメインに発揮される日も近いと思います。たとえば、患者さんの複数のバイタルサインデータから状態変化を早期に予測してアラートを発したり、生活のデータをもとに、リスクが高まったことを知らせることなどです。すでに導入された臨床現場もあり、ついにここまで来たかという感じです。ただ、AIが拾えないデータ、患者さんとの対話でしか気づけない事象、看護ケアによる反応といった点はAIには難しい領域だと思います。そして人が持つ「治癒力」を引き出すための関わりはできません。今よりもっと進化しても、この「人間性」がもたらす効果を置き換えることは難しいと考えます。

2. AIの限界と看護が持つ人の手による力

今のわたしは、AIが看護師をサポートしても「看護」をする日はないと思っています。
私はこれまで多くの脳を患う患者さんとかかわってきました。患者さん一人ひとり、それぞれの背景があり、症状や後遺症もさまざまでした。そのような患者さんの個別性を大切にしてきましたし、そして、これからも大切にしていきたいと強く思っています。特に意識障害の患者さんに触れたときに得られる感覚は私個人の感覚へ入力されるとともに、触れられた患者さんも同時に「触れられた」という感覚が入力されます。人から触れられた皮膚や筋肉への刺激は、大脳皮質の第一体性感覚野を刺激し、第二運動野(より高次の大脳皮質)に到達し、皮膚感覚情報として処理されます。第二運動野へ到達した体性感覚刺激は、手続き記憶、いわゆる「体が覚えている」に影響を及ぼし記憶への刺激にもつながります。このように看護はひとつの入力が複数の効果をもたらすことがあります。(その逆もありますがそれはまた別の話で・・・。)そしてその場を共有しつつ、ケアも共有しています。そこからおこる相互の反応は、言葉ではなかなか言い表すことは難しなと思います。

3. AIと看護の未来

今回AIのことを考えるにあたって、自分が行ってきた看護を振り返りました。言語化できない感覚や自分の反応を考えました。「私がこれまで行った看護は、患者さん一人ひとりの反応が蓄積され、判断や価値基準となっていることもあるな。その瞬間に最もふさわしいと思うことを選択して対応しているな。なおかつ少しでも上手にしたいとおもっているな」「こういうことをAIに指示すればできるようになるのかな?」いろいろと考えを巡らせましたが、やはり、言葉では言い表すことが難しいその場で湧き上がる感覚や感情は極めて固有のものですので、そこから創造される看護ケアは代替できないとあらためて思いました。
AIは看護師の作業を効率化し、時間のかかる業務を補完することを得意とします。その結果、ベッドサイドでの時間を増やし、よりよいケアを提供する。未来の看護師はそうであってほしいと願います。AIのリコメンドを妄信するのではなく、あくまでも使う側であるべきだと思います。よりよく使いこなしてより良いケアを提供する。それが理想だと思います。

執筆者(医療学部・看護学科  東真理・准教授)

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