ふるさと会創設90周年【天理大学百年史コラム(33)】 2024.11.14 天理大学百年史

本学の同窓会は「天理大学ふるさと会」と称し、会員数は卒業生4万8千余名を数えます。北海道から沖縄まで47都道府県に51支部が設けられており、さらにはアメリカやフランス、台湾など海外にも10支部があります。会員の互助交流を通じて母校天理大学の発展に寄与することを目的とし、機関誌『ふるさと会報』の発行や会友への支援活動をはじめ様々な事業をおこなっています。

2023年4月に、本学と天理医療大学が合併し、新たに医療学部が設けられたことを機に、ふるさと会は、1949(昭和24)年10月より施行された会則を廃止し、2023年4月1日から新たな会則のもと、新体制で出発しました。
この新会則では、天理外国語学校・天理女子学院・天理女子専門学校・天理語学専門学校・天理女子語学専門学校・天理保姆養成所・天理短期大学(天理大学短期大学部)・天理大学女子短期大学部・天理大学の諸学校を卒業した者、および天理大学大学院を修了した者、そして天理高等看護学院・天理衛生検査技師学校・天理看護学院・天理医学技術学校・天理医療大学を卒業した者が正会員として定められています。
そして新体制のもと、本年ふるさと会は創設90周年を迎え、「天理大学ふるさと会の集い2024/天理大学ふるさと会創設90周年記念式典」がおこなわれました。

天理大学ふるさと会の集い2024/天理大学ふるさと会創設90周年記念式典

2024年11月2日、ふるさと会創設90年周年を記念して天理大学9号棟(ふるさと会館)にて式典がとりおこなわれました。当日は、天理大学祭の開催期間中で、会館の周囲は模擬店やアミューズメントの会場となっていましたが、午後からは季節外れの大雨にみまわれ、学祭実行委員が準備した屋外でのイベントは中断せざるを得ない状況となりました。

ふるさと会では、午後からの式典に先立ち、11時から14時まで「ふれあい天理ふるさと市」を開き、新米や大和柿の販売、綿の糸つむぎ体験教室、ハローパートナーシップ(婚活支援)コーナーを設けるなど様々な催しを開催しました。
13時からは、ふるさと会館2階にてふるさと会代議員会がおこなわれ、14時に功労者の集合写真撮影、そして続いて天理大学ふるさと会創設90周年記念式典がおこなわれました。

9号棟(ふるさと会館)正面
会場入り口

記念式典では永尾比奈夫学長の挨拶があり、来年100周年を迎える本学の100周年事業コンセプト「CONNECT」における6つの「つながりの場」についての説明などがありました。この6つのつながりの中でも重要な点として「卒業生とつながる」があり、100周年を契機に4万人以上の卒業生と、これまで以上により太いつながりを持てるように動き出しているとありました。
続いて、元天理大学学長でふるさと会顧問である飯降政彦氏の挨拶があり、先日102歳でお亡くなりになった北海道在住のふるさと会員の方が「天理大学は大丈夫か」と常に母校を気にかけていらしたというお話がありました。また学長を務めていた時代に全国の大学を訪問して感じた感想として、元気な大学は、OB・OGが母校に愛着があり、元気で、母校に対する注文が多い、したがってうるさい、つまりうるさいOB・OGを抱えている大学は元気で充実している、OB・OGの皆さんは大いにうるさく大学を後押ししてほしい、とありました。
その後、功労者の表彰があり、続いて14時30分頃より太田登ふるさと会長の記念講演「天理大学ふるさと会90周年の歩み」がおこなわれました。講演内容については、本文後半で御紹介しておりますので、ぜひご覧ください。

功労者表彰
記念撮影

記念式典後は会員総会に移り、会務報告、母校近況報告などがおこなわれました。新たに開設された社会連携センター室や、天理駅前のアイコネクトショップなどの紹介に加え、各体育クラブの活躍、なかでも男子バレーボールが現在の天理スポーツの中ではいちばん人気が高く、7月には西日本インカレに出場し、34年ぶり6回目の優勝に輝いたことなどが報告されました。

続いて、海外研修生による研修報告がありました。ふるさと会では、本学の学生若干名を選考し、海外研修の渡航費・滞在費を規程により支給する助成を行っており、1975(昭和50)年の制度創設時より毎年途絶えることなく、学生を海外研修に送り出しています。
今回はヨーロッパ・アフリカ研究コース4年次生の内山ヴァルーエフ ケン氏、スペイン語・ブラジルポルトガル語専攻2年次生の鈴木香音氏、英米語専攻4年次生の森井晶美氏の3名の学生による報告でした。ひとり数分間の報告ではありましたが、各自がそれぞれの研修先でおこなった研究成果や現地で体験した生活、これからの課題などを生き生きと語っていました。
最後は卒業生有志によるフラダンスが披露され、穏やかなハワイのムードに包まれて終了しました。

海外研修報告
フラダンス

16時より18時までは記念祝賀会が心光館1階学生食堂にておこなわれ、恩師や旧友、先輩後輩など、たくさんの本学卒業生が飲食を共にしながら交流を深めました。学生時代を振り返ったスピーチや、景品争奪戦のじゃんけん大会など、盛り上がりをみせ、最後は逍遙歌を斉唱し、すでに日が落ち暗くなった母校のキャンパスを抜けて、各自帰路に着きました。

祝賀会会場(心光館1階)
じゃんけん大会

記念講演「天理大学ふるさと会90周年の歩み」

ここからは太田登ふるさと会会長の記念講演「天理大学ふるさと会90周年の歩み」をまとめた内容です。

1965年に、ふるさと会が主催した母校創立40周年祝賀会の場で、中山正善天理教二代真柱様が祝辞を述べられ「在学生と卒業生が心をひとつにして母校を想う、そういうことを大事にしてもらいたい」「特にふるさと会にはそのことを切にお願いしたい」ということをいちばん強調された。
わたしたちふるさと会にとって二代真柱様は、ふるさと会の生みの親であり育ての親でもある、ひいては本学の創設者であるが、天理外国語学校開校10周年の式典の中で次のように述べておられる。

顧れば、創立の事に就て色々と相談した事を昨日の事と考へますが、歳月の流れは早く、十年の歳月は過ぎ去りました。而も未だ学校は完成せず、垣一つなく、講堂一つ無い。昨日建てたと思ふに過ぎないのに四百参拾九名の本科卒業生、千二百九拾二名の専科卒業生を送り出し、同窓会は海外で道に勤めてゐる。此の十年は私には夢の様であります。
更に思ひ出されるのは『ふるさと会』の誕生である。由来、本教の使命は独り語学の修得のみならず、同時に荒き棟梁としての信念を磨くにある。単に三年間にかくするのみならず、延いては卒業生が荒き棟梁としての活動を如何に全うするかが、本校の勤めである。此の意味からして、ふるさと会は本校の授業以上の意義を有しておると思ふ。幸ひ昨年、この誕生を見たのは、最も時を得たものである。同時に将来の『ふるさと会』の活動に就き諸君と共に、其の錬磨を図りたい。
最後にふるさと会の充実が第五の問題である。独り海外に於いて、布教に従事するもののみならず、事情により国内にある卒業生も、荒き棟梁の使命を自覚して、内外齊して一団となって活動してもらひたいからであります。 (『開校十年』三)

このように、ふるさと会というのは大変大事なものだということを強調しておられる。荒き棟梁の担い手はふるさと会の会員である。ふるさと会の会員ががんばってくれることがいちばん大事である、というふうに仰っているが、それを踏まえ戦後になって仰ったことが

私がふるさと会に関係をもっている、その関係をはっきりご存知ない方がおられるのではないかと思います。というのは、私は外国語学校なり天理大学で在学したことはないのであります。(中略)しかし、一番最初の関係において、皆さん方よりも私自身が非常に感傷的な意味も加わり、興味をもっているのであります。すなわち、ふるさと会という名前をつけたのは私なのであります。
外国語学校を卒業して世界各地におられる同窓生が、何かで会合する時の一つの心の拠り所、それは学校であったのでありますが、我々の信念から言って「ふるさと」と考えられる、学校の縁として、世界各地で思慕さるるもの、会合できるような会の名前として、普通名詞で同窓会と呼ぶものを、固有名詞で「ふるさと会」と、かように名づけたいと思ったからであります。 (『ふるさと会報』7号 昭和35年10月15日発行)

このように、創設者みずからが 「ふるさと会という名前をつけたのは私であります」、こういうふうに仰っている。

母校は来年100周年を迎える。1928年に男子51名女子7名の最初の卒業生を送り出し、それから毎年卒業生を送り出してきた。そして開校10周年を迎えるにあたって卒業生の動向や活動を把握しておきたい、という思いから、当時外国語学校につとめているいわゆるOB・OGの人たちによって、やはり同窓会が必要である、ということで1934年10月27日に1号棟の中にある会議室で同窓会が結成されるというふうに至った。初代会長は校長事務取扱山澤為次、したがってふるさと会の活動は学校の公務として継続する。
1935年4月23日、開校10周年記念には、卒業生も含めた709名がおぢばに集った。1号棟の屋上で祝賀会がおこなわれ、記念品として1号棟をデザインしたインク壺がつくられた。
そして同年、本教でははじめて「全国一斉にをいがけ」(布教)がはじまる。創設者はこの布教の広がりを天理外国語学校の開校10周年とあわせて立ち上げられた。これは意外に知られていないことであるが、ふるさと会の会員が全国の「にをいがけ」にかかわってくれるであろうということを期待されて1935年にはじまったというのは大事なことだと思う。
創設者はみずからが校長(在任1925年9月1日~1938年1月12日)になり、ふるさと会会長にもなる。だからこの創立10周年記念のときは創設者はある一定の覚悟をされていると思う。つまり自分自身がふるさと会をひっぱっていくという思いを開校10周年のときにお持ちになったのかと、私は思っている。
したがって天理図書館のコレクションもこのときから大々的にはじまり、さらには天理よろず相談所も同年に開設されている。つまり、創設者はこの1935年に思い切った決断をされたと考えている。

ふるさと会にとって大事な情報ツールはふたつある。
ひとつは会員名簿、もうひとつはふるさと会報である。
来年刊行予定の『天理大学百年史』を編纂するにあたり、ふるさと会のことについて書いてほしいと依頼をうけ、ふるさと会の倉庫をさがして初めて戦前の会員名簿の存在を知った。これは大学にとってもふるさと会にとっても貴重な資料のひとつといえる。
ふるさと会報は戦前に刊行されていたが、いったん途絶え、天理大学最初の卒業生を送り出した翌年である1954年1月に新たに創刊され、現在まで毎年刊行されている。

1971年 『ふるさと会報』の発送準備

ふるさと会90年間の中でいちばん大きな記念事業はふるさと会館の建設である。
会館の建設計画は戦前からあったが、実現には至らず、戦後は1965年の「いちれつ会館」の開館にともなって再び中断した。これは旧奈良県庁舎を移築した建物で、私も教員の頃、いちれつ会館でゼミをしたが、とても雰囲気の良い所だった。二代真柱様が同窓会でつかってくれと仰り、同窓会の事務所をいちれつ会館の中にうつした。
いちれつ会館の解体後、母校創立70周年に再び同窓会館建設の発議があり、そこから募金活動がはじまり1億円が集まった。これを土台として2003年6月28日に起工式をおこない、2004年4月23日に現在のふるさと会館が竣工した。本年5月18日には、創設者記念館(若江の家)竣工100周年/ふるさと会館竣工20周年記念式典がおこなわれた。

旧奈良県庁舎を移築したいちれつ会館。ここに、ふるさと会事務所も入っていた

天理外語の第1回卒業生と新制天理大学の第1回卒業生の数がほぼ同じことに私は奇跡を感じている。こうした奇跡的な数字をみても、わたしたちふるさと会90年のあゆみが外国語学校から今日まで続いているということが実感できる。
卒業生が多くなるにつれて各地域で支部総会が結成されていくわけであるが、ふるさと会の活動でいちばん大事なのは地域支部の方々による活動である。
1955年に全国に先駆けて最初にできた支部が東海支部である。その時に二代真柱様が駆けつけて記念の集合写真をとっている。非常になごやかな雰囲気が写真から伝わってくるが、その後も二代真柱様は各地の支部総会にお出ましいただいた。支部は相次いで全国に結成され、それとともにこのふるさと会館の建設にもかかわっていただき感謝を申し上げたい。

ふるさと会では、海外研修制度とふるさと会選抜をおこなっている。
海外研修制度は母校創立50周年記念事業としてスタートし、来年で50周年になる。この記念事業も考えている。なお、この50年間、1年も欠かすことなく海外に学生を派遣しており、これもひとえに会員の皆さんのお力添えのおかげである。
会友支援のためにふるさと会選抜制度をたちあげた。ふるさと会選抜では、卒業生や在学生の親族である入学志願者を対象とした選抜制度であり、現在は総合型選抜のひとつとなっているが、これも母校に対する私たち卒業生の恩返しのひとつだと思っている。

『ふるさと会報』46号(1999年)支部便り
『ふるさと会報』59号(2012年)海外研修報告

来年は創設者生誕120年にあたる。生誕110年記念にはシンポジウムを開催し『天理青年の雄飛 : 天理大学創設者中山正善生誕110年記念シンポジウム記念誌』を発行した。また、2017年には創設者の50年祭記念誌『創設者の理念に思いを寄せて』を発行した。創設者への思いをこういう記念誌という形でも発行している。

2023年4月に、本学と天理医療大学が合併し、約5000名が新たにふるさと会員として仲間入りをされた。医療大学の前身である3校の校章をあしらったものをふるさと会館の入り口に設置し、ふるさと会も新体制でスタートしている。
母校は来年創立100周年を迎えるが、そこには様々な課題があり、これをひとつひとつ乗り越えていかなければならない。ふるさと会が発足したときの卒業生は380名だった。現在は、発足当初から約126倍となる48000人の卒業生を擁している。これだけの人数の卒業生を束ねることは大変難しいことであるが、母校と力を合わせてなんとか頑張っていきたい。

最後にもういちど創設者のことばをお借りしたい。
「ふるさと会という名前をつけたのは私なのであります。」
来年の100周年には創設者の理念をもういちど、卒業生が心をひとつにして母校への恩返しをはかりたいと思っている。

(年史編纂室 吉村綾子)

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