本学には、多くの学生が利用する杣之内キャンパス、体育学部の体育学部キャンパス、医療学部の別所キャンパスの3つのキャンパスがあり、特に杣之内キャンパスは多くの樹木に囲まれた自然豊かなキャンパスとなっています。
杣之内キャンパス内にある1号棟、天理大学附属天理図書館、旧杣之内ふるさと寮周辺は、樹木のみならず構内の整地も含め1932(昭和7)年に大規模な整備がされ、当時から育つ樹木が多く残っています。また、本館(研究棟)や2号棟、8号棟、杣之内第一体育館の周辺は多くが1991(平成3)年頃に植栽されました。
何気なく通り過ごしてしまうキャンパス内の多種多様な植物には本学の歴史と深いかかわりがあります。
なお、学内の植物を調べるにあたり、天理市内で造園業を営む長谷川佳孝氏(元天理教造園課総括)のご協力を賜りました。長谷川氏は、先代の幸三氏と親子2代にわたり本学の造園を手がけてこられました。
校舎建設の頃
1926(大正15)年に本学の前身である天理外国語学校の校舎(現1号棟)が建設され、ここを中心に校地は大きく広がりました。
校舎を建設する前のこの周囲の様子は「大和平野をひろく展望する高台性の地であり、御経野につづき、善福寺、杣之内村にかこまれた、所謂西山古墳地帯を、灌木林や植物群落の参差として埋め尽した寂寥の趣ある処」(『開校十年誌』)と記録されています。
この場所に、1926年に校舎(現1号棟)を、翌年には校舎南側に寄宿舎(後の杣之内ふるさと寮)を、続いて1930(昭和5)年に校舎の北東に天理図書館(現天理大学附属天理図書館)を建設します。
写真をみると、校舎落成時には周囲に一切の植物は植えられておらず雑然としていますが、その後、校舎北側に少し植栽されているのがわかります。しかし、地面は土のままで、まだ周辺の整備は整っていない印象を受けます。
1932年の大改修
1932(昭和7)年11月11日におこなわれた陸軍特別大演習の実施にともない、天理駅から天理教教会本部、天理外国語学校、乗鞍山までの天皇が通過する道筋一帯すべてが大改修されました。
本学においては「全教挙げての努力により本校々舎、校庭は面目を一新するまでに新装をこらし、道路は改修され、校庭は造園されて芝生に蔽はれ、植樹に美装し、排水給水、配電の諸工事は完成し、校舎の内外は改装をほどこされました」(『開校十年誌』)
この陸軍特別大演習にかかる準備から当日の様子までを詳細に記録した『奉迎記録』の中に「天理外国語芝張造園標示図」があります。これは、校地内のどこに何を植樹したかを示した図です。この図と現在の構内を見比べ、当時の植物がどれだけ残っているかを長谷川氏のご協力を得ながら調査しました。
なお、『奉迎記録』の文中には造園担当業者より納入した「植樹及び芝」の一覧も記されていますが、造園標示図と一覧の樹木の種類や数が一致しないため、造園標示図は大凡で示されている部分もあるようです。
ソテツとその周囲
まずは、すでに樹齢100年を超えている、本学に植えられている植物の中でいちばん長老とみられるソテツについてです。
1号棟と心光館の間、創設者記念館「若江の家」の北側に、三濱善直氏の「Non Title」というオブジェがあり、その背後に隠れるように大きなソテツが植わっています。このソテツは昭和初期に当時の天理中学校(現天理教西2駐車場の位置)から外語に移植されたものです。
元は1916(大正5)年に初代真柱邸の完成祝いとして献上された鹿児島育ちのソテツで、その後天理中学校の校舎東南の隅、そして同校正門を入った正面へと移され、(『おやざといま・むかし』参考)1932(昭和7)年10月9日に現在の位置へ植えられました。
このソテツが植えられた位置は、当時の構内区画では、学校の正門である門柱を抜けるとほぼ正面に見える位置にあたります。また、陸軍特別大演習の際に天皇が自動車から馬に乗り換えるための場所として造られた鹵簿御立替所(東家)のすぐ北側にもあたり、来校者を出迎えるための美観的要素だけでなく、この鹵簿御立替所の目隠し代わりの衝立のような意味合いもあったと思われます。なお、鹵簿御立替所は1955(昭和30)年の時点ではまだ残されていたことが確認できていますが、その後取り壊されたようです。
当時の写真と標示図を見比べると、ソテツが実際に植えられた位置は標示図に示されている位置とほぼ相違なく、ソテツの周囲にはサツキやツツジのような木が植えられています。フェニックスが1本、白鳥華らしき木も数本確認できます。標示図にあるクチナシは写真ではその位置にはありません。フェニックスも1940(昭和15年)年の写真では確認できず、現在もありません。
ソテツ南側の楠は、標示図では3本ありますが当初から2本だけ植えられていたようで、現在でもこの楠は2本とも残っています。
ソテツがある区画の東側に建つ心光館は1990(平成2)年8月2日に竣工式がおこなわれました。標示図では、ソテツの区画の東側は数メートル幅の通路になっていますが、心光館を建設するにあたり、この通路部分も含めソテツのすぐ東側までの範囲を大きく削りとりました。この造成によってできた段差部分には石垣を積み、その上に転落防止の生け垣が造られました。また、ソテツ周辺の植え込みも同時に整備されたので、現在サツキやツツジがソテツの周りにありますが、これは1932年当時のものではなく、この時に新たに植えられたそうです。
創設者記念館「若江の家」のすぐ北側にある楠1本も樹齢が古いようです。ただし、標示図ではこの位置に楠の標示はありません。
1号棟正面
1号棟は外国語を学ぶために建設された洋風校舎で、その玄関前は異国情緒を感じさせるような雰囲気があります。
玄関前の車廻しの区画は、標示図ではアメリカパーム1本、フェニックスが2本の合計3本が横並びで標示されており、当時の写真でもそれらしき3本の木が確認できます。しかし1935(昭和10)年頃撮影された写真や、それ以後の写真をみても、この場所には標示された植物以上に本数も種類も多く植えられていることから、造園後早い段階で3本以上の植物が植えられたか、もしくは実が落ちて自生したとみられます。
現在は、1号棟の高さを超すほどに成長したパームが1本あり、その並びにはシュロが数本植えられています。このパームはおそらく当時のもので、並びのシュロは1949(昭和24)年以後に植えられたそうです。
現在の1号棟北側はたくさんの高木が育ち、ほとんど校舎の全容が見えません。特に目をひくのが1号棟の高さを優に超すヒマラヤ杉です。標示図ではヒマラヤ杉が10本以上ありますが、現在、標示図とほぼ同じ位置に育っているヒマラヤ杉は玄関すぐ西側のヒマラヤ杉2本だけです。また、ヒマラヤ杉と同様にかなりの高さまで育っているメタセコイヤも多くあります。標示図にはメタセコイヤはありませんが、これも同時期に植えられたものかもしれません。
その他、標示図には萩、檜葉、プラタナス、檜、桜、杉が記されていますが、当時の写真を見る限り、標示図ほどの数の木は植えられていないように見えます。例えば、プラタナスが玄関脇に9本密集して植えられていますが写真では見当たらず、校舎北西角あたりに1本の楠が記されていますが、これも写真には無く、現在はこの標示よりもう少し北側に2本の楠が確認できます。
1号棟北側はほぼ日光が当たらないので、日陰に弱い植物は早い段階で消滅したとも考えられますが、当時の写真と見比べても、1号棟正面は標示図とは少し異なる植栽がされていたように見受けられます。
1号棟裏
1932(昭和7)年当時、1号棟の裏にはボイラー施設などが入った2階建ての附属家が校舎と接続しており、その他物置小屋などがありましたが、ほかに大きな建物はありませんでした。
標示図によると、この広々とした空間には一面に芝が張られ、プラタナスやドラセナ、松、ヒマラヤ杉などが植えられています。
1935(昭和10)年、1号棟裏の東側に仮講堂(のちの伝道実習棟)が建てられ、その後、西側にもいくつか建物が建てられたため、この空間に植えられていた植物はほとんどなくなっています。そして2015(平成27)年には附属家を、2022(令和4)年には伝道実習棟を取り壊したため、1号棟裏はずいぶんと広くなり、景観も変わりました。
校舎沿いに植えられた桜、西側角あたりに植えられたヒマラヤ杉は今でも見ることができます。
附属天理図書館の周囲
標示図では附属天理図書館の正面玄関脇に南北それぞれ2本、南側の角辺りに1本のヒマラヤ杉があります。写真では、正面の4本のうち、右端の1本はヒマラヤ杉とは種類が違う木のようにもみえます。
現在では玄関脇のヒマラヤ杉は1本ずつ残っています。南側の角辺りのヒマラヤ杉は、昭和期の台風で倒木し今はその場所に銀杏があります。
附属天理図書館前には南北に2箇所の植え込みがありましたが、南側の植え込み部分には現在は駐輪場や黎明館があり、当初の半分以下の広さになっています。また、植え込みの中に現在藤棚がありますが、これはのちに作られたものです。毎年5月上旬頃、美しい藤を見ることができます。
標示図にある、この植え込みの中のパーム1本、ヒマラヤ杉2本は今も残っています。
現在、附属天理図書館と本館(研究棟)との間(図書館北側一帯)には様々な樹木が植えられ、森のようになっています。
ここには、元はそれほど樹木はなく、芝生広場のようになっている時期もありました。本館が1991(平成3)年に建つ以前に、この場所にあった野球場の騒音が図書館に届かないように樹木がたくさん植えられ現在のような姿になりました。
ただし、この中に育つ大きなヒマラヤ杉や銀杏は、この植栽以前より育っていたそうで、1972年の写真でもこの場所に1本のヒマラヤ杉と数本の銀杏が確認できます。
杣之内ふるさと寮の周囲
杣之内キャンパス内にあった杣之内ふるさと寮は2021(令和3)年に閉寮しましたが、建物は現在も残されています。
寮(当時は寄宿舎)は1927(昭和2)年に建てられ、本館と炊事場は創建当時の建物です。かつての木造の北寮・南寮・西寮はすでになくなり、西寮の場所は空き地になり、南寮は木造寮舎があったその場所で鉄筋コンクリートの寮舎に建て替えられ、北寮は本館北側に新たに建てられました。
1932年の整備の際に本館前庭や、道場(現天理高校第二柔道場)の北側の植え込みには多くの松が植えられました。道場は1956(昭和31)年に北側に増築され、1962(昭和37)年には鉄筋コンクリートの北寮が建設されたので、このあたりの植え込みはほぼなくなり松もなくなっています。
また、1993(平成5)年頃までは寮本館の前庭の松もたくさん育っていたようですが、松食い虫の影響でなくなったようです。
標示図によると、かつての木造建ての南寮と北寮の間には銀杏や桜、檜葉が植えられていました。現在は、鉄筋コンクリートの南寮の脇に、おそらく当時から育っているであろう檜葉が1本確認できます。
「植樹及び芝」の一覧には「馬邊樫/500本/語学校寄宿舎南側垣」(表記ママ)とあり、標示図でも南側に生け垣が造られていたことがわかります。現在もこの場所には当時から残っているとみられるウバメガシが確認でき、また同時期から育っているのではないかとみられる槇や桜もあります。
関連記事:百年史コラム(9)「天理学寮 杣之内ふるさと寮」はこちら
イチョウ並木
1932年の整備時、各植え込みの区画沿線にはイチョウ(銀杏)が植えられました。
『奉迎記録』には、銀杏600本が天理教高安部内東本分教会より献納され、うち400本が本学構内に植えられたとあります。標示図では「・」の印がイチョウを表していますが、区画沿線の至る所に配置されているのがわかります。
さて、2022(令和4)年から天理市内にて「ほこてんり」というイベントがおこなわれています。親里大路にあるイチョウ並木の道路が、いちばんイチョウが美しい時期に歩行者天国になるため、じっくりと紅葉を楽しむことができるイベントです。
近年、インスタグラムでも大変人気があるこの親里大路のイチョウ並木は、たくさんの方が写真撮影に訪れ、黄金色に染まったイチョウ並木を楽しんでいます。
この親里大路のイチョウ並木ができた経緯は、1933(昭和8)年、東西線の工事が着工され街路樹を選定していたとき、中山正善天理教二代真柱が「大阪の御堂筋でイチョウが育っているで、イチョウにせいよ」(『おやさといま・むかし』)と仰ったことがきっかけになったとあります。
つまり、本学構内のイチョウの植栽は、この前年にあたるため、親里大路よりも古くから整備されていることになり、実に90年以上の歴史を持つイチョウ並木です。
現在も秋になると、1号棟や附属図書館の周辺で美しいイチョウ並木を見ることができます。「ほこてんり」のイチョウ並木と共に本学構内の歴史あるイチョウ並木にも足を伸ばしてみてください。国の登録文化財に登録されている附属天理図書館と大正時代の趣を漂わせる県下最古の鉄筋コンクリート校舎(1号棟)がイチョウ並木と重なり、タイムスリップしたようなゆっくりとした時間が流れています。
1号棟西側の区画沿線は、イチョウが1列に真っ直ぐ並んで植えられ、その内側に檜葉も1列に並んで植えられています。一見するとわかりませんが、ある一定の位置から見れば、イチョウと檜葉が2列並んで植えられているのがわかります。これも1932年の整備の名残です。
1号棟周囲の区画の南西角にあたる部分は、現在は当時の区画とは変化していますが、かつての区画カーブに合わせて規則的に並べて植えられたイチョウ並木が残っており、当時の区画と通路の名残を知ることができます。
また道場及び寮の北側の植え込み区画沿線にあったイチョウも切断されていますが、その切り株から新たな芽を出し、当時のイチョウ並木の名残を伝えています。
このイチョウと、図書館前の駐輪場脇にあるイチョウ並木の間には金木犀が数本確認できます。この金木犀の樹齢は古そうで、また金木犀は自生しないので、おそらくイチョウと同じ頃に植えられたのではないか、とのことです。
3・4号棟前広場
杣之内キャンパスの3・4号棟前広場は多くの学生が行き交う場所です。
多くの授業がこの校舎でおこなわれ、広場にはコンビニがあり、テーブルと椅子が設置され、ベンチもあり、休憩や飲食スペースとして使われたり、また校舎北側へ通り抜ける通路にもなっています。
4号棟は1965(昭和40)年に、続いて1967(昭和42)年に3号棟が完成しました。外語の創立より40年間、メインとなる校舎が1号棟のみでしたが、3・4号棟の建設により、学長室、各事務室、教室が3・4号棟へ移転し、キャンパスの中心が3・4号棟へ移行していきました。
当初は広場は砂地のような状態で、自治会室や学科会室などが入る2棟のプレハブが建っていました。1980(昭和55)年の夏、広場一帯にアスファルトを敷き、プレハブは撤去され、現在ユーカリなどが植えてある場所に植え込みが造られ、その東側に駐輪場、現在の駐輪場の場所に駐車場が整備されました。1986(昭和61)年の秋に、駐車場だった場所を現在のように駐輪場として整備しました。
1990(平成2)年には売店「Ten Fifty」ができ、2017(平成29)年には、広場西側区域が新たに改修され、モダンな雰囲気に変わりました。
1980(昭和55)年に広場東側の植え込みを整備した際は、植え込みの形も植えてある木も現在とは異なりました。
最初はドラセナが植えられましたが、後に3・4号棟の大きさに見合うもう少し大きな木に植え替えようという考えから、ユーカリが植えられました。
1996(平成8)年の写真をみると、すでにこの場所には現在のように数本の樹木が植えられており、足下にもツツジなどの低木が植えられていました。
ユーカリがここに植えられた理由は、もうひとつあります。
前身となる天理外国語学校の創設者である中山正善天理教二代真柱は、「天理教を海外に広める人材を育てるためには言葉の習得だけではなく、現地の風俗・習慣もあわせて学ぶことが必要だ」と考え、様々な海外資料を収集します。こうして集められた資料が現在の天理大学附属天理参考館に収蔵、展示されています。そして同じく様々な種類の樹木も多く集められ、そのひとつとして、天理教教祖殿の近辺にたくさんのユーカリが植えられたそうです。
本学創設者(天理教二代真柱)の本学に対する思いを直接聞いてこられた長谷川幸三氏は、息子である佳孝氏に、その話をすべて伝えながら造園作業を続けてこられました。受け継いだ佳孝氏は、二代真柱の本学に対する思いを樹木に込めて、ここに教祖殿近辺のユーカリを移植したそうです。
この植え込みの区画は以前は台形のような形をしており、沿線にはベンチが置かれていました。ここで授業の合間に休憩したという想い出がある学生も多いのではないでしょうか。
2017(平成29)年には、広場西側区域を整備し、翌年秋には東側の整備がおこなわれました。Ten Fifty前の植え込みは少し縮小され、東側の植え込みの区画は丸く整えられました。また、樹木の足下にあった低木もなくなり、現在は全体的にすっきりした印象になり、大きなユーカリが目をひきます。
何気なく目に入ってくる高木ですが、すっかり広場に溶け込み、キャンパス風景の一部になっているので意識したことがないという人も多いかもしれません。
体育館前
杣之内第一体育館の正面は広い駐車場になっています。ここに、フェニックスと石人像2体が飾られた植え込みがあります。
石人像は1934(昭和9)年に校舎西側に建てられた朝鮮館の入り口付近にあったもので、その後設置場所を替えながら、現在の場所に設置されたことが収蔵写真で確認できます。
フェニックスは、神奈川県藤沢市から移植されたものです。
藤沢市にあった旧秩父宮別邸が売却され、その場所が天理教神奈川台分教会となった折に、敷地内にあった秩父宮お手植えの2本のフェニックスを移植することになったそうです。
1本は附属図書館南側に、1本は現杣之内第二体育館(1970年竣工)の前に植えられました。1992(平成4)年に杣之内第一体育館が竣工し、第二体育館前にあったフェニックスは現在の場所へ移されました。
体育館前の駐車場西南のカーブ部分は、1932年当時の区画がそのまま残っており、3本確認できる大きなヒマラヤ杉も当時のものと思われます。
また以前、体育学部キャンパスにあった体育館の前の植え込みには、芝生が張られ、背の高いパームが数本植えられていました。何気なく1号棟正面を思わせる雰囲気でした。現在この場所には総合体育館(2005年竣工)が建っています。
本館(研究棟)周辺
特に1号棟を中心として、杣之内キャンパス内のたくさんの植物とその歴史を紹介しましたが、まだまだたくさんの植物が本学キャンパスを豊かにしてくれています。
本館(研究棟)前庭にはクヌギ・イチョウ・ハナミズキ・ケヤキ・マンサク・イチイガシ・アラカシなどたくさんの種類の樹木が植えられており、中庭にも同様にたくさん植えられています。
本館(研究棟)の周囲には桜があり、春になると桜のトンネルが出来上がります。また、本学周辺には、石上神宮、布留川河川敷、天理教別席場前のシダレザクラなど、他にも美しい桜スポットがたくさんあります。
本館(研究棟)と2号棟の間のケヤキは、夏になるとちょうど良い木陰を作り、大学キャンパスらしい風景が広がります。
3・4号棟南側の通路にはモミジバフウが並んでおり、毎年秋になると美しい緋色で学祭を彩ります。
本学教養部が発行していた情報誌『TULIPS』の通巻21号(1995年)から42号(1998年)に、菅沼孝之先生による「キャンパス植物誌」(全15回)という連載があります。学内に植えられている様々な植物にスポットを当てて特徴や特性を解説されています。ぜひご覧ください。
参考資料
・天理教奉迎総務部記録係編『奉迎記録』上・下巻(天理教道友社 1933年3月20日)
・山澤為次編『開校十年誌』(1935年)
・平木一雄『おやさといまむかし』(1997年)
・天理大学百年史コラム(9)「天理学寮杣之内ふるさと寮」(https://www.tenri-u.ac.jp/100/column/q3tncs00001yvf1r.html)
・「ほこてんり」ホームページ(https://hokotenri.net/)
・『天理大学広報』67号(1980年12月1日)
・天理大学広報誌『はばたき』38号(2017年2月10日)
・天理大学附属天理参考館ホームページ(https://www.sankokan.jp/)
・黒岩康博「キャンパスと植生-天理外国語学校における昭和7年の大改変-」『文化遺産と大学キャンパス 平成30年度天理大学 学術・研究・教育活動助成研究成果報告』(天理大学 2019年3月31日)
(年史編纂室 吉村綾子)
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