本学では毎年2月にリーダーズキャンプ(通称リーキャン)がおこなわれています。
このリーダーズキャンプは、学内の各団体の代表者が集まり、リーダーとしての資質向上を図り、相互の親睦を深めることを目的としています。
実に59年前の1964(昭和39)年から始められ、今年で58回目を数える本学の伝統ある行事のひとつです。(2021年・2022年は中止)
自治会が作成する毎年のパンフレットに書かれた名称は、初回から長年の間は「リーダース」(「ス」濁点なし)と表記されていましたが、1999年頃から「リーダーズ」(「ズ」濁点あり)が混同して表記されることが多くなりました。近年はほぼ「リーダーズ」(「ズ」濁点あり)が使用されています。
そのため、本文中でも名称が混在しています。
本文最後に、各回の写真を掲載していますので、是非こちらも合わせてご覧ください。
初めてのリーダースキャンプ
1964年当時の本学規程では、大学学生自治会(心光会)には、文化総部として、E・S・S、ウエスタン、演劇、音楽、華道、雅楽、茶道、新聞、文芸、弁論、ワンダーフォーゲルの各部が、体育総部には、空手道、弓道、剣道、柔道、水泳、体操、卓球、庭球、バレーボール、馬術、ホッケー、野球、ラグビー、陸上競技、バスケットボールの各部、別に応援団が属しており、大学学生自治会(心光会)は、自治活動一般および課外における文化、体育の普及と向上につとめているとしています。
1949(昭和24)年に天理大学が発足し、大学の成長にともない、各クラブも着実に成果をあげ、発展していきましたが「各クラブ相互間の交流もなく、中には学生部当局、そして自治会執行部との緊密な意思疎通もなされず、充分なつながりに欠ける面もある」(「第1回天理大学リーダース・キャンプ報告書」より)という状況もあり、それを改善すべく、初めて1964年にリーダーズキャンプが開催されることになりました。また同年は、田井庄(現体育学部キャンパス)の高知大教会信者詰所の建物を体育学部の校舎として使用し、体育館も建設して体育学部を全面的に移転した年でもあり、学生自治会が拠点を置く杣之内とは物理的な距離が広がってしまった時期でもあります。
第1回目の開催の様子
一行はバスで大学を出発し、大津ユースホステルセンターに到着しました。
まずは岸学長の挨拶があり、自己紹介に続き、午後から藤本藤次郎教授の講演がありました。旧制大学にはみられなかった新制大学の特色などについての講演内容は、時代背景を感じさせます。
初日は「お互い初顔の者も多く(中略)スムーズさを欠くものがあった。しかし、夕食・入浴を共にする頃から漸く固苦しさもほぐれつつ」と、少しずつではありますが、お互いに話し合えるようになってきた雰囲気が記されています。
翌日、分科会に分かれ「課外活動の意義、本質について」討議します。その後、パネルディスカッションをおこない、午後から再び分科会の討議、報告ののち、全体討議をおこないました。この日の反省会では「討議が予想以上に、熱心かつ充実して行われた」と振り返っています。
最終日には、全体の反省会がおこなわれ、「予期以上の成果があり」「この種の催しの継続と発展を望む声が圧倒的であった」とあり、アンケート集計では、「参加してどの程度満足したか?」の問いに対する答えに「非常に」「かなり」満足したという人が全体の半数以上を占めました。
午前10時半には会場をあとにし、三井寺、近江神宮の見学、琵琶湖文化館内にて昼食会、午後は石山寺、伏見城と、名所見学をおこなってから午後5時半に全員無事に大学に帰着し解散しました。「帰路のバス車中は、全員すっかり打ちとけて、合唱々々の連続」とあり、2泊3日かけて食事、起居を共にするからこそ、うちとけた上で議論できるリーダーズキャンプとなったことが想像できます。
かかった費用は128,700円で、大学より79,300円の補助費が出ています。
開催時期の問題
第1回目の開催は、4月2日~4日の3日間でした。同年の入学式は8日におこなわれ、2年生以後の学生は9日が始業日となっています。このように学生らが新しい年度を迎える直前の時期に開催した理由として、夏休みでは各部が合宿やその他の行事を予定していること、新学年度当初の方が、自治会の実質的活動期間の始まりであり、リーダーズキャンプの趣旨からみても適当な時期であることから判断したようです。
開催にあたり、各クラブ役員(キャプテン・マネージャー等の役員)に参加の回答を求めたところ、文化総部はE・S・S部以外は出席予定でウエスタンと茶道は1人ずつ、他は2人ずつ出席、計18名が出席との回答でした。体育総部においては剣道、柔道、馬術、バスケットボール、バレーボールの各部が欠席で、他の各部は2名ずつ、計19名が出席予定との回答でした。
実際の開催時には、クラブから26名、自治会からは12名、学生部職員4名の計42名が参加しました。
事前の回答より実際の参加人数が減少した理由は、最終日の反省会にて提出された参加者のアンケートからみえてきます。「事前の通知の中にあった研究課題が抽象的で予備研究の意欲がわかなかった」「時期的に悪いと思う、体育関係の合宿がザット数えてみると9チームもあった。これではリーダーとしては板ばさみになるので、もっと考えるべきである」「合宿中のこの期間に行うのは一考を要する」とあることから、開催側の準備不足、そして開催時期の問題が原因のひとつだったようです。
準備不足という点においては、具体的にどのような内容にすれば良いのか議論を重ねているうちに開催日が近づき「かくなる上はぶっつけ本番だが、とにかく各人の努力とお互いの協力でやるだけだと決意を固めて」(『ふるさと会報』第11号)実施したと回想していることから、なかなか充分な体制で臨めなかったのも事実のようです。
このように第1回目の反省を受け、2回目以後は開催時期は見直され、以来1度も4月におこなわれたことはなく、ほぼ毎年2月中におこなわれています。
ただし、1976(昭和51)年第13回は、天理教の教祖90年祭におけるひのきしんの関係から、開催日程を3月に変更し、各部の合宿などを考慮し、市内にある天理教の那美岐詰所にて1泊2日でおこなわれました。このように、10年ごとにおこなわれる天理教の年祭がある年は様々な都合上、例年通りに行うことができないことが多く、1986(昭和61)年も同様に3月に開催しており、2006(平成18)年は研修は学内にておこない、宿泊は高知詰所でおこなわれました。
また1988(昭和63)年第25回は、予定していた施設の急な工事により、日付場所を変更したとあります。
自治会にとって初の大仕事
毎年12月に新年度の自治会(心光会)総務委員長を決定し、その後10名ほどの学生が自治会総務委員として選任され、総務委員長を筆頭に、副総務委員長、事務局長、そして文化や体育などの各総務部長、会計や渉外などの部長が取り決められ1年間の自治会活動をおこないます。
新しい自治会にとって2月におこなわれるこのリーダーズキャンプは初の大きな仕事になります。その後、11月におこなわれる大学祭が最後の大仕事となり、翌月に新たな総務委員長が決まるというサイクルになっています。
しかし、2月にはまだ総務委員全員が決定していることも少なく、様々な準備が必要なリーダーズキャンプを自治会だけで乗り切ることは難しく、毎年実行委員会を立ち上げ、実行委員長がリーダーズキャンプを取り仕切ります。第2回から変わらずこの形式でおこなわれています。また開催には応援団(現在はチアリーダーのみ活動中)の協力があってこそ、開催できた時期もありました。
1977(昭和52)年第14回のパンフレットからは、自治会の各総部長がこれから1年間活動をするにあたっての抱負が掲載されています。リーダーズキャンプは、自治会員にとって最初の大きな仕事であるとともに、これから1年間各クラブや学科を引っ張っていくリーダーたちとのつながりを強固にする場でもあります。そのため、このように各総部長からの決意を表明する意味で抱負を掲載していたのでしょう。こうした形式は1992(平成4)年第29回まで続けられました。この年は、大規模な改組がおこなわれ、学内の組織が大きく変化した時期でもあります。
参加者の変化
第3回目の開催の様子を伝えた『天理大学新聞』37号では、同好会も参加すべきだと主張していますが、同好会の参加がみられるのは1976年の第13回からです。
よふぼく会(学生信仰団体)に関しては、『天理大学広報』45号では、第14回に参加があったと記録していますが、当時の参加者名簿によふぼく会の名称はなく、名簿で確認ができるのは1981(昭和56)年第18回からです。
また、現在は各学科会の会長も参加していますが、もともと自治会組織に属する各クラブと自治会執行部との緊密な意思疎通を図ることを目的のひとつとして開催されたので、自治会組織には属さない各学科会は参加していませんでした。しかし、1974(昭和49)年の第11回に一度、各学科会長が参加しますが、その後は再び各クラブのみの参加となり、1978(昭和53)年第15回から各学科会の会長も参加するようになります。この参加に関して同年のパンフレットの挨拶文には「今回は特に、自治会組織下にはありませんが、各学科会の代表者にも参加して頂き、学科会間の横のつながりを持てればと思います。マスプロ大学にはない、我々天理大学のメリットを充分考えた上、学生の自主的活動であるクラブ・学科会の発展、ひいては、天理大学の発展を目指してこの機会を大いに生かしていこう」とあります。
「リーダーとは」を問うだけではない
1980(昭和55)年第17回からは、「交流の少ない南棟と田井庄間のつながりを密にしていただく」という内容も開催目的のひとつに含まれています。文学部や外国語学部が学ぶ南棟校舎(杣之内キャンパス)と田井庄にある体育学部キャンパスでは、物理的に距離があることから、同じ大学内でありながら学生間の交流の場が少なくなっているため、それを改善するべく、リーダーたちにこうした問題も投げかけています。ただ、この問題は長年、本学を悩ませており、2015(平成27)年度の自治会総務委員長も、のちに総務委員長時代の思い出として、「南棟生と学部生が仲良くなれるように橋渡しとなって、リーダースキャンプの運営をおこなった」と述べるなど、どの時代においても改善すべき点として認識されています。
こうしたキャンパス間における交流の問題だけでなく、リーダーズキャンプでは毎年、その時、その時代ごとのテーマが盛り込まれ、自分たちの身の回りに起こっているそれぞれのテーマにどのように対処していくべきかを全員で考え、話し合う場となっています。
講演では、リーダーについてのテーマはもちろん、1974(昭和49)年から同和教育をテーマにした講演、そして映画鑑賞もおこなわれるようになりました。1970(昭和45)年2月28日に本学において同和教育委員会が発足し、同年4月より同和教育の教科課程が設置され、同和問題研究室が設けられました。また、この頃は全国的に学生運動が盛んにおこなわれた時期でもあります。こうした時代背景などが影響していると考えられ、その後も人権に関する問題など、必要に応じた講演がおこなわれるようになっていきました。
講師は学内の教授が大半を占めますが、例えば1992(平成4)年第29回には、株式会社ダスキン代表取締役駒井茂春氏、2015年(平成27)年第52回には、JESCOホールディングス株式会社代表取締役社長柗本俊洋氏、2020(令和2)年第57回には総務大臣高市早苗氏を招聘し、学外からの講師による講演もおこなわれてきました。
1987(昭和62)年、本学校歌が制定されたことを受け、校歌を学生全体に周知する目的をもって翌年から校歌の練習時間がスケジュール内に組まれるようになりました。1995(平成7)年第32回からは逍遙歌の練習も加わり、パンフレットには校歌・逍遙歌・天大音頭(数年間のみ掲載)の歌詞も掲載されるようになります。近年は、スポーツ試合などで学歌が歌われることが多くなり、リーダーズキャンプにおいても学歌の練習をしています。
おもしろくないけれど、結構おもしろかった
全体的な内容の流れは第1回目から大きくは変わらず、2泊3日の日程で、学内もしくは学外から講師を招いて講演を聴講し、参加者は数班に分かれてテーマに沿って議論し、最終的に全体発表をして終了します。
第35回の実行委員長の挨拶では「一年前、僕も参加しました。内容は確かにおもろないです。けど結構おもしろかった。それはなぜかと考えた結果、自分の気持ち一つ、楽しもうとする気持ち、また、これからリーダーとして他の人の話しを聞いて考えたりすることからの充実感などからくるものだと思いました」と前年の参加における率直な感想を述べています。
リーダーズキャンプは、リーダーとしての自覚と資質を養い、参加者の親睦を図り、課外活動を発展させるためというのが目的であり、会場も研修を目的とした施設であるため、宿泊に関しても厳しい規制があります。
しかし、こうした目的を達成するためにも、参加者同士がお互いのこと、そしてそれぞれが所属するクラブや学科会などの団体内容を知り、打ち解け合えることが必要不可欠です。
そのためにも、開催側は様々な工夫をこらしてリーダーズキャンプを盛り上げてきたことが、パンフレットをみるとわかります。
例えば、1970(昭和45)年第7回はダンスパーティー、1971(昭和46)年第8回は「歌集」を配布して、その中のリクエスト曲を歌う。「歌集」は、「天理大学逍遙歌」に続き、「花嫁」「京都慕情」「走れコータロー」など、当時の流行歌や「赤とんぼ」「山羊さん郵便」といった歌いやすい童謡など、最後は「天大節」で締めくくられています。1972(昭和47)年第9回はキャンドルサービスなどが交歓会でおこなわれています。
1976(昭和51)年第13回からは1日目に自己紹介と団体紹介がおこなわれるようになり、1977(昭和52)年第14回からは2時間のレクリエーションも盛り込まれるようになります。それまでは参加者の名前と所属先だけを書いた名簿がパンフレットに掲載されていましたが、1994(平成6)年第31回からは、各個人や団体のPRや得意なことなどを書き込んだ頁が掲載されるようになりました。さらに同年から毎年開催にあたってスローガン(のちにテーマになる)を掲げるようになりました。
第36回の実行委員長挨拶に「皆さんも先輩などから聞いていると思いますが、退屈な所が確かにありました。(中略)いきなり皆さんが他人と同じ班にさせられいきなり難しい話をしろと言われても話が進まず嫌な時間を過ごすことになってしまってました。そこで、皆さんが仲良くなれて、このリーダーズキャンプをきっかけにリーダー同士の交流が深まり、それが学校全体をもりあげることにつながるのではと考え充実したリーキャンを用意しました」とあります。
こうして、回を重ねるごとに、昨年までの反省や新たな内容を模索しながら、リーダーズキャンプは発展してきたことがわかります。
2003(平成15)年頃から、バレンタインの時期という意味合いから気の合う相手を探す企画も行われるようになりました。
このリーダーズキャンプを通して、それまで交流できる場がなかった他クラブ、他学部、他学科の学生と友達になることができた、仲良くなるきっかけになったという声は多く聞かれます。そして、リーダーたちの横のつながりができることで、彼らが所属するそれぞれの団体同士にもつながりが広がっていくということも、このリーダーズキャンプの大きな目的となっています。
開催場所の変遷
開催場所は、当初は大津ユースホステルセンターでしたが、経費削減を理由として県外から県内へと場所を移し、第11回、第12回は奈良県野外活動センター(奈良市都祁吐山町)になっています。
1978(昭和53)年から1984(昭和59)年までは、市内の天理教那美岐詰所で、1985(昭和60)年から1992(平成4)年までは京都府立ゼミナールハウスでおこなわれました。1993(平成5)年の第30回リーダーズキャンプは、前年までの場所が改修により使用できなくなり、奈良県吉野町の辰巳屋旅館で開催されました。これまでで唯一旅館で開催された年です。
1994(平成6)年から近年に至るまでは奈良県宇陀郡曽爾村にある国立曽爾青少年自然の家で開催されていました。曽爾は冬期は積雪もある地域のため、1994年以後の参加者は寒い中でリーダースキャンプに参加したという印象が強いかもしれません。
それまでは1日目の朝から会場に向かって出発していましたが、2015(平成27)年第52回は、学校に集合したのちふるさと会館にて開会式がおこなわれ、会場へ出発するのは午後になっています。
2年間の中止
2020(令和2)年1月、世界中で新型コロナウイルス感染が拡大し始め、本学においても同年1月30日に第1回目の注意喚起が出されましたが、同年2月10日からのリーダーズキャンプは開催することができました。
翌年も2月9日から3日間、国立曽爾少年自然の家にて開催される予定ではありましたが、2020年12月に近隣県の流行拡大、大阪府における「医療非常事態宣言」の発出、本学の活動基準がフェーズⅢに引き上げられたことを受け、課外活動の合宿は原則不可と取り決められ、同年のリーダーズキャンプは中止となりました。57年間で初めての中止でした。
さらに翌2022(令和4)年も、宿泊をともなう開催は厳しい状況にあり、1日だけの学内でのリーダーズキャンプも検討されましたが、最終的に開催することはできませんでした。
そして2023(令和5)年2月10日、宿泊せず1日のみ学内にて、という例年とは異なる形とはなりましたが、2年の中止を乗り越えて開催することができました。
2023年4月に、天理医療大学と統合し、本学に医療学部が新設されました。2024年2月におこなわれるリーダーズキャンプでは、新たな学部も加わり一層発展したリーダーズキャンプが開催されるでしょう。
写真集
以下は各回の開催時の写真です。年史編纂室に写真を所蔵していない年代もあります。
また、広報誌『はばたき』などの刊行物に掲載された写真が多いため、不鮮明な写真が多くなっています。もし、写真をお持ちの方がいらっしゃれば、ご提供をお待ちしております。
本学の情報誌『はばたき』に2012年と2016年のリーダースキャンプの特集があります。以下のリンクよりご覧いただけます。
漫画などでとてもわかりやくまとめてあります。
参考資料
- 『ふるさと会報』第11号 1964年8月20日
- 学生部所蔵 各回リーダーズキャンプ綴
(年史編纂室 吉村綾子)
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