歴史学研究コースでは、天理市内などの文書を借用して学生とともに整理に当たり、古文書目録を発行し、地域の文化財の保存に貢献してきています。これまで、東井戸堂町(2014年)、渋谷町(2016年)、北菅田町(2017年)、檜垣町(南檜垣、2018年)、小田中町(2019年)、桜井市・高瀬家(2022年)の文書目録をまとめました。今回は7冊目となる、天理市山田町・久保家文書の報告書を発行しました。
山田町・久保家文書は、かつて有志の方々により整理されていましたが、完全には終わっていませんでした。その調査を引き継ぐべく、2019年4月に研究室に借用して、歴史学研究コースの実習授業である「日本近世史料実習3・4」のなかで、学生と共に整理を続けてきました。途中、コロナ禍により中断していた時期もありましたが、本年、報告書の刊行にまでこぎつけました。この間、文書撮影や調書の入力作業にあたった者を含め、計22名の学生が参加しました。
総点数は約4200点で、江戸時代の大和国山辺郡下山田村(天理市山田町)の17世紀後半以後の地域の動向が示されます。近世では、津藩(藤堂藩)の山城大和領の運営とりわけ年貢徴収や、運営の中核になった無足人(大庄屋)の職務、19世紀の人口動態などが明らかになります。近代では、廃藩置県により藩から県へ支配形態が変更された際に従来の慣行の変更に伴って生じた混乱、日清・日露戦争と山田の人々の関わり、明治後期にまとめられた地域の歴史顕彰に関する史料が残っています。(幡鎌一弘)
『天理市山田町・久保家文書調査報告書』(目次)
刊行にあたって
天理市山田町久保家文書概要(調査の経緯、久保家、「先祖より由緒覚」にみる無足人・大庄屋の活動、久保家文書からみる下山田村) 幡鎌一弘
久保家文書に見る山田・福住の近代 黒岩康博
文書目録