
このコラムは天理教道友社発行の「天理時報」に掲載されているコラムで、島田勝巳准教授が執筆しています。
閏年は“五輪の年”であり、米国においては大統領選挙の年でもある。今回は民主党で現職のオバマ氏が、共和党選出の候補を迎え撃つ形になる。8月末の共和党大会で正式な候補が決まり、11月にはオバマ氏との間で大統領の座を争う。
最近までは、最有力候補であるミット・ロムニー氏の、予想外とも言える足踏み状態が続いていた。一方、上院議員で保守派のリック・サントラム氏は、先ごろ撤退したものの、ロムニー氏の対抗馬としての地位をほぼ固めていた。
サントラム氏急浮上の背景には、共和党内で穏健派とされるロムニー氏が、保守層からの信頼を勝ち得ていないという実情があった。対照的に、熱心なカトリック教徒であり、臆面もなく自らの信仰について語るサントラム氏には、保守層を中心に共感が集まっていた。
そのサントラム氏は、米国史上唯一のカトリックの大統領であるJ. F. ケネディ氏を厳しく批判する発言をして話題になった。ケネディ氏に対しては、選挙戦当時、「大統領になればローマ教皇に政治的判断を委ねるのではないか」という、氏のカトリック信仰を揶揄するような声があった。そうした危惧に対して、ケネディ氏は1960年、自らは米国の国是である「政教分離」の理念を決して侵さないと断言したのである。現代米国史の中の有名なエピソードの一つである。
サントラム氏は先ごろ、同じカトリック信者であり、また米国史上最も人気の高い大統領の一人でもあるケネディ氏のこの発言を、「吐き気がする」として一蹴した。ケネディ氏の発言が、信仰を職務に反映させないことを国民に“宣誓”したものであったのに対し、サントラム氏の発言は逆に、職務にも自らの信仰を積極的に反映させるべきことを強く訴えたものであった。
ケネディ氏が生きた1960年代半ばまでは、プロテスタントが米国文化の支配的な位置にあった中で、カトリックに対する偏見がまだ根強かった。また当時は、現在のように大統領選で候補者が自らの信仰について語ることは稀であった。ところが1970年代後半以降、宗教が政治化し、政治が宗教化する傾向が強まり、大統領候補が自らの宗教的価値観を表明することが半ば常態化したのである。
さらに現在では、カトリックも米国キリスト教“主流派”の一つとみなされるようになり、特にその保守的な社会的価値観ゆえに、カトリック教会は福音主義的プロテスタントと結びつき、“宗教保守”の重要な一角を占めるに至っている。
サントラム氏の発言は、カトリック教会を中心とした米国内のこうした宗教・政治的状況の変化を背景としたものとして理解することができるだろう。
“あの日”からちょうど1年になる。
テレビなどでも報じられてきたように、東日本大震災直後から被災地では、官民を問わず、さまざまな規模での救援活動・ボランティア活動が展開されてきた。
多くの宗教団体も、それぞれ積極的な救援活動を行なった。仏教諸宗派をはじめ、キリスト教諸教会や新宗教団体も多く名を連ねている。本教でも、専門家の間では「質・量ともに自衛隊に次ぐ」と評される「災害救援ひのきしん隊」を派遣し、大規模な救援活動を展開した。
また、教団単位の組織的な支援活動に加え、個人や教会・グループ単位でも、多くの宗教的ボランティア活動が繰り広げられた。寺や教会などの宗教施設の多くも、被災者の避難場所や救援活動の拠点として開放された。
宗教団体や宗教者によるこうした活動については、その実態の割にはメディアがほとんど取り上げることがなかった。この傾向はいまでも続いているが、阪神淡路大震災のときと比べると、多少の変化の兆しを見ることもできる。
その背景には、阪神淡路大震災とオウム真理教事件が起こった1995年以降、メディアやアカデミズムの領域で、“宗教の公益性”に対する関心や期待が徐々に高まってきたという事情がある。「無縁社会」ともいわれる今日の日本社会で、宗教が果たすべき役割に、なんらかの期待が寄せられつつあるのもうなずけよう。
実際に宗教研究の分野でも、この10年ほどの間に「社会参加する宗教」や「宗教の社会貢献」といったテーマが大きく浮上してきた。また今回の震災を機に、宗教者と宗教学者が連携して「宗教者災害支援連絡会」が立ち上げられた。宗教・宗派の違いを超えて、宗教者・宗教団体による災害支援の情報交換を行い、それぞれの活動の拡充を図ろうというものである。
一方、信仰者の側からすれば、自分たちの行動は「ボランティア」や「社会貢献」といった意識のもとではなく、信仰者として日常的に実践する人だすけの延長としての行動であったはずである。信仰者にとって救援活動は、教えの具体的な発露以外の何物でもないだろう。
メディアやアカデミズムを中心に、特定教団の外部から、教団的な壁を越えた形での宗教の公益性への期待が高まりつつある中で、宗教の側は、教えに基づく社会的実践をいかに展開させていくべきなのか。直接的な布教活動との関係をいかに捉えるべきなのか——。
今回の震災を機に、信仰に根差した実践も、すでに新たな局面の中で、新たな課題を担い始めているのかもしれない。
今年は世界の主要国で指導者の選挙が行われる年である。すでに台湾では、1月に総統選挙が実施され、現職の馬英九(ばえいきゅう)総統が再選を果たした。
今後3月にロシア、4月から5月にかけてフランス、11月にアメリカ、12月に韓国で大統領選挙が行われ、10月には中国で新体制が発足する見通しである。国際的に大きな〝節目の年〟だといわれるのもうなずける。
いずれの国でも、選挙における議論の焦点は経済の立て直しにあり、直接的に宗教に関(かか)わる問題自体が国民の主要な関心になることはないだろう。
とはいえ、経済にせよ宗教にせよ、それ自体で独立した領域を成すものでもなければ、一つの国家や地域に限定された問題でもない。経済問題と宗教問題は密接に絡み合う。しかもそれらは、国家の枠組みを越えたグローバルな動きでもある。
たとえば、経済の問題が移民問題と連動し、さらには宗教の問題にもつながっていることは、フランスなどのEU諸国における近年のイスラームをめぐる動向が見事に物語っている。
そのように見れば、主要諸国における指導者の交代が、間接的・潜在的にではあれ、宗教的な問題になんらかの影を落とすことは十分にあり得る。
昨年、アラブ世界を席巻した「アラブの春」のその後の情勢を見れば、エジプトでは選挙で新議会が発足し、イスラーム穏健派と厳格派の政党がそれぞれ第一党と第二党になっている。イスラーム主導の民主化の試みに対し、アメリカを中心とした西欧諸国が今後どう対応していくのかが注目される。
さらに、シリアの今後の行方や、イスラエルとイランの緊張関係の打開策など、宗教的背景に深く関わる問題は、国際社会に山積している。仮にアメリカ大統領選で共和党候補が勝利すれば—少なくとも表向きには—オバマ氏とは異なった姿勢でこうした動向に臨むことも考えられよう。
いずれにせよ、ただでさえ複雑な国際情勢の中で、宗教的な諸事象の動向はますます把握し難いものになっている。だが、個別の事象をそれぞれの文脈の中で捉えると、それらが大きな潮流の中で相互に関連していることが見えてくる場合がある。
主要国の指導者が交代する可能性がある今年は、そうした従来の流れが見えやすくなる年でもある。その意味では、今年は宗教リテラシーを深めるうえで、興味深い年になりそうである。