天理教の三原典のひとつである「おさしづ」。
日常の身近な出来事から世界の出来事に関することまで約2万もの神様からの「助言」が収められています。
原文を読むことがなかなか難しいと言われる「おさしづ」から、私たちはどんなことを学べるのでしょうか?
今日のナビゲーターは、人間学部宗教学科の深谷耕治先生。
「おさしづ」の講読を通じた"DISCOVERY"について聞きました。
天理教を信仰する人にとって、「おふでさき」や「みかぐらうた」は子どもの頃から触れる機会が多い原典です。その一方で、現代の言葉遣いで書かれていない「おさしづ」の原書をしっかりと読んだことがある人は多くありません。
深谷先生は宗教学科で「『おさしづ』を読む ―読解の基礎と探究―」という授業を担当していますね。
改めて、「おさしづ」とはいったいどのようなものなのでしょうか?
「おさしづ」は、神様からの「指図」を意味します。教祖と本席様を通して神様が語ったことを、周囲が筆記し、あとから本のかたちに整えたものが「おさしづ」に当たります。
なるほど。「おさしづ」の原典を読むことが難しいのは、なぜでしょうか?
当時はレコーディングもないので速記で書かれており、方言や昔の言葉で書かれていることも一般の人が読むのを難しくしています。そもそも神様の言葉なので人間が理解するのは簡単ではありませんし、速記なので聞き漏らしがあったりもします。
「おさしづ」には、どんなことが書かれていますか?
主に2種類あり、神様のタイミングで語りかけられたものを記した「刻限話」と、人間のほうから質問する「伺いのさしづ」に分かれます。内容はさまざまで、たとえば「縁談についてどう思うか」という結婚に関するものがあれば、病気や健康に関する問いもあり、また戦争や世界について尋ねるようなものもあります。
私が担当する授業では、代表的なおさしづを学生自身が口語訳しながら、おさしづの役割やそこに込められた神意について考えていきます。
ここで、今日のDISCOVERY
普段からの「聞く姿勢」が、宗教を学ぶうえで重要。
授業を通じて、どんなことが学べるのでしょうか?
天理教を信仰する学生にとってはもちろん、宗教学を学ぶ学生にとっても有意義な視点が得られる授業です。特に、「人の話を聞くこと」の大切さを実感する授業になると思います。相手の言葉を理解するためには、その背景や気持ちまで知ることが必要ですし、同じことを言っていても意味が反転することだってありますよね。
言葉のなかにある想いに向き合う時間になるのですね。
授業では、たとえば学生に「普段どんなアドバイスをもらっていますか?」という質問をするんです。アドバイスをもらうとしたら、信頼できる人からにしますよね。言い換えれば、信頼する気持ち・相手に伺うという姿勢があってこその相手の言葉です。聞く気がある人とない人では、相手の言葉も変わってくるはず。相手だって本当は色々言いたいけど、まあ調整してある程度だけ伝えておこうかな、とか。一方で、この人はとても熱心だから本音を伝えてみよう、とか。神様の言葉でも、それは同じはずです。
そう考えると、「おさしづ」を理解するためには、助言を求める姿勢・聞く姿勢がとても大切になるのですね。
授業では、おさしづの啓示を受けた飯降伊蔵様の旧家を訪ねて子孫の方に直接お話を聞く、貴重な機会も設けています。普段から心の機微に敏感に、話をしっかり聞く姿勢を大切にしたいですね。
天理大学では、知への探求を通じ、新たな「DISCOVERY(気づき)」を得られる機会を提供しています。
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人文学部 宗教学科
深い宗教的知識で、共生社会に貢献する