校舎落成と創立10周年記念【天理大学百年史コラム(31)】 2024.07.02 天理大学百年史

2025年、天理大学は創立100周年を迎えます。
99年前の1925(大正14)年4月25日、天理外国語学校及び天理小学校、天理幼稚園の開設披露式がおこなわれ、本学の前身となる天理外国語学校が誕生しました。翌26年10月28日には校舎(現天理大学1号棟)の落成式がおこなわれ、1935(昭和10)年には創立10周年を迎えました。
それぞれの記念行事や記念品についてご紹介します。

校舎落成記念

天理外国語学校の校舎は1925(大正14)年8月31日に竣成し、10月28日に落成式がおこなわれました。

奈良県下で戦前までに造られた鉄筋コンクリート造りの学校建築はいくつかありましたが、現在ではほとんどが失われ、この天理大学1号棟が鉄筋コンクリート造の建築としては奈良県下最古であり、また、1号棟のようなロマネスク風の学校建築は、日本全国においてもほとんどが失われていることからも、非常に希少な建物となっています。
いくつかの装飾が失われている部分はあるものの、当時の校舎の姿をほぼ、そのままの形で今に伝えています。

落成式当日の1号棟
現在の1号棟

当時の落成式に関する史料が年史編纂室に保管されています。
式場略図、落成式次第、天理外国語学校学則、天理教教勢統計表(大正14年12月末日現在)、教室を来賓控室とした割当図、落成式当日来賓係役割表、天理教地場案内冊子、大正15年10月28日天理外国語学校落成記念各校連合大運動会プログラム、創設者中山正善告辞、外語徽章説明書、大正15年10月16日発刊の『道乃友』、これらが「本校落成式参考物(永久保存)」と書かれた封筒に入っており、当日の来賓者に配布された物や関係書類だということがわかります。
また招待者名簿をみると、奈良県庁関係者、奈良県会議員、各専門学校長、新聞記者、工事請負橋本組関係者、丹波市町関係者、丹波市町会議員、丹波市各区長、三島区会議員、山口区会議員がそれぞれ招待されており、1号棟の設計を手がけた武田五一と岩崎平太郎の名前もありますが、武田は欠席、岩崎は出席と書き込まれています。
名簿の招待者のほかに、天理教内者、学校関係者など総員約1500名が当日の式典に参加したと『開校十年誌』にあります。

「天理外国語学校落成記念」絵葉書
「天理外国語学校落成記念」絵葉書

このほか、「天理外国語学校落成記念」の絵葉書が2枚、校舎を模した置物1点があり、これらも当日、記念品として配られたのではないかと思われます。
落成記念の絵葉書は、1枚には校舎の遠景、もう1枚には校舎内の写真が掲載されています。校舎内の写真はそれぞれ、天理教の教紋である梅鉢、天理外国語学校の校章、そして地球儀と思われる丸い型の中にデザインされています。

校舎の形をした置物は長辺が約13センチで、手の平に乗るくらいのサイズです。上部には「天理外国語学校」「落成記念大正十五年十月」とあります。その脇には小さな刻印があり、これについて過去に調査した覚え書きによると、これは「仁呂」と記されているとあります。「仁呂」とは、彫刻家の服部仁郎とみられ、彼が手がけたのではないかと考えられています。服部仁郎は図書館の石上宅嗣朝臣像も製作しています。
この置物の仕様などについて書かれた当時の資料が残っておらず、『開校十年誌』にある「記念品の件、外語校舎の模型を鋳物にインク壺としたるもの、但し館長様の御発案に準じて制定」と書いた一文のみが唯一の参考資料です。ただ、現物は鋳物ですが、インク壺ではないため、飾ることを目的とした置物か、もしくは文鎮ではないかと考えられています。

創立10周年記念

1935(昭和10)年4月、天理外国語学校創立10周年記念式及び祝賀会は5日間にわたって次のようなスケジュールで盛大におこなわれました。

4月23日
 午前10時 記念式
 午前11時半 宴会(884名招待)
 午後7時~10時 講演会
4月24日
 午後1時~4時 語劇大会
 午後7時~10時 語劇大会
4月25日
 午前10時 物故者慰霊祭
 午前11時 ふるさと会
 宴会(現職員・卒業生・在校生709名招待)
◆4月23日~27日まで海外資料展覧会開催(23日は来賓に、24日からは一般に公開)

10周年を記念した大きな事業のひとつとして『開校十年誌』の刊行があげられます。
『開校十年誌』は三部に分冊されており、第一部が天理外語の創立から10年間の経過について、第二部が各クラブの10年間の経歴ですが、製本搬入の遅れのため25日のふるさと会総会で配布できなかったとあります。そして第三部は創立10周年記念式の内容、ふるさと会支部通信、ふるさと会員随想がまとめられているため、記念式典当日ではなく同年12月に刊行しています。

そして、もうひとつ大きな事業が講堂の建築です。
校舎(現1号棟)の落成式において、「漸次講堂図書館をも建築して生徒教養の機関を整へたい」という式辞が読まれています。学校が創設される際の大きなポイントとなるのが立派な図書館、講堂、そして校舎であるといいます。天理外語は創立の翌年に校舎(現1号棟)を建設し、1930(昭和5)年に図書館(現天理大学附属天理図書館)を建設しますが、講堂は建築されておらず、入学式などの式典や生徒が集まる際には、武道場や図書館講堂が使用されていました。

その頃天理教では1931(昭和6)年から教祖五十年祭、立教百年祭の神殿増築がおこなわれており、仮神殿が神殿の東側に建てられました。1934(昭和9)年10月25日に御遷座奉告祭がおこなわれ、その後仮神殿は撤去されたので、その木材を利用し、一部改修を加えて翌年に天理外国語学校の講堂として1号棟南側に建設されました。そして、この講堂で創立10周年記念式典とふるさと会総会がおこなわれました。この講堂は後に「南大教室」「伝道実習棟」と名称や用途を変え、2022(令和4)年11月に老朽化のため取り壊されました。

コラム「講堂から伝道実習棟へ」はこちら

2005年撮影。赤丸で示した建物が元講堂

海外資料展覧会

創立10周年記念の催し物として5日間にわたって開催された海外資料展覧会では、校舎内の各教室を利用して、それぞれの言語やテーマに沿って会場が準備され、各国の暮らし振りがうかがえる展示がおこなわれました。

校舎2階(西側より)
1、スペイン館:スペイン風俗写真と珍しい茶道具
2、英米館:米国を中心にした本教布教現況模型図、その他
3、ロシア館:ロシア風俗人形、宗教文献、風俗写真等
4、馬来館:南洋特有の動物標本、風俗写真等
5、朝鮮館:
 第一室 朝鮮特有の衣服、帽子
 第二室 家具、娯楽、器具等
 第三室 朝鮮巫女の用ふる諸道具
 第四室 朝鮮児童の書画作品及び上代の陶器貨幣等
校舎3階(西側より)
1、支那風俗人形室:精巧な木彫人形百余点
2、広東館:
 第一室 広東地方の宗教儀礼用具、特有果物の模型
 第二室 広東の楽器、新聞等
3、台湾資料室:台湾蕃人の日常用具、蕃服等
4、支那芝居舞台室:男女役者の出演、支那歌
5、支那資料室:支那特有の看板、街頭商人の道具、家具類
6、満支ポスター室:満支のポスターと新旧の貨幣、満州特産穀物標本
7、満支玩具楽器室:満支子供の玩具を始め各種遊戯具、楽器等
8、満支仏具室:満支各宗教用具、葬式用具等
9、満州風俗人形室:満州一般の風俗人形結婚葬式等を現す
(『開校十年誌』本文ママ)

こうした展覧会は、10周年記念に限らず何度も天理教の大祭期間に合わせて開催されています。
最初は1926(大正15)年10月に校舎2階においておこなわれた「鮮満支旅行土産物展覧会」で、これは中山正善天理教二代真柱の同年夏の巡教旅行における収集品300点を展示したものでした。1928(昭和3)年には天理外語内に海外事情調査会が創設され、海外の新聞・雑誌・書籍の購読研究、伝道参考品の購入、海外事情講演会の開催、そして参考品展覧会の開催などにつとめました。
1930(昭和5)年、春の天理教大祭期間中に開催された「支那風俗展覧会」の終了後には、校舎4階を「海外事情参考品室」として設けることとなり、これが現在の天理大学附属天理参考館の母胎となりました。

祝賀宴会場。校舎屋上にテントを張って会場が設けられた(『開校十年誌』)
展覧会場、ロシア人形が並ぶ(『開校十年誌』)

インクスタンド

創立10周年記念式典では『開校十年誌』・『海を越えて』・インクスタンドが記念品として、来賓、ふるさと会々員、学校職員、生徒に贈呈されました。
インクスタンドには、「原作者の言葉」として概要が書き記されています。原作者は天理美術協会々員の奥田勝、製作者は赤膚焼窯元の松田正柏とあり、「当初本校に何か相応しい物をと相談ありましてホッと思ひついたのがインクスタンドで、不安乍らと申し出ました処当事者も非常に喜ばれ、全く神様から指示されたのではないかと夢の様な気が致しました」とあります。また、「本校の栄誉を、インクの様に流布されん事を希ふ」ともあり、インクスタンドの製作に込めた思いを知ることができます。

インクスタンドの長辺は9センチに満たない程度で、こちらも落成記念の鋳物と同じく手の平に乗るサイズです。上部に蓋が付いており、開けるとインクを入れられるようになっています。底面に「天理外国語学校創立十周年記念」「赤膚山」「正柏」の刻印がみられます。

落成式そして創立10周年の記念品のモデルとなった100年近い歴史を持つ1号棟ですが、次のような話が残っています。
「五十才前後の婦人が語った。もう廿年にもなりますか、私達が三食の御飯を二食にして貯金し、外語を建ててから。今でもはるばる大祭に参拝にきては、外語を眺めて帰るのが何よりも嬉しいことですと」(『天理語専時報』2号 1947年12月1日)
校舎を建設する時には、天理外国語学校入学第1期生のみならず、大勢によるひのきしん(天理教における神恩報謝の労働奉仕)がおこなわれました。そして、以上のような話からも、多方面からの寄付もあったことがうかがえます。
机上に置かれた小さな校舎を見るたびに、卒業生のみならず、たくさんの人々が様々な思いで天理外国語学校を思い出すのかもしれません。

インクスタンド
上部が2箇所開くようになっている

参考資料
・『道の友』70p(1926年11月5日号)
・山澤為次編『開校十年誌』(1935年)
・『天理語専時報』2号(1947年12月1日)
・天理大学附属天理参考館編集『天理参考館四十年史』天理大学出版部(1973年)
・川島智生「旧天理外国語学校校舎の建築と魅力-文化遺産と大学キャンパス研究会 公開講演会」『文化遺産と大学キャンパスⅢ2020年度天理大学学術・研究・教育活動助成研究成果報告』天理大学(2021年)


(年史編纂室 吉村綾子)

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