【教員コラムNo,2】看護師に必要な臨床判断 2023.05.01 医療学部看護学科 # 教員コラム

医療学部看護学科 東 真理

以前、電車に乗っていると、
「乗客の皆様の中にお医者様か看護師さんいらっしゃいますか?いらっしゃったら一号車まで。急病人です」というアナウンスがありました。

ウトウト気持ちよく電車の揺れに体を預け、ボンヤリしていた私の背筋に緊張が走り、心臓は一気にバクバク。血の気が一気にのぼせ上がり、眠気はすっかり吹っ飛びました。あたりを見回すと、乗客は誰もそのアナウンスに反応せず。
(え?今のアナウンス、夢?空耳?うわぁどうしよう。急病人って心肺停止?!怖い!私が駆けつけて大丈夫かな⁉ってか、私、行かなきゃ!!)
と一瞬でいろんなことが頭を駆け巡りつつも、先頭車両から後方の一号車へ駆け出しました。到着すると、若い女性がドア付近の床に仰向けに横たわっていました。すぐに声をかけ、脈をとりました。(反応は乏しい、レベル二桁か。手首は汗ばんでる、冷たい、でも血圧はある、CPRは不要だな・・・)と、動くが先か考えるが先か。まさに臨床判断を迫られる局面でした。横たわる女性の周りは、たくさん人はいるものの、遠巻きに眺めているだけでした。私は車掌さんに救急車を要請し、周囲の方々に倒れた状況を聞きながら倒れた方の体を整えて、口もとの泡を拭き、脈を取り続けました。まもなくホームに到着したので、乗客の方々に手伝ってもらい、電車から降ろしました。ホームには、車椅子で待ち構える駅員さんがいました。程なくして救急車のサイレンの音が聞こえ、救急隊員が駆け付けたころには、その方がふらふらと起き上がり、ご自身で車いすに座り、結局、救急車まで車椅子で移動されました。

私は、病院の外で倒れた人を目の当たりにしたことが初めてでした。車内アナウンスを聞いて、一瞬、躊躇した自分がいました。正直、動揺しました。今となっては、あの時もっといい方法があったのではないだろうか。私は看護をしたのだろうか。看護師という看板をしょっているから駆け付けたのだろうか・・・。と今でも自戒の念を抱いています。後方車両へ向かう心の中は、これまで見てきた凄惨な救急場面を思いだし、怖かったのです。それでも、そんな心の中を悟られまいと、後方車両に駆け出しました。きっと周囲の人々は、アナウンスの後に程なくして駆け込んできた私を勇敢な看護師と思ったことでしょう。でも本当は、職業的アイデンティティや正義感に突き動かされたわけでありません。ただなんとなく、いろんな思いの中、とにかく動いたという感じです。

パトリシア・ベナー(Benner、 P)は、過ちが許されない生命の危機的状況下では、迅速な判断と対応が求められ、そのような優れた専門技能を身につけるには、切迫した状態の中での経験的学習と行動しつつ考えること(thinking-inaction:状況が変わっていく中で、行動しながら考えていくこと)が求められると述べています。振り返ってみると、私は直面した現実を怖いと思いながらも体が動いていました。長年現場で経験してきたことが幾ばくかでも役にたったと思いたいところです。
この経験は、自分の弱さと強みをあらためて考える機会になりました。

CPR(Cardio Pulmonary Resuscitation)とは、呼吸や心臓が停止している救急患者に対して行う心肺蘇生法のこと)
【文献】
Benner P、 Hooper-Kyriakidis P、 Stannard D。井上智子監訳。2005 看護ケアの臨床知行動しつつ考えること。東京:医学書院。

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