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 【生涯学習】

《公開講座記録》【「大和学」への招待 ─宇陀歴史発見─】第3回  宗祐と音空 —宇陀の念仏信仰と融通念仏宗—

第3回
●2022年10月16日(日) 午後1:30
●テーマ: 宗祐と音空 —宇陀の念仏信仰と融通念仏宗—
●講師  幡鎌 一弘(歴史文化学科 教授)

内容

融通念佛宗は大坂・平野の大念佛寺を本山とし、約400の末寺(延宝5年(1677)6月7日「大念佛寺四十五代記録幷末寺帳」による)は河内国(現大阪府)と大和国(現奈良県)に大半が所在する。決して大きな教団ではないが、その歴史を顧みると、本末体制・檀家制度という江戸時代の寺院体制に適合した活動を展開した点、村単位で活動する念仏講を組織化していった点で、近世宗教史全般に示唆を与えてくれている。

大和国における同宗の有力末寺である宇陀萩原の宗祐寺を開いた服部宗祐(時直)の人物像は史料によって異なっている。幡鎌は『宗祐寺史』を分担執筆した際、このことに言及し、従来強調されていた織田信長と服部宗祐との関係に疑義を呈してみた。

これまで、延宝元年(1673)に音空が作成したという「宗祐寺縁起」や明治期に得善によって編集された「歴代住職」の記述をもとに、信長との関連が強調されてきた。一方、伊賀国黒田生まれの服部時直が出家し宗祐と名乗り、資材を投じて堂坊再建したと記す「繰出位牌」の記述は軽んじられていたのである。

『宗祐寺史』が上梓されたのちに発見された「宗祐寺過去帳」(松原市・丹南来迎寺蔵)では、服部時直は織田信長から追放されたとされており、信長との関係は「宗祐寺縁起」とは真逆になっている。さらに、本尊の十一尊天得如来絵像(以下本尊とする)は多聞天王の夢告によって宗祐が京都に取りに行き、寺に納めたことになっている。「宗祐寺過去帳」は、天保12年(1841)に宗祐寺の菊亮が、檀家に信心を取り戻してもらうために作ったので、良忍による開宗の様子を詳しく述べるのである。

「宗祐寺過去帳」が明確に書き記すように、縁起の作成には何らかの狙いがある。このことからすれば、音空が信長との結びつきを強調したことにも理由があったのだろう。私は、『宗祐寺史』に、当時の領主である宇陀松山織田家との関係を慮り、音空が「宗祐寺縁起」で考え出した言説であるとの趣旨の一文を書いた。「宗祐寺過去帳」は、縁起は語りだす対象との関係が重要であることを明確にしてくれており、『宗祐寺史』で考えたことを間接的に補強してくれている。

そもそも宗祐の活動していたことを示す一次史料はない。最も古いのが寛永15年(1638)に桃俣村(現、御杖村桃俣)観音寺の本尊裏書である。これを宗祐寺蔵の「古装裏書」と比べると、裏書の表現が微妙に違う。観音寺の本尊裏書は、宗祐が与えられた通りではなかったのである。

融通念仏宗では、本山上人が念仏講中や道場に本尊を下付することで、本末関係を結んでいく。そのもっとも古い例が宗祐寺である。しかし、現在知られている本尊で個人宛に与えられたものは宗祐寺以外に一例もない。厳密にいえば、「古装裏書」には宗祐に渡したという文言はなく、観音寺の裏書は文中に宗祐に渡した旨が書き込まれたもので、宛名ではない。つまり宗祐に本尊を下付したという事実は見直さなければならないのである。おそらく、本山の道祐上人は、萩原あたりの念仏講中に本尊を下付し、その中の一人の宗祐が念仏聖として目覚ましい活動をしたと考えた方がよいのではなかろうか。

その後、17世紀中ごろに頼誉が出て、本尊を下付することで村の念仏講中・道場と本末関係を結び始めた。さらに音空の代には、末寺に過去帳を作り渡し、先祖の菩提を弔うことで念仏講中を末寺の檀家として組織化していった。

16世紀末に積極的に念仏聖として活動した宗祐、17世紀後半、融通念仏宗の教団としての組織化が進む中で、本末体制・檀家制度に見合った形で末寺を整備し、松山藩内での寺の地位を固め、なにより人々を念仏信仰にいざなった音空の活躍によって宗祐寺の基礎が固められたのである。


【参考文献】
宗祐寺史編纂委員会編『宗祐寺史』宗祐寺、2015年。
幡鎌一弘「大和国宇陀郡宗祐寺の創建とその活動」(開宗九百年記念大通上人三百回御遠忌奉修局編『融通念仏宗における信仰と教義の邂逅』法蔵館、2015年)。

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