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 【生涯学習】

《公開講座記録》【ことばと文学】第2回 元興寺の学僧たち

第2回
●2019年6月8日(土) 午後1:30
●テーマ: 元興寺の学僧たち
●講師  佐藤 愛弓 国文学国語学科准教授

内容

『今昔物語集』には、奈良市の元興寺を舞台とした以下のような話が載せられている。
元興寺に智光と頼光という二入の僧がいた。頼光は仏教の勉強をせず寝てばかりいたが、智光は熱心に勉学に励んでいた。そのまま頼光は亡くなり、智光は「頼光は死後どのような報いを受けているだろうか」と心配する。すると夢に頼光が現れ、浄土に生まれ変わっていると告げる。智光は「なぜ何もしていないのに、浄土に生まれることができたのか?」と頼光に尋ねると、頼光は「自分は生前、浄土の美しい様相を思い浮かべて静かに寝ていたのだ」と答える。智光は「では私はどうしたら浄土に生まれることができるのか?」と尋ねた。そこで頼光は智光を阿弥陀仏に会わせる。阿弥陀仏は智光に「浄土に生まれたければ、この浄土を心に思い浮かべよ」と教える。しかし智光は「あまりにすばらしいので、思い浮かべることなどできない」と悲しむ。すると阿弥陀は小さな浄土を手の上にあらわして智光に与えた。夢から覚めた智光はその浄土の様相を絵師に描かせ、一生の間、これを見ながら浄土を思い続け、ついに浄土往生した。その絵図は今も元興寺にあるという。

じつはこの話が記された最も古い書物は『日本往生極楽記』であり、『今昔物語集』と本文がかなり一致している。つまり『今昔物語集』は『日本往生極楽記』をもとにして記されたと考えられる。でありながら、両書には決定的に違う点がある。『日本往生極楽記』では、頼光が長らく無言であったことは記すが、『今昔物語集』のように「頼光はなまけて学問をせず、寝てばかりいた」とは記されていないのである。両書をよく比べてみると『今昔物語集』の描写の方が、怠けているとばかり思っていた頼光が、じつは自分よりも優れた観想をしていたことに驚き焦る智光の心理を強調されていることに気づく。

元興寺は、現在も奈良の町なかに存在し人々に親しまれているが、もとは南都七大寺の一つであり、三論・法相の教学の中心であった。いわば仏教を学ぶエリート学僧たちの研鑽の場であったのである。優秀な僧は、国家的な法会で役割を果たすことが求められており、滞りなく法会が行われることが国家の運営に不可欠の事とされていた。つまり学問に身をささげた智光の生き方こそが、当時の社会が求めた学僧のあるべき姿であったのだ。
だが、この話では終始、智光は頼光に遅れをとる存在として描かれている。最初はやや上から目線で頼光を心配していたのに、その頼光がなぜ浄土にいるかわからず混乱したり、「自分には浄土を思い浮かべることができない」と落胆したり……、しかし自分が間違っていると悟るや、頼光に助けを求め、阿弥陀仏には自分の力不足を告白する。ジタバタしている彼は、とてもすなおで一生懸命である。

さて、学問の場としての元興寺は、貴族社会に陰りがみえる頃には衰微し、変革が必要となっていた。新しい元興寺を支えたのが浄土信仰であり、その中心となったのが、智光が伝えたとされる絵図、すなわち智光曼荼羅だった。これによって元興寺は従来よりも幅広い階層の支持を得られるようになった。この説話の前半には、熱心に勉強する智光が、後半には一心に浄土を願う智光の姿が描かれているが、それはそのまま学問中心の元興寺のあり方と、それ以降の浄土信仰中心の元興寺の性質を象徴しているようにみえる。

ところで、智光が認めているように、浄土をありありと思い浮かべ続けることは、実際には難しい。宗教のことだけではない。芸術でもスポーツでも、最も良い状態に自分をもっていこうとする時には、コツコツと努力を積み重ねることと、理想のイメージを自分の心底にまで浸透させることの二つ方法が必要なのではないだろうか。そして後者は一見容易くみえるけれど、本当は難しい。頼光が生前にやり遂げたそれを、智光が「自分にはできない」と述べるように、資質にも左右される。この説話はその差を認めており、その差を埋める為に絵図がもたらされている。この話は、智光より頼光が優れていることを言っているようで、本当は違う。資質もやり方も違う智光と頼光が、ともに浄土に到達できるということが大切なのである。

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