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 【生涯学習】

《公開講座記録》【地域研究への招待】“先住民”の誕生:先住ハワイ人の事例を中心に

第2回 ● 平成27年6月20日(土) 午後1:00
テーマ ● “先住民”の誕生:先住ハワイ人の事例を中心に
講 師 ● 井上昭洋  地域文化研究センター准教授

内容

「先住民」という言葉は、1980年代から世界中で盛んに使われるようになった。確かに「先住民」と呼ばれる人たちは存在するのだが、国際機関では明確な定義付けはなされていない。しかし、近年では、グローバリゼーションの流れの中で、世界各地の先住民が国境を越えて連携し、大きな発言力を持つようになっている。

「先住民」の構成要素としては、その名が文字通り指し示す「先住性」に加えて、自らの土地で劣勢な社会的状況におかれている「被支配性」、外来者との接触前から現在に至るまでの歴史が共有されているという「歴史の共有」、そして自らを“先住民”と認識する集団を構成しているという「自認」、以上四つが考えられる。

「先住民」概念は、グローバリゼーションが進行する中で、その意味が拡張している。そのため、人類学の分野では、北米、オセアニア地域のいわゆる入植者国家における先住民を「顕在的先住民」と呼び、一方、アジア、アフリカなどの地域において1990年代後半以降に出現してきた先住性を主張する少数集団を「潜勢的先住民」と呼んで分類することがある。

米国のインディアン、オーストラリアのアボリジニ、ニュージーランドのマオリは、典型的な顕在的先住民であり、それらの国では先住民は19世紀を通して植民地政策や同化政策によって、社会的・文化的に抑圧され、社会の最下層に追いやられることになった。彼らは、多少の時間差はあれ、1960年代以降、自分たちの権利や文化の回復を目指す運動を積極的に展開し、現在に至るという歴史的経験を共有している。

ところで、先住民概念の最も重要な条件である「先住性」は、ただ単にその土地に先に住んでいたという事実を問うものではない。問題となるのは、現存する国家とその国家の成立前からその土地に住んでいた民族との関係性である。国家の成立以前からその土地に住んでいた民族が、少数派の立場に追いやられ、社会的に劣勢な状況におかれて初めて、彼らは「先住民」になるとも言える。

先住民の歴史的経験を考えれば、彼らについてしばしば問われる「純血性」や文化の「純粋性」は、単なる神話にすぎないことがわかる。先住民の「純血性」や彼らの文化の「純粋性」は、しばしば反動的な形で社会の多数派からその欠如を指摘されるが、先住民の特性はむしろ「混血性」や「混淆性」にこそある。

ハワイ人は、1778年にジェームズ・クックがハワイを訪れて以来、外来者を受け入れてきたが、1893年の白人勢力によるクーデターにより自分たちの王国を失った。その後、ハワイは1898年に米国に併合され、準州となり、1959年に米国50番目の州に制定された。19世紀後半以降、多くの移民を受け入れ、社会が多民族化するにしたがい、彼らも混血化し、その文化も外来文化を取り込んでいった。

1970年代以降、米国本土の公民権運動やインディアンのレッド・パワー運動に触発されて、先住ハワイ人は主権運動と文化復興運動を活発化させていく。ハワイ人の主権運動は1993年の王国転覆100周年に向けて力を増していき、彼らは先住民として目に見える社会集団となっていった。一方、1990年代後半以降は、いわゆる白人側からの反動的な動き(バックラッシュ)も起こっている。このような90年代以降の流れは、他の入植者国家の先住民のそれと軌を一にすると言って良い。

日本においては、北海道と沖縄における先住者の問題を検討しなければならない。外来者によって植民化され、同化政策のもと抑圧されていったインディアンの歴史と北海道のアイヌの歴史に共通性が見られるのは言うまでもない。また、主権をもった王国を形成しながらもクーデターにより王国を転覆され米国に取り込まれていったハワイ王朝の末路に、琉球処分により日本に沖縄県として組み込まれた琉球王朝の歴史を重ね合わせることができる。

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