
第4回 ● 19年12月15日(土) 午後1:30
テーマ ● 藤ノ木古墳出土の馬具-畏獣図像からその来歴を探る-
講 師 ● 文学部歴史文化学科教授 山本忠尚
藤ノ木古墳は奈良県生駒郡斑鳩町に所在する径48mの円墳で、1985・88の両年、奈良県立橿原考古学研究所が発掘調査をおこなった。その結果、横穴式石室内は未盗掘で、家形石棺の内外から金銅製品・鏡・鉄製武器・玉類など貴重な遺物が多数出土した。
最大の課題は誰の墓か、すなわち被葬者を特定することであるが、そのためには埋葬年代を決めなければならない。奈良県立橿原考古学研究所によると、被葬者は2人あり、北:男性(17~25歳)、南:不明(20~40歳)で、墓は6世紀第3四半期に造営された、という。
出土した馬具は3セットあり、A:金銅製で楕円形鏡板・棘葉形杏葉が伴う、B:鉄地金銅張で鐘形鏡板・杏葉が伴う、C:鉄地金銅張で鉄製環状鏡板が伴う。B・Cは日本製、ではAはいつ、どこで作られ、どのような経過をたどって藤ノ木古墳に副葬されたのか。
馬具Aの製作地については、中国南朝・百済説、新羅説、中国東北部・高句麗説、日本列島内説などが乱立し、年代についても、6世紀前半から7世紀後半まで幅がある。
そこで私は、馬具Aに施された種々の装飾意匠のうち後輪の把手付中央板に表わされた「鬼神」と、海金具の亀甲繋ぎの中に収められた「鬼面」に注目し、古代中国の「畏獣」図像と比較してみた。
林巳奈夫によると、畏獣は鬼神の類別の一つで、顔の造作とか姿勢・持ち物に相違があるが、以下の特徴を共通にする超地上的な神である。①大きな口に歯を露わにした醜悪な獣形の頭、②人間のように立ち上がり、動物の爪をもった四肢を広げ、襲いかかってきそうな姿勢、③褌一つのほとんど裸体に近い姿、④頭や肩から逆立つ長い羽毛が生え、発散する力のエッセンスを表現している、⑤足下には瘤の付いた不定型なものが漂い、いる所が地上の現実世界でないことを示す。私は上の諸点に、⑥手指が3本、足指が2本である、という特徴を加える。藤ノ木古墳から出土した鞍金具の「鬼面」はこれらの原則を満たしており、畏獣と呼ぶにふさわしい。
造形化された畏獣の中には頭部に山形を乗せた一類が存在する。山形は1個の場合と複数が重なり合うように表現された場合があるが1個の方が古い。藤ノ木古墳の「鬼面」の山は1個である。
畏獣は高句麗壁画墓(吉林省輯安の四神塚、五盔墳4号墓・5号墓など)に見える。いずれも石室の四隅に描かれたもので、手足の指の数は判らない。一方、新羅では慶州飾履塚から出土した飾履、百済では扶余外里廃寺の獣身紋磚と陵山里廃寺出土の金銅大香炉に畏獣が認められる。飾履塚の飾履は手指3本、足指3本、外里廃寺の磚は手指3本、足指4本である。どうやら新羅・百済ではイコノグラフィーがあやふやになったようだ。
藤ノ木古墳の「鬼面」の手指は2体とも3本であり、足指については左畏獣が2本、右畏獣は3本あるように見える。この観察が正しければ、これらは中国の伝統的な畏獣であり、原則が崩れかける前段階すなわち北魏末期から東魏にかけて、北朝の領域で製作されたと考えられる。北斉までは下らず、6世紀前半の製作とみなすのが妥当であろう。ただし、いつ日本にもたらされ、藤ノ木古墳に副葬されたかは別の問題である。
一方、軍神「蚩尤」と見なされている図像資料によると、すべて手は人間のように武器などを握っており、時には足でも武器を持つ。藤ノ木古墳の「鬼神」は、足指の形状・本数が人間と同じであり、なにより天空を飛翔する翼がない。畏獣ではなく蚩尤の仲間と捉えるべきである。