校章は学校を象徴した紋章です。
天理大学の校章は両翼を大きく広げて、世界中へと飛び立つ鳥の姿を連想させるデザインです。
この校章は、前身である天理外国語学校から引き継がれた伝統あるものです。

天理外国語学校の校章
本学の校章は、前身である天理外国語学校の徽章を引き継ぎ、アレンジしたものです。
天理外国語学校の徽章はこのようなデザインでした。

天理外国語学校が創立した時の最初の学則第一条に「本校ハ天理教ノ海外布教ニ従事スベキ者ヲ養成スルヲ目的トシ主トシテ現代外国語ヲ教授スル」と掲げられており、徽章はこの使命を象徴しています。
徽章のデザインを細かくみると、全体を形どるのは、ローマ字表記のTENRIの「T」と、漢字の天理の「天」の両方を重ねて図案化したもので、その両端は翼となり、「海外布教」つまり、鳥のようにはばたく世界雄飛の姿を表現しています。
中央には、創設者である中山家の家紋の梅鉢をあらわし、その下にはLanguageの頭文字「L」が両翼をもった「T」「天」 を抱くようにデザインされています。
俯瞰してみると、まさに「図南の大鵬天空を翔け行く」姿を連想させるようになっています。
このデザインについての説明は、1926(大正15)年10月25日におこなわれた天理外国語学校校舎(現1号棟)落成式にて、式への参列者に配布された資料の中にあります。
「外語徽章」と題し、デザインを考案した小西利臣氏の名前が記されています。これが、徽章に込められた意味を公式に明示した、おそらくいちばん古い史料であると思われます。
外語徽章
天理教といふ文字を現はす為め漢字の天と英字のT(TENRIKYO)との両字を兼ねて中央に図案化し其のTの左右両端に翼を附し世界雄飛の溌溂たる天理教スピリットを現はすものにして中に梅鉢の御紋章をあしらひ以て全体に世界六踏の大使命を象徴す
然も此の大使命の遂行者としての本校の頭文字L(LINGUaE,LINGVOjーLaNGUaGE)を添へ海外布教の第一人者たるを表象す
尚本図は是札を鳥瞰図として俯瞰せば恰も図南の大鵬天空を駆け行くが如き有様をも含むものなり。
小西利臣
※英字の大文字小文字は記載されているまま表記しています

また徽章の色や大きさの指定を記した書類が残っています。書類には「校旗及釦ニモ上載ノ徽章ヲ用フ」とあります。


男子学生は帽子に徽章を付け、学生服のボタンにも校章がデザインされていました。女子学生は同様のデザインを逆三角形で囲んだ徽章を袴の紐に付けていました。女子の徽章の色は「バックはブリュー、中央部のLの字は、濃いめのエンジ色」(『天理大学五十年誌』)でした。



天理大学の校章
1949(昭和24)年に新制天理大学が誕生しました。天理大学としての校章は、大学第1回入学生が学生たちで決めたという話が残っています。
新しい大学だから、帽子の徽章も「1回生のお前ら考えろ」と言われて、今の徽章になった。語専の徽章は、なんかいいじゃないかと、天理のTを主体にした鷲のマーク、ああいうやつでっていうことでなったんですけどね。
(宗教学科第1回入学生の話、2023年2月6日聞き取りより)
こうして、天理外国語学校の徽章をほぼそのまま引き継いだものが、天理大学の校章となりました。
校章が決定した正確な時期については不明ですが、同年5月23日におこなわれた「天理大学開学記念祝賀会」の写真をみると、会場入り口に張られた幕には、まだ天理外国語学校の校章入りの幕が使われていました。

1965(昭和40)年頃に刊行された大学案内では
校章の由来は前身校の天理外国語学校に遡る。つばさに形どられたTENRIのTと、ハンドライティングスタイルのLanguageのLが組み合わされたのであるが、校章考案者は、天理外国語学校が天理教の海外布教師養成を目的として創立されたものであることに鑑み、Tには大鵬のつばさを付し、荘子に出る「図南の翼」を表わし、もつて海外雄飛をシムボライズしたものである。
昭和24年4月、学制改革により天理大学となったので、前記の校章にあったLの代りに大学の二字を掲げ今日の校章となった。
と説明しています。
「L(Language)」から「大学」の2文字への変化は、外国語教育のみを対象としていた学校から、幅広い学びを提供する総合大学へと生まれ変わったことのあらわれといえます。

現在の本学ホームページや『CAMPUS LIFE』などでも、外国語学校時代の校章と現在の校章を並べ、同様の説明書きを添えて、校章を紹介しています。
シンボルマーク

2001(平成13)年、天理大学のシンボルマークが制定され、同年11月12日に発表会が開催されました。この頃、本学では建学の精神を改訂し、2年後の改組に向けて改革を進めている時期でした。この発表会において山田理事長は「この改革は天理大学の生き残りをかけた改革である。その生き残りのために私たちが常に拠り所として心に持っておかなければならないのは、天理大学の建学の精神である」「新しい建学の精神はまさに天理教の教えの根幹部分をストレートに表現したものにした」と述べています。
このように改革を推し進める中で生まれたシンボルマークには次のような意味が込められています。
TENRIの頭文字Tを地球球面の一部に一体化させ、その中に一本の道を通すことによって、「陽気ぐらし」世界建設に向けて、グローバルな視点に立った活動を積極的且つ献身的に推進する人材を養成するという、天理大学の使命をダイナミックに力強く表現している。カラーは伝統的に天理青年を表すTENRIバイオレットを使用している。
全体的に右上を目指した矢印にも見えるが、これは今後、右のうえに向かってダイナミックに上昇、発展する意図を含み、天理大学関係者がさまざまな活動において常に向上心を持ち、活躍をしていただきたいということを表している
(『天理大学広報』172号 2001年12月10日より)
また、『天理時報』(同年11月25日号)に、シンボルマークが「ひょっとしたらハッピを連想するかもしれない」とあるように、TENRIの「T」、右上方へと発展し続ける矢印、そして天理教の代名詞ともいえるハッピ、様々な形を重ねて本学そのものを形象化したマークといえます。また、その中には伝統的な本学校章のデザインの構想も垣間見えます。
なお、デザインを制作したフミ・ササダ氏は日本航空やJTB、NECといった国内企業のロゴマークや、スーパーでよく見かける飲料や食料品のパッケージデザインも手がけるなど、日本を代表するデザイナーのひとりです。長野オリンピック(1998年)の公式ポスターも同氏によるものです。(『天理時報』2001年11月18日号)
様々な場所や物に描かれた校章
シンボルマークの制定から25年がたち、学内の各所や刊行物、ユニフォームや大学オリジナルグッズ等、至る所でシンボルマークが使用されるようになり、シンボルマークは身近なものになりました。
一方で、伝統的な校章を目にする機会が少なくなってしまったのが現状です。そこで校章をデザインした記念品や、学内各所にある校章をいくつか紹介します。












オリジナルの棚
学内の校章をさがしている際に、年史編纂室に保管されている1枚の古い写真が目に留まりました。その写真は、1970年代前半に撮影されたと思われます。そこには、本学の数々の輝かしい成績を語る何十点にものぼるトロフィーを収めた立派な棚が写っていました。棚の中心上部には校章を彫った飾りが付けられています。まさに天理大学オリジナルの棚です。
この棚のことを何人もの事務職員の方々に尋ね回りましたが、今やこの棚の存在については誰も知らず忘れ去られていました。そして探し回った結果、現在は現役を引退し倉庫に収められていることがわかりました。
どうやらこの棚は、以前は学長室に設置されていたようですが、学長室が南棟から1991(平成3)年に竣工した研究棟(本館)に移動した際に使用されなくなったのではないか、とのことでした。
実際にこの棚を目の前にすると、非常に重厚感があり、木彫りの校章を掲げた姿に本学の歴史を感じます。



天理大学に統合した学校
2023(令和5)年4月、天理大学は天理医療大学と合併し、天理大学医療学部が誕生しました。天理医療大学は天理看護学院と天理医学技術学校を統合し2012(平成24)年に設立された大学です。天理医療大学では、2校の校章を統合し、英語で校名の「TENRI HEALTH UNIVERSITY」を円状に配置した校章を用いていました。

1950(昭和25)年から1959(昭和34)年まで設置されていた天理短期大学(発足時は天理短期大学部、のち天理大学女子短期大学部)では、このような徽章を使用していました。

参考文献・参考資料
・『天理大学五十年誌』1975年4月23日
・『天理大学広報』172号 2001年12月10日
・『天理時報』2001年11月18日号
・『閉校記念誌 天理医療大学11年の歩み』学校法人天理よろづ相談所学園発行 2024年
・『閉校記念誌 天理医学技術学校47年の歩み』天理医学技術学校 天理医学技術学校同窓会発行 2014年
・『閉校記念誌 47年の歩み』天理看護学院 天理看護学院同窓会編集・発行 2014年
・杉山大輔取材・編集「私の哲学」(https://myphilosophy.global/interview/sasada_f/)(2026年6月1日アクセス)
(年史編纂室 吉村綾子)
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