
《公開講座記録》【人文学へのいざない】第4回
●2026年6月13日(土) 午後1:30
●テーマ:「宗教からみたアメリカ大統領選挙」
●講 師 澤井 治郎(宗教学科 准教授)
内容
このところ、アメリカの政治と宗教の様子を指して、「キリスト教ナショナリズム」という言葉がよく聞かれるようになってきた。アメリカのナショナリズムと保守的なキリスト教信仰が一体となって盛り上がっているように見えるのが特徴だ。たとえば、今年の3月、アメリカがイラン攻撃に踏み切った直後に、ホワイトハウスに福音派(プロテスタント保守派)の牧師ら20人が集まり、トランプ大統領を真ん中に囲んで牧師が手をかざして「米軍に神の恵みがありますように」と祈る動画が公開され、話題を呼んだ。
アメリカの政教分離
これを見ると、アメリカの政教分離はどうなっているのだろうか、という疑問も生まれてくる。アメリカは、1791年合衆国憲法修正第1条で「議会は、国教の樹立を支援する法律を立てることも、宗教の自由行使を禁じることもできない」と規定している。国家のオフィシャル宗教を持つことの否定、信教の自由を定めたもので、これをもって、アメリカは政教分離を定めた史上初の世俗国家だと言われたりもする。しかし、アメリカは決して非宗教的な国家ではない。たとえば、1776年のアメリカ独立宣言では、自由と平等というアメリカの理念が謳われているが、その背景にあるのは神が人間を平等に創造したという信仰である。アメリカの硬貨や紙幣には、「IN GOD WE TRUST」(われわれは神を信じる)と刻まれているし、歴代大統領はことあるごとに「神のご加護」を願ってきた。
政教分離というと、何となく政治(的な活動)と宗教が完全に切り離されていることと考えられがちだ。アメリカで政教分離を言う際、Separation of Church and Stateという表現が使われる。特定の教会(教団)と国家の統治機構は分かれてあるべき、という原則である。これは、宗教が政治に関わることを否定するものでは全くない。むしろ、政治に宗教的要素が含まれることは、アメリカ合衆国の成り立ちからして、当然であると考えられている。
大統領選挙と宗教
とはいえ、最近「キリスト教ナショナリズム」という用語で議論になっているのは、トランプ政権と福音派の関係が近すぎるのではないか、という懸念である。もともと、アメリカの大統領選挙は国内の宗教的価値観が如実にあらわになる国家行事である。その大統領選挙で、福音派が目立つ存在になってきたのは1980年あたりからである。福音派は特定の教団名ではなく、プロテスタントのなかの特に保守的な信仰を堅持しようとするグループの総称である。彼らが政治的に台頭してきた背景には、古き良きキリスト教文化=アメリカ文化が廃れつつあるという危機感があった。彼らの特徴は、聖書を神の言葉として堅く守ること、人工妊娠中絶反対、同性婚反対、反進化論といった保守的な主張にある。彼らはその価値観を実現してくれる政治家、つまり保守的な共和党を積極的に応援するようになった。事実、2000年以降の大統領選挙では、80%前後の福音派の人たちが常に共和党候補に投票し続けてきた。共和党にとっては、彼らは“岩盤支持層”となっている。トランプ大統領が選挙前に「God Bless the USA Bible」という版の聖書販売に関わって、「Make America Pray Again」(アメリカにもう一度祈りを)と説く活動をしていたことや、副大統領はじめ閣僚に福音派に近い政治家を指名しているのは、最近の「キリスト教ナショナリズム」の議論の盛り上がりは、こうした共和党と福音派の関係から理解することができる。
それでは、二大政党のもう一方、民衆党を支持するのは宗教的に冷めた人たちなのかというと、そうでもない。アメリカの宗教人口は、大まかには福音派、カトリック、無宗教が20%代で拮抗し、それに主流派(プロテスタント穏健派)、黒人教会(プロテスタント)…と続く。カトリックは選挙時に大抵2つに割れて、無宗教は極度に投票率が低いので、主流派と黒人教会が民主党としては重要な支持層ということになる。
こうした宗教の視点で大統領選挙の動向をみると、宗教が国家の代表を決めるような一大事にいかに大きな影響を及ぼしているかがよく見えてくる。だから、宗教学はおもしろい。