天野忠幸准教授が『松永久秀と下剋上』を出版しました。

信貴山城(奈良県平群町)に籠り、織田信長に背いた松永久秀は、主君を暗殺したり、将軍を殺害したりした「下剋上」の代表として、マンガやゲーム、ドラマに描かれています。しかし、それは久秀の本当の姿でしょうか?
実はこれらは江戸時代初期につくられたイメージで、事実とは異なります。
それでは久秀は、自らを登用してくれた三好長慶に仕えた、単なる忠臣に過ぎなかったのでしょうか?
久秀は、自分を南朝の名将楠木正成になぞらえ、北朝の足利将軍に対峙します。また、天皇の後宮女房を娶り、公家社会に人脈を広げました。そして、興福寺の目の前に、近世城郭の先駆けとなる豪華絢爛な多聞山城(奈良市)を築きます。
こうした動きを、武家・公家・寺家によって構成される室町社会の改革と位置付け、戦国時代の「下剋上」の実像を見ていきます。(天野忠幸)