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 【生涯学習】

《公開講座記録》【大和学への招待】御所市茅原の大トンドと役行者伝説

第1回 ● 平成27年9月26日(土) 午後1:30
テーマ ● 御所市茅原の大トンドと役行者伝説
講 師 ● 齊藤純 歴史文化学科教授

内容

1.茅原の大トンド(左義長)
御所市茅原の吉祥草寺の境内で、毎年1月14日、県の無形民俗文化財に指定された大トンドの行事が行われる。このトンドは吉祥草寺と茅原・玉手の両大字で執行され、寺で行われる修正会の結願の日の行事になっている。その際、五穀豊穣・厄除などを祈願し、年の豊凶も占う。行事の起源については「天智天皇の時に役(えんの)小角(おづぬ)が天下太平・五穀豊穣などを祈願して始めた」「文武天皇が御病気の際、吉祥草寺で霊験があったので盛大な法要を行わせた」「役行者(役小角)が島流しから帰ってきたのを祝った」などの諸説がある。

2.役小角の伝承
役小角は、修験道の開祖とされる伝説的な人物で、797年成立の『続日本紀』文武天皇3年(699)5月24日条に次のような記載がある。
「役君小角を伊豆の島に配流した。初め小角は葛木山に住み呪術で称えられていた。外従五位下の韓国連広足(からくにのむらじひろたり)が師と仰いでいたが、後に小角の能力をねたみ、妖惑のかどで讒言(ざんげん)した。そのため小角を遠方に配流した。世間では、小角は鬼神を使役することができ、水を汲ませ、薪を採らせ、もし命令に従わなければ鬼神を呪縛したと伝えている。」
後世、この人物像が展開し、8C末~9C初の『日本霊異記』では葛木上郡茅原村の人で、鬼神を使い葛木山から金峰山に橋を架けようとした等と伝えられるようになった。

3.茅原の大トンドの起源伝説
役小角に関わる茅原の大トンドの起源譚で興味深いのは、「役行者が島流しから帰ってきたのを祝った」という伝説である。今も口伝えで聞くことができる話だが、明治24年に記された吉祥草寺の寺院明細帳に記載があり、元は縁起などにも記されていたらしい。歴史的には認めがたい伝説だが、トンドの意味や地元での役行者像を探る上で、大変に貴重な伝承である。というのは、大和高田市奥田で、次のような伝説が聞き取られていた。
「奥田周辺のムラでは、一月十五日にトンドを行う。このトンドを行うようになったのは、役の行者があまりにも偉い人でムラ人のもてあますところとなり、火を焚いて吉野に追い出したことに由来するという(桜井満・岩下均『吉野の祭りと伝承』桜楓社)。」
民俗学の研究によると、もともとトンドは、彼方からやってきた歳神(としがみ)(正月の神様)を火や煙に乗せて送り返す行事である。県内でよく聞くわらべ歌に「正月さんどこまで、~山の裾まで」という歌詞があるが、正月さん、すなわち歳神は、暮れに里近くの山にやってくる。つまり、山に囲まれた土地では、歳神は山の彼方から家々を訪れ、それを送り出す儀式がトンドである。ところで、この歳神はありがたい神様であるが、かといって、いつまでも居られては困る存在である。年中、まさに「盆と正月が来たようだ」と普通の生活ができないわけで、いわば、居られると「もてあますところ」となる。このように考えると、大和高田市奥田の奇妙な伝説は、トンドで送り出す神様にまつわる話だったものが、役小角という歴史上の人物に置き換わってできた伝説とみなすことができる。
そして、このような置き換えが茅原の大トンドについても起きた。その結果、大トンドは「役行者のお帰りを祝った行事だ」という理解が生まれたと推定されるのである。その背景には、役行者は正月の神様にも似たありがたい存在、また、正月様同様、山から来て山へお帰りになる存在だという、地元での理解があったことも、あわせて想定できる。こうした意味で、伝説には、史実とはまた異なった資料的価値が認められるわけである。

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