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 【生涯学習】

《公開講座記録》【地域研究への招待】歴史のなかの“ハイブリット”時代 —戦国・織豊・江戸初期の世界と日本

第3回 ● 平成27年6月27日(土) 午後1:00
テーマ ● 歴史のなかの“ハイブリット”時代 —戦国・織豊・江戸初期の世界と日本
講 師 ●  藤田  明良 地域文化学科教授

内容

1.東アジアの“ハイブリット時代”の近畿
日本の戦国時代から鎖国前後の東アジア海域は、国際商業の盛況のなかでハイブリッド(異種混合)な状況が生まれていた。例えば、日本と東南アジア各地を往き来した朱印船の船体は、中国のジャンク船をベースに西洋のガレオン船や日本の軍船の技術を掛け合わせたものであった。長崎の清水寺に奉納された角倉家の朱印船絵馬には船上で宴を楽しむ日本とポルトガルの人々が描かれているが、実際の朱印船に乗り込んだ船員や商人も日本・中国・ポルトガルなど多様な出自をもっていた。

『信長公記』には、信長が安土城築城に際して京都・堺・奈良の職人たちに加えて「瓦焼唐人の一観(一官)」が呼び寄せ「唐様」の瓦作りを命じたと、書かれている。また、秀吉が東山に大仏を造営した時には、「まず最初に異朝の者が来て、本尊をシックイ(漆喰)で造立」し、その後、大仏殿が建てられ、最後に本尊と後背に黒漆が施してから金箔を押したという。この大仏は数年後の大地震で崩壊してしまったが、最初に漆喰による大仏造りを主導したのは、薩摩・豊後・肥前など九州各地から召し出された「大仏油蠣唐人」たちである。「油蠣(ゆかき)」とは蠣殻を焼いて作った石灰に油を混ぜて強度を高めた漆喰のことで、当時、中国南部から日本へ伝わってきた先端技術であった。秀吉は同時に荏胡麻油や白木油の調達を諸大名に命じている。唐人とは日本に来住した中国人を指す用語で、時には朝鮮人も唐人と混称されることもあった。

2、中国人の来住と唐人町の形成
東大寺の大仏が焼失した1567年、中国では国際的密貿易シンジケート「倭寇」に手を焼いた政府が、自国商船の海外渡航を解禁すると、中国人がドッと海外に進出し、東南アジア各地でチャイナタウンが形成された。日本渡航は禁止のままだったが、海上で東に針路を変えた中国船も少なくなく、倭寇に売買や拉致された者も含めて多くの中国人が九州などで暮らすようになった。島津氏や大友氏は彼らを積極的に保護し、有能な者は家臣・僧侶・御用商人などに取り立てて富国強兵に活用していく。秀吉が召し出した「油蠣唐人」もその一部だった。

中国人が住む場所は以前から唐房(当房)などと呼ばれていたが、この頃から唐人町という呼称が九州の沿岸各地に出現した。このうち玉名市伊倉の唐人町には中国南部様式の墓が現存しており、油蠣漆喰の実物を見ることができる。中国系漆喰を使用した墓は、南さつま市坊津や長崎市深堀にも残っている。同じく唐人町がある臼杵市には、陳元明など4名の唐人の屋敷地が「大仏しっくい免」として免税地になっている。臼杵の大橋寺にある元明一族の墓にも一部に漆喰が使われている。なお、鎖国時代の長崎唐人屋敷とは異なり、この頃の唐人町には日本人も混住していたし、他町に家を構える中国人も多く、国籍で居住地を分けることはまだなかった。

3.媽(ま)祖(そ)が語る多彩な交流史
中国では福建省を中心に航海神として媽祖の信仰が盛んであり、日本に来る中国船も小型の女神像(船頭媽)を祀っていた。南さつま市、平戸市、臼杵市をはじめ、肝付町(大隈)、都城市、飫肥(日南市)、上五島町など、唐人町やあった所や中国船の入港地には、古い船頭媽が今でも残っている。鎖国前に海の向こうからきた祖先が持ってきた、廻船業者に寄宿した旅の夫婦が置いていった、近くにあった寺が火事になったとき逃げてきたなど、さまざまな来歴を持つ。なかには17世紀に活躍する鄭成功ゆかりと伝えるものもある。その真偽についてはまだまだ不明なものが多いが、由緒や伝承をたどっていくと、文献史料の断片的な記載がにわかに精彩を帯びてきたり、通説では想定外の意外なつながりが見えてきたり、海をこえた交流の多様なカタチに遭遇することもある。

媽祖は天妃・天后ともいうが、観音の化身という伝承の影響で九州などでは菩薩(ぼさ)とも呼ばれた。鎖国の長崎では中国系住人たちが建立した唐寺に媽祖堂が建てられ、祭祀が続けられると共に入港中の中国船の船頭媽を預かる習慣が続いた。前夜まで唐人が多く住んでいた鹿児島にあった媽祖堂はすたれたが、菩薩堂通りに名を残している。島津氏が媽祖を祀っていた薩摩半島の野間岳は、鎖国後も沖を通過する唐船の遥拝を受けただけでなく、野間(娘媽)権現として日本人の船主・船乗りにも信仰が広がっていった。娘媽は福建地方における媽祖の通称である。南九州市の廻船問屋には、奇抜な日中混交の衣装に身を包んだ媽祖の掛け軸が伝わっているが、草の根の国際交流は新しい女神のファッションまで生み出したのである。

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