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 【生涯学習】

《公開講座記録》【地域研究への招待】アメリカ人とは誰のことか?—揺らぐ米国市民の境界—

第1回 ● 平成27年6月13日(土) 午後1:00
テーマ ● アメリカ人とは誰のことか?—揺らぐ米国市民の境界—
講 師 ● 山倉明弘 地域文化学科教授

内容

アメリカ合衆国は、現存する世界最古の民主主義共和制国家で、独立以来の数々の変化にもかかわらず統治体制は基本的に変わっていません。米国の独立宣言、憲法、1790年帰化法などの基本的文書に表れた思想は、今日に至るまで米国の社会制度やアメリカ人の思想に大きな影響を与えてきました。

1776年の独立宣言は冒頭で「すべての人間は平等に造られ」と謳いましたが、イギリスからの離脱を正当化するための批判の対象となった英国王のふるまいの一つとして、「情け容赦のない野蛮なインディアンを、辺境地帯の住人に対して けしかけようとした」ことを挙げました。そして、1787年に制定した米国憲法には、「連邦の法律を執行するために、また、反乱を鎮圧し、あるいは侵略を撃退するために、国民義勇軍(ミリシア)の招集についての規定を設ける権限」を議会に与えましたが、この「反乱」は奴隷の反乱を想定しており、また、「侵略」は英国軍の攻撃に加え、インディアンの襲撃が想定されていました。

一部に反対のあった憲法を大衆に売り込むための文章を集めた『フェデラリスト・ペーパーズ』には、神が米国という国を「一つの団結した人民」、すなわち、「同じ祖先の血を引き、同じ言葉を話し、同じ宗教の信仰を公言し、同じ統治原則に帰属し、風俗習慣の似通った人々」にお与えになったと書いてあります。

当時東海岸に張り付くように存在していた新生国家としては、西へ西へと膨張し国土を広げていく必要がありました。それにはインディアン追放と彼らから取り上げた土地への人々の入植が不可欠であり、そのためにヨーロッパからの移民を促す必要がありました。
そこで、米国議会は1790年に初めての帰化法を制定し、「自由な白人である如何なるエイリアン(外国人)も、合衆国の域内でその法の管轄内に2年住んでいれば市民として認められる」としました。このアメリカ初の帰化法は、その後現在に至るまで「だれをアメリカ人として受け入れるか」という問題に関して、アメリカ人たちに重大な影響を与えてきました。アメリカ市民の境界にとって、1790年帰化法こそが最も重要な法なのです。

「白人」をアメリカ市民と定めた1790年帰化法は、「白人」ならだれでもアメリカ人にするという意味できわめて寛大で、過剰に包摂的な法でした。そのために、19世紀になるとヨーロッパから大量の、実にさまざまな移民が流入し、なかには宗教や生活習慣が従来のアメリカ人とは大きく異なる「好ましからざる人々」が大勢混ざっており、このことはやがて20世紀にはいると激しい移民規制論争を引き起こしました。1924年に制定した移民法は、プロテスタントのアングロ・サクソン民族が中心である西欧・北欧からの移民を優遇し、カトリック教徒が大半を占める東欧・南欧からの移民を冷遇するものになりました。

同時に、1790年帰化法は、白人以外の者をアメリカ市民としないことを決めた点で、きわめて過酷で、過剰に排除的でした。米国議会は1882年中国人排斥法で中国人の移民と帰化を禁止し、また1924年移民法では日本人を含むアジア人の移民を全面的に禁止し、さらに米国政府は、第2次世界大戦中に在米日本人と彼らから生まれた日系アメリカ人約13万人を内陸部の砂漠地帯に設けた強制収容所に監禁しましたが、1790年帰化法が「白人以外はアメリカ社会の正式な一員とは認めない」と長年にわたってアメリカ人を教育してきた効果なしには考えられないことです。

アメリカ初の「黒人」大統領とアメリカのマスコミがこぞって報道したときの興奮にもかかわらず、白人警官による黒人青年の殺害に端を発した人種暴動が、全米各地で今でも発生しています。建国時にできた国家統治体制の長い影が今でも感じられます。
 

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