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生涯学習

恋歌に詠まれた葛城山-醜き神の物語-

第2回 ● 平成25年6月22日(土) 午後1:30
テーマ ● 恋歌に詠まれた葛城山-醜き神の物語-
講 師 ● 金 石哲 国文学国語学科非常勤講師

内容

  葛城は大和国の名所歌枕である。名所歌枕とは和歌に詠み込まれた名所のことであるが、ただ単に和歌に詠まれたというだけに留まらず、歌枕はそれぞれの名所が持つイメージの集団的共有を背景に、和歌的世界の形成に重大な役割を果たしている。

  歌枕「葛城」の場合、その特有のイメージは、この地の土着の神である一言主神(ひとことぬしのかみ)とまた同じく葛城を中心に活躍した役行者(えんのぎょうじゃ)の対立の故事を前提にしている。すなわち、役行者が鬼神たちに命じて(頼んで)、葛城山と吉野の金峰山との間に石橋を作らせようとしたが、一言主神は容貌の醜さを理由に夜にのみ働き昼は働かないので、役行者の怒りを買い、その罰として呪縛されたという伝承である。
  後の葛城を詠み込んだ和歌に多大なる影響を与えた説話であるが、ひとつ興味深いことは、この伝承に登場する一言主という神は少なくとも最初は醜い神ではなく、その容貌に対する描写は時代と共に変遷しているという点である。記紀の時代の一言主神は、例えば「面貌容儀(かほすがた)、天皇に相似」の「長人(たけたかきひと)」(『日本書紀』)とあるように、王者の風格をもつ男神として描写されているのである。

  また、同じ役行者関連説話においても収載作品によって多少の違いがあるが、たとえば『日本霊異記』では一言主神の醜さについては触れられておらず、ここでは橋の建設に不満を持った一言主神が役行者に謀反の罪を着せ、朝廷による逮捕・流罪の憂き目に遭った役行者が却って一言主神を呪縛したという伝承になっている。
  一言主神を醜い神とする記述は古い文献にはなく、そのような説話が登場するのは平安時代以降のようであるが、一言主神の醜さに触れた比較的早いものとしては『三宝絵』にみえる役行者関連説話がある。これは上で紹介した、一言主神と役行者が争う二種類の説話を含む、少なくとも三種類の説話の集成である。既に紹介した二種類の説話もそうだが、各説話間には讒言と橋作りと呪縛の関係をめぐって、その前後関係に微妙な時間的矛盾がある。このような矛盾から考えるとこれらの説話はそれぞれに成立が異なっており、このような現象は口承文芸ゆえの多様性を示すものと考えられるのである。

  ともあれ、歌枕「葛城」は一言主神の橋作りの故事をもとにしている。三十六歌仙の一人として知られる小大君の代表歌に「岩橋の夜の契も絶えぬべし明くる侘しき葛木の神」(『拾遺和歌集』雑賀・一二〇一)がある。その詞書は、藤原朝光が小大君のもとにお忍びで通っていた頃、当時の習俗として男が帰るべき時間である暁になっても帰らないので、小大君が詠んだ歌であると詠歌背景を説明している。
  この歌は、中途で絶えてしまいがちな男女の仲を工事が途絶えてしまった一言主神の石橋に喩え、その醜さゆえに夜明けをつらいと思う一言主神に自身を重ね、作者の繊細な心のうちを表現し得ているが、この対話的な詠歌空間は歌の詠み手・聞き手が醜い神の説話を共有していることによって成立している。この他にも数多くの平安和歌に葛城が詠み込まれているが、その殆どは何らかの形で一言主神の橋作りの故事を踏まえており、特に恋歌に多く詠まれたのは完成しきれなかった橋が恋の危うさ・脆さを連想させたからであろう。
  葛城=一言主神の故事という共通理解はその後の時代の文芸にも継承されていく。謡曲『葛城』では独自の展開として一言主神を醜い女神の姿で再登場させるが、その根底にはやはり歌枕「葛城」の世界観があり、近世期に入ってからも、例えば芭蕉の「猶見たし花に明行(あけゆく)神の顔」という句に至るまで、葛城といえば「神の顔」という連想の関係は一貫して受け継がれている。

  遷都後の旧都やその周辺地域は通常、政治・文化の中心から外れ、廃れていくものであるが、特有の風土と長い歴史に支えられてきた歌枕「葛城」は、一言主神を王者の風格を持つ男神から醜い神へ、また女神へと柔軟にその姿を変化させながら、神話・説話から和歌へ、また説話や和歌的世界から謡曲へ、さらに俳諧へとさまざまな文学ジャンルのなかを共に生き続けたのである。
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