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 【リレーエッセイ 感染症と人類6】

社会科学の対象としての病気

芹澤知広 教授(国際学部地域文化学科日本研究コース〈留学生対象〉:文化人類学、華僑華人研究)

この小文では、私が専門にしている文化人類学や社会学の前提である「社会的存在としての人間」について、病気を例にして紹介します。

私たちはしばしば「病気」というものを、きわめて個人的なものだと考えがちです。
この遺伝子を持って生まれたからこの病気になったとか、あのような生活習慣をしていたからあの病気になったとか、個人に病気の原因を求めるような話しかたを私たちはよくします。しかし、ある人が「病気になる」ということは、その人が生活する社会のなかで「病人として認められる」ということですから、病気になる原因も社会によってさまざまに用意されています。また人間である私たちは、病気をもたらしたすべての原因を一度に見通すことは不可能ですから、ある人間のある病気が、ある原因だけで説明できるというようなことはありません。

病気になると病院へ行き、病院で医師の診療を受けて病気を治します。これが今の日本での一般的な病気のイメージでしょう。その診察風景を思い浮かべてください。患者は、着ている服の前をまくって体の一部分を露出し、白衣を着た医師は聴診器という道具を患者の胸に直接当てます。患者はこういう行動をする、医師はこういう行動をするということが、社会的に決まっています。

また病院自体のありかたも、社会によって異なります。日本では住宅地区や商業地区にある病院の近くに葬儀場を建てる計画が持ち上がると、地元住民の反対運動がよく起こります。いっぽう私が海外調査で訪れるベトナム・ホーチミン市のチャイナタウンにある病院は、葬儀場と同じ場所にあります(写真をご覧ください)。かつて中国には「善堂」といわれる総合的な社会福祉施設があり、生者と死者をともに救済することを目指していました。そのため、病院、老人ホーム、葬儀場が同じ場所にあるということは、伝統的な華僑の社会では珍しくありません。

医学では、病気のことを「疾病」(しっぺい、disease)といい、ヒトの体の一部分の故障のようなものとして病気を考えています。しかしいっぽうで、個々の人間が現実に苦しんでいる病気は、「病い」(やまい、illness)といえます。この病いに対して、生物学にもとづく今の日本の病院の医療だけでは十分な理解ができません。なぜなら人間は、動物とは異なり、「まるはだかで生活する」というようなことが現実にはまったくないからです。

この小文を書いている2021年5月現在、私たちは新型コロナウイルス感染症の流行に悩まされています。この感染症への対応こそ、病気が社会的な現象であることを明確に示しています。ウイルス感染症は人間のあいだでウイルスが移ることから発症します。どのようにしたらウイルスが外国から日本へ入ることを防ぐことができるのか。どのようにしたら重症患者用の病床を増やすことができるのか。このような課題は、発症した患者個人を治療する医学の課題に完全に含まれるというわけではありません。これらは生物学や医学の問題というよりも、社会諸科学の問題なのです。

参考文献
志賀市子編『潮州人 -華人移民のエスニシティと文化をめぐる歴史人類学』(風響社、2018年)。
G.M.フォスター・B.G.アンダーソン『医療人類学』(中川米造監訳、リブロポート、1987年)。

「六邑善堂」(潮州系華僑の社会福祉施設)の古い葬儀場(手前)に隣接して病院(奥)があり、現在も病院の新しいビルが建設されている(ベトナム・ホーチミン市、2020年2月、芹澤知広撮影)。
「六邑善堂」(潮州系華僑の社会福祉施設)の古い葬儀場(手前)に隣接して病院(奥)があり、現在も病院の新しいビルが建設されている(ベトナム・ホーチミン市、2020年2月、芹澤知広撮影)。

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