宗教学科 オリジナルコラム−「パレスチナ問題」への一視点(2014年8月3日号)
中東、パレスチナ自治区のガザで、イスラエル軍とイスラム組織ハマスとの戦闘によって、多くの市民が犠牲になっている。背景にあるのは、パレスチナという土地をめぐるユダヤ人とアラブ人の対立—いわゆる「パレスチナ問題」である。
最近では、日本の新聞やテレビ番組でも、パレスチナ問題の現状のみならず、その歴史的背景についても簡単な解説がなされるようになった。メディアでは、よく「泥沼化」や「出口なき報復の連鎖」といった表現が用いられており、今回の衝突も、まさにそうした印象を裏づける形になっている。
パレスチナ問題の歴史的要因として、しばしばユダヤ教とイスラム教の対立が強調されるが、もちろん、この構図は単純過ぎる。宗教対立がこの問題の重要な側面であることは否定できないが、そこには、より複雑に絡み合った歴史的・地政学的背景があることも事実である。
にもかかわらず、こうした問題が往々にして宗教対立の構図で語られてしまうのは、当事者が何らかの政治的行動を取り、それを正当化する際、頻繁に“宗教的な根拠”が持ち出されるからである。いわゆる「政治による宗教の動員」という手法である。
一方、メディアを通して現状を見聞きしている私たち非当事者の側も、当事者の宗教的な説明を容易に受け入れる傾向がある。それは、宗教対立の構図に見合った説明の方が“分かりやすい”からだろう。しかし、それはがかえってドグマ(独断的な説)のような固定観念を作り出すことにつながる可能性がある。
こうして見ると、当事者の説明(事実の正当化)と非当事者の理解との間に、ある種の「相互作用」があるようにも思えてくる。いずれの側も、事態の複雑さを単純な言説に仕立て上げることで、問題の解決に向かうために必要な、粘り強い思考が遮断されてしまうのではないだろうか。
私たち非当事者が、当事者の「政治による宗教の動員」の作法を見抜くためにも、さらには当の問題をより正確に理解し、その解決の端緒を模索するためにも、その思想的・歴史的背景に関する一定の知識が不可欠なのである。
パレスチナ問題は、その最たる事例であろう。
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