脳卒中を発症し、長期臥床による廃用症候群が進行していた患者さんと出会った日のことを、今も鮮明に覚えています。わずかな表情の変化や指先の動きに注意深く寄り添いながらケアを進めていたある日、ご家族が「この曲が好きでよく聞いていたんです」と、静かに音楽を流してくださいました。
その瞬間、患者さんの眉がふっとやわらぎ、閉じていた瞼がゆっくりと震えました。呼吸は深く、穏やかになり、周囲の空気まで温度を帯びたように感じました。
状態は変わらなくとも、その方の“生きてきた時間”に触れた気がし、看護の場にひそやかな風が通り抜けたような、みずみずしい体験でした。
私自身、毎日音楽に癒されながら日々過ごしていますが、あらためて考えると、病院という空間にはほとんど音楽が流れていません。
医療の場には厳粛さや静けさが必要ですが、人が「その人らしくあること」を取り戻すためには、五感をやさしく刺激する環境も欠かせません。音楽は、記憶や感情を呼び起こし、人と人との距離をそっと近づけてくれる力を持っています。看護の営みにおいて、音楽がもたらす作用は、私たちが思っている以上に大きいのかもしれません。
ミルトン・メイヤロフは『ケアの本質』※の中で、ケアの根幹を支えるものとして「基本的確実性(Basic Certainty)」を挙げています。ケアを受ける人が、「自分はここにいてよい」「この人は自分を大切に扱ってくれる」という確信を持てるような関係性。それは、言葉や技術だけではなく、周囲の環境や私たちの振る舞いのすべてから醸成されるものです。
音楽がその“基本的確実性”を育む小さな手がかりになるなら、私たちはもっと自由に、もっと創造的に、ケアの空間を整えてよいのではないかと思います。
あの日、音楽にそっと反応した患者さんの表情は、私にとって看護の原点のような一瞬でした。
ケアとは、その人の世界に静かに寄り添い、ほんの少しの変化を共に感じ取る営み。音楽は、その扉をそっと開く鍵になるのだと、今も思い続けています。
執筆者(医療学部・看護学科 東 真理・准教授)
※ミルトン・メイヤロフ著 『ケアの本質:生きることの意味』ゆみる出版