「先生、ようやく“アートとハート”のあり方が今、具現化できているのかなと思うとすごく嬉しくてワクワクしながら看護ができて幸せです。」
先日、かつての教え子から届いた一通のメール。その言葉を読んだ瞬間、胸の奥がじんと熱くなりました。彼女は看護師18年目。総合病院から訪問看護ステーション勤務に変わり、終末期の患者さまを在宅で看取る過程で、自分の看護と向き合う中で気づいたそうです。「あの頃、先生が言っていた“看護技術は目に見えるものだけじゃない”っていう言葉が、やっと身体に落ちてきました」と。
私は長く看護教育に携わっていますが、教え子からこうした言葉を受け取る瞬間ほど、教員としての喜びを感じることはありません。学生の頃の彼女は、いつも一生懸命でした。ただ、感情との向き合い方にはどこかぎこちなさがありました。患者さまの言葉に涙をこらえきれず戸惑うこともあれば、つい感情に巻き込まれて冷静さを欠くこともありました。不器用な彼女でしたが、そのどれもが「真剣に人と向き合おう」としていた証であり、私はそんな彼女の姿勢に何度も胸を打たれたものです。
看護は人と深く関わる仕事です。患者さまの痛みに共鳴し、苦しみに寄り添うには、自分の感情に正直であることが欠かせません。同時に、自分自身の感情を客観的に見つめる“自己理解”の力も必要です。それがあってこそ、相手の感情にも柔らかくしなやかに触れることができるのだと、私自身、教員生活の中で学んできました。
「アートとハート」。それは、看護を“目に見える技術”としてだけでなく、“人と人の間に生まれる関係性”としてとらえる姿勢です。マニュアルには載っていない、でも確かに存在する“ケアの温度”を感じ取る感性。言葉にできない想いを、目や声や手の温もりで受けとめ表現する力。この受け止め表現する力とは、彼女がこの18年の間、自己の感情に向き合い、防衛する自己を素直に受け止め、意味づけ、一歩ずつ前進してきたプロセスが今、この新しい感情に巡り合え、自己の看護観となり患者さまとの関係性につながったのだと。その力が、彼女の中で育っていたことに気づけたこの一通のメールは、私にとって何よりのご褒美でした。
教えるという仕事は、種をまく仕事です。その芽がいつ出るのか、どんな花を咲かせるのか、すぐにはわかりません。でも、こうして時を経て確かな実りとして返ってくることがある。それが、看護教員として生きることの尊さであり、幸せなのだと改めて感じました。
これからも、感情に迷いながら、答えを探し続ける学生たちと共に歩いていきたい。彼らの中にある“ハート”を信じて。そしていつの日か彼らのハートが織りなす患者さまとの関係性の看護技術の意味を彼らが覚知し、“アート”の意味に気づく日を楽しみに待ちながら。
執筆者(医療学部・看護学科 上原麻利・講師)