わたしたち看護師の役割のひとつに患者の声をしっかりと聴くということがある。もちろん、乳児や認知機能の低下した方など言葉を話すことが難しい方の客観的な反応から身体的な変化を解釈していくという役割はあると思うが、言語的な要素で対話をするときでさえも捉えきれていないと感じるときがある。
臨床で新人看護師として勤務しているとき、慌ただしい勤務終了後に、冷静になって患者さんとの自身の対話を振り返りながら、後で対話中の言葉の意味をもう一度考え、十分に聴くことができていないことに気付くことがあった。その時の気持ち的な余裕の無さや緊張感、自身の知識や経験、思考の未熟さなども影響していたと考える。分かったつもりになっていた節もあったかもしれない。今、実践を積み、研究者としての視点も学び、臨床の場面に向き合う中で、患者さんの声を正しく受け取ることができているかということにさらに意識が高まるようになった。身体的、病態的な状況、その言葉が放たれた言葉の文脈やその方の背景を含めて、患者さんが生活している体験世界の中からでなければ捉えられない声があることを強く感じる。
師より指導を受け、気を落としつつも、自身に不足した視点や気付き、思考を引き続き、身につけていかなければならないと思う今日この頃である。
執筆者(医療学部・看護学科 福田 正道・講師)