《公開講座記録》【人文学へのいざない】第3回 「和辻哲郎『古寺巡礼』を読む」 2025.06.23 社会連携生涯学習公開講座記録 # 公開講座

《公開講座記録》【人文学へのいざない】第3回

●2025年6月7日(土) 午後1:30
●テーマ:「和辻哲郎『古寺巡礼』を読む」
●講師  深谷 耕治  (宗教学科 講師)

内容

和辻哲郎の『古寺巡礼』は大正8年(1919)の出版以来とりわけ多くの人に読まれてきました。本講座は、本書の現代的な意義について、当時の背景から考えていきます。

1、大正時代と文明の危機

和辻は、大正時代に、明治維新以来進められてきた近代化の限界や問題が浮き彫りになってきたと捉えています。自然科学の発達に代表されるような近代化によって、街に電灯がともったり電車が走ったりと私たちの生活は大きく変わりました。しかし、のような物質生活の急激な発展は、人々の欲望を解放し、征服欲や競争欲を駆り立てることにもなりました。その結果、国家間に対立が生まれ、軍拡が広がっていき、ついには世界規模の戦争に至ります。和辻は、大正3年(1914)に勃発した第一次世界大戦を目の前にして、そこに「近代文明の危機」を見ました。

 また、国内に目を向けても、そのような世界情勢に対応するように、国民道徳が謳われて精神的な教養が富国強兵の道具にされたり、目先の変化を喜ぶ流行があったりするだけで、日本文化は形骸化していました。このような状況の中で、和辻は精神的生命の回復を求めます。そのような試みは「偶像再興」と表されました。

2、偶像再興と古寺巡礼

 和辻によれば、本来、仏像に代表されるような偶像には生命の力が宿っています。しかし、そのような象徴的な効果が失われとき、仏像はかたちだけの像になってしまいます。そして、このような形骸化は仏像だけでなく、人々の考えや生活、制度、文化全般に見られます。和辻は、偶像再興という言葉で文化全般が持つ象徴的な力を復活させることを求めました。

 和辻は、そのような考えを抱いていた頃、大正7年(1918)、29歳のときに友人たちと奈良旅行に行き、さまざまな仏教美術にふれました。そして、そのときの印象記をもとにして、翌年『古寺巡礼』を出版します。当時の背景を考えると、『古寺巡礼』はただの旅行記ではなく、和辻が、仏像からどのようにして象徴的な生命を受け取ったのかを記したものといえます。そして、そのような視点から『古寺巡礼』を読むと、偶像再興という実践の、和辻自身も自覚していなかったようなポイントが浮き彫りになってきます。

3、偶像再興と揺れる自己

 まず、和辻は『古寺巡礼』の「巡礼」とは宗教的な礼拝物ではなく、芸術作品に対するものと述べています。しかし、それにもかかわらず、実際の文章には宗教的なものへの憧れのようなものが読み取れます。たとえば、聖林寺の十一面観音像に対しては「我々はそこに神々しい威厳と、人間のものならぬ美しさとを感ずる」と述べられていたり、中宮寺の菩薩半跏像は、芸術作品(彫刻)でも宗教的礼拝物(推古仏)でもなく、「芸術」や「宗教」のカテゴリーを超えた「慈愛そのもの」として記されていたりします。このような文章に出会うと、和辻自身の定義とは別に、「巡礼」とは、偶像を前にして「宗教/芸術」や「信仰/美」の間で揺れる自己の在り方を問い直す旅ともいえます。『古寺巡礼』には、偶像の象徴的な生命の復活を試みるとき、その実践者にも何かしらの揺れや葛藤がもたらされることが示されています。

4、『古寺巡礼』の現代的意義  さて、仏像は芸術作品なのでしょうか。それとも信仰的な対象物なのでしょうか。あるいは守るべき文化財でしょうか、売るべき商品でしょうか。仏像に限らず、偶像は多様な意味や価値を交差させながら、今も私たちの目の前にあります。そして、もしその形骸化を問題にし、その象徴的生命を復興させようと試みるなら、そのプロセスではきっと私たち自身の在り方も問われるのでしょう。そこに現れてくる自己の揺れや葛藤には脆弱さの表れかもしれません。しかし、それは自己を単一的で強固なものとして固定化し、他者を排除する思考を回避する一つの術とも言えるのではないでしょうか。世界中で暴力が広がっている現在、偶像と和辻の文章はさまざまな仕方で私たちに問いかけています。

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