
《公開講座記録》【「大和学」への招待―郡山の歴史と文化2―】第1回
●2024年5月25日(土) 午後1:30
●テーマ:『平和のシンボル、金魚が泳ぐ城下町。』を読む。
●講師 幡鎌 一弘 (歴史文化学科 教授)
内容
大和郡山は奈良県の中央に位置し、歴史と文化が豊かな町である。自治体史の編纂は早くから行われており、1953年に発行された『郡山町史』は、奈良県における本格的な自治体史の先駆けとなった。その後も『大和郡山市史』(1966年)、『ふるさと大和郡山歴史事典』(1987年)、『大和郡山歴史ものがたり』(1999年、小学校の副読本)などの歴史書が刊行されてきた。そして2022年、半世紀ぶりに新たな自治体史として『平和のシンボル、金魚が泳ぐ城下町。―郡山の歴史と文化―』(以下、『歴史と文化』とする)が出版された。
自治体史の編纂には多くの時間と労力が必要であり、執筆者や事務局の尽力には敬意を表したい。
『歴史と文化』は、郡山の歴史を古代から現代まで幅広く扱い、なかでも考古学的な記述が充実している。特に郡山城に関する記述が豊富で、赤膚焼や浦上キリシタン、柳澤保申といった地域の歴史を彩るテーマも詳しく取り上げられている。これらの内容は、近年の研究成果を反映したものである。
本書の特徴のひとつが、序章「大和郡山市の成り立ち」にある。古い自治体史では、自然や地理について冒頭で説明することが多かった。しかし『歴史と文化』では、近代史から説き起こし、大和郡山市という都市がどのように成立したのかを理解しやすくしている。この序章では、明治維新後の奈良府・県の成立、廃藩置県、村の再編などを概説しており、これにより、本書の近代部分ではこれらの事項の記述を省略している。
また、「序」の「大和郡山市あれこれ」では、景観や溜池、街道、鉄道、名産、教育、神仏分離、寺院や神社、文化財、遺跡、古墳など、多岐にわたるテーマが取り上げられている。これらの内容は本文の導入として機能し、また本文で詳しく触れられなかった部分を補完する役割も果たしている。
講演では、この本の特徴を踏まえながら、二つの視点から補足的に解説した。
第一に、近代への移行についてである。明治21年の市制町村制により、郡山町、筒井村、矢田村、本多村、平端村、治道村、平和村、片桐村が成立し、その後の合併を経て現在の大和郡山市が形成された。この市域は、添下郡、平群郡(のちに生駒郡)、添上郡、山辺郡にまたがっており、複雑な背景を持つ。特に添上郡の治道村は、添上、添下、山辺の各地域が合併して成立した村であり、当時の史料によると、新庄村はもともと山辺郡だったが、地租改正の際に添上郡に編入され、その後、再び山辺郡に戻したいという意見もあったという。市町村の合併にはさまざまな思惑や軋轢がつきものであり、今後、旧治道村役場の文書が整理・活用されることで、より詳しい歴史が明らかになるだろう。
第二に、近世の領主についてである。郡山藩があったことから、市域の大半が郡山藩領だったと思われがちだが、実際にはそうではない。郡山藩領は市域の半分以下であり、それ以外に、小泉藩領、幕府領、興福寺領、春日社領、額安寺領、旗本領(7家)があった。興福寺領はさらに、一乗院、大乗院、喜多院、寺門領に細分され、春日社領も社家領と祢宜領に分かれていた。特に興福寺の寺門領では、田畑単位で領主が異なる「小割方」という特殊な制度が存在しており、これが年貢の受け渡しに関わる「草使」の制度につながった。このような土地制度の複雑さは、大和地方の歴史の特徴のひとつといえる。
『歴史と文化』は、これまでの研究成果を活かしながら、新たな視点を加えて大和郡山の歴史を描いている。近世から近代にかけての社会の変化や、人々の暮らしの移り変わりが詳細に記されており、大和郡山の歴史を知る上で貴重な一冊である。