宗教学科 オリジナルコラム−エジプト騒乱から見えてくるもの(2013年9月1日号)
エジプトがまた、大きく揺れている。
7月初めに起こった軍事クーデターにより、2年前に民主的に選ばれたムルシ大統領の権限が剥奪され、エジプト軍主導の暫定政権が樹立された。しかし、これに対するムルシ支持派の抗議デモが拡大したことをうけ、軍はそれを強制的に排除するという手段に出た。その結果、多くの犠牲者を出す深刻な事態に陥っている。
今回の一連の混乱は、ムルシ政権発足当初からくすぶっていた火種が、一気に爆発したものと捉えることもできる。背景には、ムルシ前大統領の政治手腕や彼自身が属するイスラム主義組織「ムスリム同胞団」への国民の意見対立、景気のさらなる悪化に対する不満など、幾つもの交錯した事情がある。
いずれにせよ、今日の混乱を見れば、「アラブの春」として驚きをもって全世界に報じられた2年前の劇的な政変は、もはや昔日の感がある。民衆の革命によって独裁政権を倒し、民主的な手法によって樹立されたはずのムルシ政権が、いまや軍隊の介入という最も非民主的な手段で転覆された現実は、まさに皮肉と言うほかはない。
9.11以来、イスラム主義勢力がテロという手段で自らの主張を訴えようとする姿を、世界は幾度となく目撃してきた。だから私たちは、イスラムという宗教が何か潜在的に暴力を内包しているものと捉えがちである。しかし、いまエジプトで起きているのは、ムスリム同胞団のようなイスラム主義勢力を制圧しようとする、世俗的な軍隊による暴力にほかならない。
そこから見えてくるのは、それがいかに世俗的で民主的な主張であろうとも、自らの利害の獲得や政治的主張の貫徹のためには暴力的手段に訴えることも決して珍しくはないという現実である。
たとえ、それがあからさまな暴力という形をとらずとも、実は民主制そのものが自らの内部に、ある種の矛盾を含んだものであることを、今回のエジプト騒乱は反面教師として、私たちに示しているとは言えないだろうか。