おやさと研究所では9月25日(金曜)、2026年度公開教学講座シリーズ「布教伝道と伝道学」の第5回講座として、澤井治郎研究員が「伝道史の探究1―明治時代における教会設置」という演題で講演いたしました。澤井研究員には、この時期の天理教について著した研究書『「おさしづ」に道を求めて』(グローカル新書17)があります。
今回の発表は、とくに明治20年代に大きく教勢を伸ばした4つの教会に焦点を当てながら、分教会や支教会などの教会制度が導入される過程を追証する内容でした。
天理教に教会が設置される大きなきっかけとなったのは、教祖在世当時の「大日本天輪教会」創立運動(明治17~18年)でした。この運動それ自体は教祖の思いに沿わないために挫折しますが、その後、教会設置の動きが本格化していきます。ただし、必ずしも信者が皆これに同調していたわけではなく、従来の講組織のままで良いとする人たちもいました。
天理教の教勢伸展に繋がったのは、教会設置を目指した人たちの動きでした。そのためにはまず教会本部を設置することが不可欠で、これに尽力した人として、諸井国三郎、清水与之助、平野楢蔵がいました。明治21年に教会本部(神道天理教会)が認可を受け、おぢばに移転した後、彼らはそれぞれ分教会の設置に向けて動き始めます。また、この頃、京都では深谷源次郎が斯道会を設置していて、教勢を伸ばしていました。
澤井研究員の発表は、この4名による最初期の分教会設置の動きを丹念に追うことで、天理教における教会制度のモデルがどのように形成されてきたかを探るものであり、教会設置の歴史過程について、従来の研究よりも解像度の高い分析を示すものでした。
諸井国三郎は最初に分教会設置に動き、山名分教会を設立しました。そして、教会運営の組織化に先鞭を付け、部内教会をつくることを明確な信仰上の目的として設定しました。一方、清水与之助は初代真柱から「最初に願い出よ」と言われて、兵神分教会を設立しました。また平野楢蔵が設立した郡山分教会は、最初に地方庁の認可を受けたものです。深谷源次郎が設立した河原町分教会では、最初に部内に支教会を設置しました。明治29年の時点で、天理教全体の教会の半分以上が山名・兵神・郡山・河原町の4分教会の系統になっていました。
講演の後、講と教会のあり方について、現代における新たな教会のモデルについて、また布教と「においがけ」の違いについてなど、活発な質疑応答や意見交換が行われました。最後に井上昭洋所長より総括コメントがなされました。 次回の公開教学講座は、10月25日(日曜)13時より、「伝道史の探究2―戦前・戦中の北米伝道」と題して、尾上貴行研究員が講演いたします。場所は天理大学研究棟第1会議室です。事前申し込みは不要ですので、ふるってご参加ください。
「布教伝道と伝道学」(2026年度公開教学講座シリーズ)ご案内
https://www.tenri-u.ac.jp/news/65105/
*写真1:澤井治郎研究員の講演の様子
*写真2:教祖年祭写真と『グローカル天理』バックナンバー展示


(おやさと研究所・金子昭)
※第10回2月 井上昭洋 所長
伝道学の展開3―帝国時代とポスト帝国時代の海外布教戦略
会場がふるさと会館大ホールへ変更になりました。
※第6回と第7回が変更になりました。
<変更後>
第6回10月 尾上貴行 研究員
伝道史の探究3―戦前・戦中の北米伝道
第7回11月 岡田正彦 研究員
伝道史の探究2―『天理教伝道者に関する調査』を読む