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 【生涯学習】

《公開講座記録》【ことばと文学】第1回 万葉集の「も」のはなし

第1回 ●2019年6月1日(土) 午後1:30
テーマ ●万葉集の「も」のはなし
          ●講師  吉田 茂晃 国文学国語学科教授

内容

「も」という助詞は「は」と裏腹の関係にあります。たとえば「長男<は>社会人だ」と言えば、社会人は長男だけで長女はまだ学生なのかなと思いますし、「長男<も>社会人だ」と言えば、社会人は長男だけでなく長女もまた社会人なのだろうと思います。「は」は類似のことがらの中から一つだけを取りだして主張する「排他性」「分説」の助詞であり、「も」は類似のことがらともども主張する「許容性・含蓄性」「合説」の助詞なのです。

ただし、「も」には含蓄性の明確でない用例もたくさんあります。「えっ、このコーヒー一杯800円<も>するの!?」「あんた<も>物好きだねぇ」などにおける「も」は、類似のことがらを含蓄しているというよりは、当該のことがらに接して心が動揺したこと、すなわち「詠嘆」を表わしていると言えるでしょう。

こうした「詠嘆」的な用法は、実は現代語より古典語においてのほうが活発で、「うらうらに 照れる春日に ひばりあがり 心悲し<も> ひとりし思へば」(万葉集<以下、「万」と表記する>4292番)のような、文末に終助詞として用いられるものも多く見受けられます。そうなると、類似のことがらを含蓄する合説用法と、文末に用いられる詠嘆用法との関係が気になるところです。両者は同じ一つの助詞の二つの側面なのでしょうか、それともたまたま同じ発音をする別々の助詞なのでしょうか。

そこで、万葉集における「も」の文中用法をすべて集めて、含蓄性の明確なものからそうでないものへと並べてみることにしました。典型的に含蓄性を指摘できるものから、詠嘆としか考えようのないものまで、連続的に変化しているのか、それともどこかに不連続面が存在するのか、それを突き止めたいのです。

含蓄性の明らかなものは、たとえば「雨<も>降る 夜<も>更けにけり いまさらに 君去なめやも 紐解き設けな(万 3124)」などのように「Aも~Bも~」の呼応があるものですが、「古<も> かく聞きつつか 偲ひけむ この古川の 清き瀬の音を(万 1111)」などは、「古も」に対応するのが「今も」とか「現も」とかであることはまちがいなく、その意味で、含蓄性の用例であると認められます。

具体的な項目どうしの対応ではないものの、当該のことがら以外にも類似のことがらがあることを暗示するようなものには、含蓄性を認めてよいのではないかと思います。たとえば「…… いざ子ども あへて漕ぎ出でむ には<も>静けし(万 388)」は、海面が静かであることを述べているのですが、船出を促す条件がほかにもあることを「も」が暗示しています。また、「隼人の 瀬戸の巌<も> 鮎走る 吉野の滝に なほしかずけり(万 960)」は、隼人の瀬戸の美しさが吉野の滝に及ばないことを述べていますが、吉野の滝に及ばない景勝地がほかにもあること、そしてその中では隼人の瀬戸がもっとも惜しい負けかたをしていることが表わされています。

類似事態の存在を暗示するはたらきは逆接表現と相性がよく、「も」が盛んに用いられますし、未来時に属する仮定条件・願望表現・意志表現・命令表現も不確定要因を含むという点では複数の可能性をもっていると考えてよく、したがって含蓄性の「も」がしばしば用いられます。量・程度表現にも「も」が用いられることが多いのですが、量や程度というものそのものが複数の事態を比較する中から生じる概念ですので、そうした構造が含蓄性の「も」と親和的なのだろうと思われます。

このように見てくると、万葉集の「も」のかなりの部分に含蓄性が指摘できるのですが、どう強弁しても含蓄的だと言えない例も残る、というのが偽らざるところで、今後の課題です。

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