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 【生涯学習】

《公開講座記録》【人間学で読み解く現代社会】第1回 自分の外側にある、自分を動かす何かについて —人間学と社会学—

第1回
●2022年5月28日(土) 午後1:30
●テーマ:自分の外側にある、自分を動かす何かについて —人間学と社会学—
●講師  石飛 和彦(人間関係学科 教授)

内容

「人間学」をはじめるにあたり、まずは、私たちが「人間」についてすでに十分に知っているのだという考えをしりぞける必要があります。「人間」という存在を、私たちがまだ知らない「何か」として見つめ直すこと — これが、人間学のスタートラインになります。講義では、社会学の視点からその「何か」に触れながら、人間学の世界への扉を少しだけ開くことを試みました。

出発点として取り上げたのは「人間は自由だ!」というイメージです。私たちは、人間は自分が思うまま自由に行為できる、すくなくとも、「思う」ことだけはだれでも自由にできる、と考えがちです。だから、私たちは、この社会でおこるさまざまな出来事や現象を、人間がそうしようと思ってやったことだと考えがちです。
そのようなさまざまな出来事や現象を、解明するための学問というのがあります。
たとえば、人間は「心」を持っているので、その「心」の法則を明らかにすれば、人間の思いや行為を解明できるだろう、というのが「心理学」です。また、人間をふくむ生物は「生命」を持っているのでその「生命」の法則を明らかにすれば、人間や生物たちが遺伝的・本能的に定められた行動を解明できるだろう、というのが「生物学」です。動物的・本能的な部分は生物学が、そして、より高いレベルの、人間の「心」については心理学が解明してくれる、そして、とくに「心」というのは、とにかく自分の心だけは自分でわかるし自分で自由になんでも思うことができる、それが人間だ、と、思われていたわけです。
現代社会学の父であるエミール・デュルケーム(1858-1917)が「社会学」を立ち上げようとした19世紀終わりごろには、だれもがそのように思っていた。いよいよこれから個人主義と自由の時代が訪れるぞ、人間が思いのままに活躍できる世の中になっていくぞ、とだれもが思っていたわけです。そしてしかし、デュルケームはその風潮に敢然と異を唱えます。「社会」が人間を形作り、思考させ、行動させ、そして「社会」が人間に「自分は自由な個人だ」という思い込みを植え付けているのだ — そのようにしてデュルケームは、ちょうど心理学が「心」を対象とし、生物学が「生命」を対象とするのと同じようなやり方で、「社会」を対象とする学問すなわち社会学を立ち上げます。

講義では、デュルケームの主著『社会学的方法の規準』第1章「社会的事実とは何か」を、段落を追いながら読んでいくことで、デュルケームが当時の常識に抗って(おそらく現代の私たちの常識にも反する形で)「社会」というものの実在性を論証し輪郭づけていくようすを辿り、あの有名な、「諸個人の外に存在し、個人に対する強制力をもっている」という規定が練り上げられるようすを、大小16の段落を辿ることで見ていきました。ファッションがずれていると笑われるとか、ライブで盛り上がった帰り道に我に返るとか、ふつうの事柄を説明していくうちに、いつのまにかデュルケームは、「社会」の実在性すなわち、この社会には、山田さんとか田中さんとかいうひとびと全員とは別の次元に「社会」というものが存在して、その「社会」こそが実在であり、その「社会」が私たちを形作り思考させ行動させ外側から強制力を及ぼすのである、といういかにも奇妙な主張を説得力を持って提示します。私たちは自分が自由な個人だと思い込み、「自分の外側にある、自分を動かす何か」すなわち「社会」の姿を見逃すが、この「社会」の仕組みを解明することによってこそ私たちは「人間」を捉えられる。これが社会学の視点から見た「人間学」ということになるわけです。

講義では最後に、この公開講座シリーズの構成になぞらえて、宗教学・臨床心理学・社会福祉学・そして生涯教育学といった学問がそれぞれ「自分の外側にある、自分を動かす何か」に触れ、それを解明し、そしてよりよいものとしていこうとしているのかに触れました。

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