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 【宗教学科】

宗教学科 オリジナルコラム−ボストン爆弾テロ事件と米国の反応(2013年5月5日号)

  先月15日に米・ボストンのマラソン大会で起きた爆弾テロ事件。今回の事件が「9.11」と異なるのは、アルカイダのような組織を背後に持つ者の犯行ではなかったという点である。容疑者の兄弟はチェチェン系移民であり、イスラム教の思想を背景とした、二人だけによるものであった。
 
 おそらくはそのことが、容疑者逮捕以降のメディアや国民の反応において、イスラム教を直接的な攻撃の対象とするような姿勢が抑制されている要因の一つであろう。組織的な犯行でなければ、怒りや攻撃の対象を、その宗教伝統に対して、あからさまに向けることがはばかれるのも頷ける。これは、9.11以後の米国内でのイスラム教に対する激しい感情の発露と比較すれば、大きな変化と言えよう。
 
 とはいえ、今回のような衝撃的な事件の場合、往々にして人はその“意味”を突き止めようとする。そしてその中で、説明に資する新たな言葉を生み出すことがある。今回の事件の場合、それが「ホームグロウン・テロリズム」という言葉である。
これは、外国に住む過激派による組織的なテロ行為ではなく、なんらかの過激思想に共鳴した自国内の人間が、その国の中で行うテロ行為を意味する。
 
 もっとも「ホームグロウン・テロリズム」は、今回が初めてというわけではない。
近年では、2005年のロンドン同時爆破事件が記憶に新しい。また、9.11の首謀者には、米国内で飛行訓練を受けた人物が含まれていたことも思い起こされる。
 
 にもかかわらず、今回の事件を「ホームグロウン・テロリズム」という言葉で特徴づけようとする動機の背後には、単にそれが、自国で生きる人物によって引き起こされたという含意を超えたものがあるようにも思われる。
 
 イスラム教の思想に突き動かされてテロ行為を行うような、従来は米国にとっての“他者”であったはずの人々が、もはや自分たちの“隣人”になったという現実—。そうした米国民の複雑な感情の現れを、この言葉に見ることもできるのではないだろうか。
 

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