沿革
沿革
◆天理教亜細亜文化研究所(昭和17年12月31日~21年10月17日)
研究所設立の母体は、昭和5年、天理図書館竣工後ほどなく発足した「日本(やまと)文化研究会」で、この会は、研究所の設立によって発展的に解消し、それまで行われていた資料収集や調査研究、あるいは『日本(やまと)文化』(第23号以降)の刊行は、研究所に引き継がれました。
研究所発足当時、組織は、第1部日本文化、第2部大陸(朝鮮、満州、中国、モンゴル、インドなど)、第3部大洋(フィリピン、ニューギニア、オーストラリア、ニュージーランドなど)、第4部宗教(仏教、キリスト教、イスラム教など)の4部制が敷かれました。そして、総裁以外のスタッフは、副総裁に中山為信、顧問に姉崎正治、新村出、古野清人の各氏が就任し、高橋道男所長以下11名が調査・研究活動を始めました。その後、昭和21年9月までに12名が新たに加わり、その間、所長は高橋道男氏から古野清人氏に代わりました。
◆天理文化研究所(昭和21年10月18日~24年3月31日)
昭和23年4月17日、古野清人所長の辞任にともなって諸井慶徳氏が所長に就任しました。諸井氏は、就任するや『天理文化研究所報』の発行をはじめ、天理教と現代思潮講座、古典語講習会や月例研究発表会の開催、天理教学叢書の企画・編集など、一段と活発な活動を展開しました。また、スタッフは昭和23年5月1日までに9名が追加されるなど、調査・研究活動や講習会開催、あるいは出版活動の一層の充実が図られました。
◆天理大学宗教文化研究所(昭和24年4月1日~31年8月31日)
◆おやさと研究所(昭和31年9月1日~)
教祖70年祭を契機に、理念を変えずむしろ事業の強化・拡充を目指して、研究所は今日の「おやさと研究所」に改称され、従来の機構を第1部として残し、新たに第2部として東洋諸国文化の調査研究部門を加えて、昭和31年9月から正式にスタートすることになりました。所長は岸勇一学長が兼務することとなり、第1部主任に諸井慶徳氏、第2部主任に高橋亨氏が就任しました。そして、昭和37年4月にはアフリカ及びラテンアメリカの宗教や文化に関する調査・研究部門(第3部)が追加され、また、昭和41年になると帷子二郎氏が就任したことによって、研究体制の一層の充実が図られることになりました。その間、『東方学紀要』のほか、『虚應堂集』、『校注異域録』などが出版されました。
昭和47年4月、研究所は3部制を廃止し、天理教教理を根底にして宗教思想と文化の研究に重点を置くようになりました。そして、テーマに応じて、宗教学科や天理教校の研究者とプロジェクトを組んで研究を続けることになりました。その間、『現代社会と天理教』、『天理教事典』、『天理教概説』などを刊行したり、「伝道参考シリーズ」として『近代ヒンドゥー教の思想と運動』、『伝道宗教の展開と変容』、『如来教の思想と信仰』、『伝道学概論』、『天理教伝道史概説』等を出版しています。
平成4年の大学改革にともない、再度おやさと研究所の設立理念を確認し、専任研究員の増加を図りながら従来の事業を引き継ぐとともに、各研究機関より研究員を兼任として協力を仰ぎ、伝道研究会、宗教研究会、地域研究会を設け、『おやさと研究所年報』を発刊するなど、積極的な活動を展開しています。また、平成12年1月に月刊『グローカル天理』を創刊しています。