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「アメリカ・ルネッサンス」の歴史性

 

酒 本 雅 之  

 ヘンリー・ソローは1843年6月、ニューヨークから故郷コンコードのエマソン夫人に宛ててこう書いている、「ぼくはあなたの手紙を1ページ読んだだけで、日没の岡のてっぺんまで登ってきました。海の見えるこの場所で手紙の残りを読む心の準備をするためです。ぼくの部屋の壁より海の音のほうがこの手紙にはふさわしいのです」。エマソン夫人の手紙の中身は知る由もないが、ソローが心を動かされ、その思いに「ふさわしい」場所として、海の眺望を選んだことは確かだ。それに彼はほぼ同じ頃、母親に宛ててもこう書き送っているのだ、「ぼくが呼吸するには大陸全部が必要です。 . . . ぼくは目の前に海の見える南海岸の浜辺にぜひとも住まねばなりません」。空間の限りなさが彼にはよほど欠かせぬものだったらしい。

 Sherman Paulの表現をかりるなら、海はソローにとって、「未知なる世界の外縁」(The Shores of America, p. 199) だった。熟知したこの日常空間よりも、かなたにある筈の「未知なる世界」に引かれるというこの心性は、たとえばホイットマンの詩句にも頻出する、「広く広く星座は広がる。拡大しつつ、ひっきりなしに拡大しつつ、外へ外へと永遠に外をめざして」。この「永遠に」遠心的な心性を、超越主義の代表的な思想家エマソンは、限りある個人が「大霊 (the over-soul)」という普遍者と一体化を果たす過程として、ラプソディックに語りつづけた。

  つまり、個人が個体というおのれに固有の枠組みを超えて、どこまでも拡充しつづけたいと熱望するこの心性は、どうやら同時代人たちに共有される歴史的所産だと考えるべきなのだ。エマソンは『日記』の中で、「ぼくは自分がいつかは個人であることをやめるだろうと信じている。魂の永遠の志向は普遍者になることだ」(1837・8・21付)と、歴史の進展が産み出したこの心性に端的な表現を与えた。しかし忘れてはならないが、歴史の波に洗われたのは、「魂の永遠の志向」を共有する正統派ばかりではない。無際限に「外をめざして」膨張しつづける社会のありように、何か不穏で不気味なものを感じ取る批判的な精神たちもいた。しかしその彼らでさえ、たとえ憎み、疑い、あるいは恐れるという批判的な視座からではあっても、とめどなく変貌をつづける社会の風景から目をそらすことはできなかった。

 たとえば、『白鯨』のエイハブ船長が、「目に見えるものはすべてボール紙の仮面みたいなもの。だが・・・その仮面の背後には、正体は不明な・・・何ものかが」潜んでいると言い立てるとき、彼は可視的で理解容易なこの当面の世界よりも、間違いなく「正体は不明な」見えぬかなたを見つめていた。前者は「ボール紙の仮面」ふぜいでしかないのに、背後のその「測りがたいもの」は「何よりも憎い」(36章)のだ。エマソンとは一見似ても似つかぬポウでさえ、「アッシャー家の崩壊」や「ライジーア」など、多くのすぐれた怪奇小説で、姿の見えぬ超理性の怖さを繰り返して描いた。理性の光りの届かぬかなたの曖昧模糊たる異界から防ぎようもなく侵入してきて、本来は確固不動であるはずの個物間の区別を消去し無化して行く怖さだ。結果は当然、それまで明晰に識別されていた理性的秩序が見分けもつかぬ朦朧たる風景に変わって行くことになるが、視座の向きは正反対でも、ポウがソロー同様「未知なる世界の外縁」に正確に触れていることは確かだろう。「理性の時代」の「崩壊」を容赦なく描きつづけることで、ポウは新しい時代の風景を、恐れながらも凝視している。

 視界の外の識別しがたい領域にむしろ強烈に関心を引かれる精神たちが、解放された想像力を次々と気宇広大な作品に結実させて、「アメリカ・ルネッサンス」と総称される多産な時代を作り出すのは、ほぼ1830年前後からだが、Charles Sellers が The Market Revolution (1991年)で丹念に跡づけたように、この頃合衆国は北東部を中心に従来の自給自足型農業を基盤とする小規模な交換経済から、さながら「岡をころげ落ちる雪だるま」(J. T. アダムズ)のような勢いで、産業資本主義化の拡張路線を走り始める。それまでは相手の見える取引きが織りなしていた節度ある暮らしが、不可視不可測な世界が相手の無際限な時空へと連れ出されることになるが、おかげで意識には、かなたに広がる「未知なる世界」との対面を果たさせながらも、この同じ資本主義化のプロセスは、現実世界の中に労使の対立、貧富問題、人間疎外、市場の拡大など、さまざまな問題を着実に再生産しつづけた。

 たとえばソローが『ウォールデン』の中で、「九人集まって一人前とは仕立屋のことばかりではない」と労働の分業化を嘆き、「人間は道具の道具になりさがった」と人間疎外の事実を的確に指摘するとき、彼のその意識の原点には、新しい時代によって醸成された限りない人間像が範型として機能していたに相違ないが、同時に分業であれ人間疎外であれ、いずれもその新しい時代が現実社会の内側に作り出した労働形態であることも忘れてはなるまい。

 つまり「アメリカ・ルネッサンス」の文学には、合衆国社会の資本主義化がその成長期の活力によって醸成した無限眺望が、それぞれの精神の視座を通してさまざまに語られているのだ。ホーソーンの長篇『七破風の屋敷』で銀版写真師ホルグレーヴが、「この世の中は全く・・・理解しがたい世界です。眺めれば眺めるほどますます混乱して」(12章)くると嘆き、あるいは「アッシャー家」の主人公ロデリックの描く絵が「ひとふで加えるごとに茫漠 (vagueness) 」としてくるのも、この無限眺望をまるごと捉えようとするからにほかなるまい。

 無限眺望とはむろん人間概念のことばかりではない。『緋文字』のヒロイン、ヘスター・プリンが、犯した罪に苦悩する牧師ディムズデールを次のように励ますとき、彼女は明らかに世界を開かれた空間として捉えている。「世界はそんなに狭いのかしら。・・・ついこのあいだまで・・・落葉の散りしく荒地でしかなかったあの町で、宇宙はもうおしまいかしら。あそこに見えるあの小道はどこへ通じているのでしょう。人里へ戻る道だとあなたはおっしゃるでしょうね。そのとおりよ。でも前のほうへも通じていますわ」(17章)。こういうせりふを口にする彼女の意識に、際限なく「外へ外へ」広がる遠心的な世界像の内在を読み取ることは容易だろう。

 そう言えばソローも『ウォールデン』の中で、「世界はパリとかオクスフォードとか、わずか一つの場所だけでおしまいなのか」(「読書」の章)と有名都市一辺倒の風潮を嘆いてみせるが、その彼がテキサス併合に端を発したメキシコ戦争 (1846-48年) を、「世の初めよりメキシコ戦争ほどの極悪の罪は犯されたためしがない」(『日記』1846・7付)と断罪したのは偶然ではない。戦後ニューメキシコとカリフォルニアの獲得へとつながって行くこの貪婪な拡張政策をソローがきっぱりと否認し、人頭税の支払いを拒否して投獄されるというあの周知の事実の原点に、合衆国の領界に縛られず、その外へと自在に広がって行く普遍的な意識を想定してみるべきではあるまいか。南北戦争を経て、資本主義が成熟期に入ると、当然の成り行きとして、「アメリカ・ルネッサンス」の超越的ロマンティシズムは、リアリズムに取って代わられることになる。

(お茶の水女子大学名誉教授)