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社会を映す米国映画

 

 2001年のアカデミー賞受賞作の中に『トラフィック』(監督スティーブン・ソダーバーグ、2000/独=米)がある。HPの解説に依ると「アメリカの裏社会に根深く浸透し、巨大な陰の経済を形成する麻薬密売ルート。その中でも、アメリカとメキシコを結ぶ巨大な麻薬コネクション“トラフィック”をめぐって、様々な欲望や陰謀に満ちた事件が繰り広げられる。じわじわと暴かれていく、その“闇”の実態に果敢に挑んでいく男たち。今までの全ての問題作、衝撃作を超越し、圧倒的な“映画の力”を見せつけたこのドラマに、観客は完全にノックアウトされる」。このような映画の中に描かれている世界は、現実の社会問題を理解するのに役立つ。その中でいくつかの作品を紹介していくと、『ヒスパニック』(アメリカにおけるスペイン語を母語とする人々の総称)というマイノリティ集団をテーマに描いた作品がある。『ウエストサイド・ストーリー』(監督ロバート・ワイズ、1961/米)は、ニューヨーク在住のプエルトリコ人の若者を登場させるが、本格的に、生活実態を描いたのは、『ラ・バンバ』(監督ルイス・バルデス、1987/米)だと思う。

 この題名『ラ・バンバ』は有名なメキシコ民謡であり、これがそのまま、この映画の鍵になっているように思われる。物語は、メキシコ系アメリカ人のサクセスストーリーである。そこには、南米人独特の濃密な家族の連帯が描かれており、兄に連れて行かれたバーで、この表題曲「ラ・バンバ」との出会いにより、自らのアイデンティティに目覚めていく。“アメリカでは、スペイン語の歌はヒットしない”と言う常識を覆し、ロック調にアレンジされたこの曲が、大ヒットを飛ばして、主人公は一躍時の人となる。

 名前はリッチー・バレンスで、本名はリッチー・バレンスエラである。英語風に替えたのは、エージェントからの助言によるものであった。もちろんこのやりとりも劇中で見ることが出来る。彼のベスト盤解説の中にも「本名は、リチャード・ステファン・ヴァレンズエラ。彼はメキシコ系インディアン・アメリカンである。〜(中略)〜B面のメLa Bambaモ は、第二次大戦中のヴェラ・クルスで生れたトラディショナル・ソングをロック・アレンジしたもの。当初、彼は自分の精神的文化背景であるメキシコの音楽を改作することに意欲的ではなかったようだが、ボブ・キーンの説得により、リッチーの意見を大幅に取り入れることで録音することが決定した。その録音はそれまでのロック・サウンドにない斬新的なものだった。ラテン・ビートとロックの融合は彼の手によって初めて行われたのである』と記されている。

 (http://www2.tokai.or.jp/honeycomb/recos/v. html 『Honeycomb for Honeycomb++ Records The   Best of Ritchie Valens 』の解説より)

 同じ、マイノリティ集団を作品人物の主軸に据えた映画に、『ヒマラヤ杉に降る雪 (監督 スコット・ヒックス 1999/米)』がある。

 この映画は、日本軍が真珠湾攻撃をしてから9年目にあたる、まだ、反日感情が消え去らない時代の、アメリカ・ワシントン州北西部のピュージェット湾に浮かぶ小さな島、サン・ピエドロ島を舞台に、死亡事件の容疑にかけられた日系人とその妻、彼らを包む日系人と周囲の地域住民との確執、さらには容疑者の妻と幼なじみの白人記者、それぞれの思惑が絡み合って、裁判を通して物語が進行していくものである。

 その島には美しい苺畑が広がっていた。日系人たちはその苺畑で賃仕事をしていた。折しも太平洋戦争へ日米が突入し、それまで良好な関係であった日系人と周囲の地域住民との関係は、複雑化した。収容所へ送られる者が大半のなか、今回容疑にかけられた日系二世は、アメリカ人としてヨーロッパ戦線へ行き、アメリカ人としての義務を果たそうとする。まだ癒えぬ日本軍の真珠湾攻撃のショックや、戦争に勝ったとはいえ、まだ払拭できない日本人に対する不信感から、周囲(地域住民)も、戦前まで同じ文化を共有する隣人として受け入れた日系人に対して心の壁を作ってしまう。この映画を通して、日本人がなぜアメリカやブラジルを始め南米諸国に移り住み、彼らが第二次世界大戦をどう過ごしたのか?遠く離れた、しかし同じ日本人、しかも文化的には異なるものを持っている人たちに、筆者としては強い関心を抱かずにはおれない。

 他方、アメリカの外交姿勢が描かれた映画も数多い。最近では、キューバ危機(1962.10.16〜10.28)のことを描いた『13デイズ』(監督ロジャー・ドナルドソン、2000/米)。当時のジョン・F・ケネディ大統領とロバート・F・ケネディ司法長官兄弟とケネス・オドネル大統領補佐官を中心に、いかに、第三次世界大戦という危機を回避するか?ホワイトハウスを舞台に繰り広げられる手に汗握る政治の駆け引きに、観客は圧倒された。また、ソマリア内戦に介入した米軍および政府内部を描いた『ブラック・フォーク・ダウン』(監督リドリー・スコット、2001/米)。わけても中米エル・サルバドルに対するアメリカの外交姿勢、またその支援を受ける者と反発する者。その状況を見つめる一人の実在する記者が書いた著作を元にして描かれた映画 『サルバドル─遙かなる日々─』(監督オリバー・ストーン、1986/米)。この映画は、カーターからレーガンに大統領が変わる時期に、中米エル・サルバドルを舞台に、内戦が続く姿や人間模様を戦争カメラマンのレンズを通して見ていくものである。そこには、国際社会と世界の各地域にすむ人々の思惑の位相が見てとれる。

 またこの作品世界では、エル・サルバドルが「赤化」するのをおそれて、アメリカ政府が、何とか事態を収拾しようと軍事援助をする姿を描いているが、こうした情景は、阿部 齋、久保文明著『国際社会研究(1)ー現代アメリカの政治ー』(放送大学大学院テキスト)の中にも指摘されているように、アメリカが政治的に標榜する自由民主主義の“異質なイデオロギー(社会主義)への非寛容ぶり”をいみじくも象徴する好例であるといえるだろう。

 劇中にも、それを伺わせる台詞がある。「(ここでの戦闘は)単なる内線じゃない。共産勢力による侵略だ。」(軍事顧問団長)→「君らが認めたがらないだけで、農民による 正当な革命だ。」(主人公)/「読み書きのできない農民にとって、子供が飢えかかっている時、資本主義も共産主義もあるか?」(同)/「人民が苦しむ。アメリカも非難される。俺が体を張ってベトナムを取材したのは、金のためでなく国を信じていたからだ。いまでも信じている。憲法やあらゆる人民の人権を守るべきだと思っている。」(同)/「人民を第一に考えろ。アメリカ人として恥じない良識に基づいてここ(エル・サルバドル)を正義の国にする努力をしろよ。」(同)→「もちろんそれが国策でもある。“良心の呵責は?”とよくきかれる。そのことについていつも考えるよ。」(CIA局員)/「我々が過ちを犯しても、赤化するよりはマシだよ」(同)と主人公と、政府・軍部関係者のそれぞれの立場を鮮明に反映している。

 こうした相異なった立場が対立し、相異なった意識が交錯する様子を見ていると、アメリカ建国以来、各国からの移民を見守ってきた自由の女神が、自国のみならず地球全体をその“たいまつ”であまねく照らさんことを祈るばかりである。

 以上、アメリカ映画の中には、単に娯楽を追いかけたような商業主義的な作品だけではなくて、このように、「社会派」といわれる映画も数多くある。後者の映画作品などを通してアメリカスの歴史・社会・文化などを知るきっかけにしている私にとって、まさに知的世界への見識が広がる思いである。

 もちろん、日本にまだ入ってくることの少ない中南米の映画も、いずれ機会を得て鑑賞してみたい。

  (加藤康人・天理大学附属天理参考館主事)