Scenery   

文学の中のアメリカ生活誌(32)

Barn and Barnstorming(納屋と地方回り)barnは古代英語bere(大麦)+ern(倉庫)からきた言葉である。イギリスの納屋は穀物を貯蔵する建物を指すが、アメリカでは日々の暮らしに忙しかった植民地時代の開拓民たちが穀物と干し草用の小屋に馬や牛をいっしょに入れたので、今でもこの語は家畜小屋という意味で使われている。換言すればhorse barn(馬小屋、1854年の言葉)やcow barn(牛小屋、1855年)はアメリカだけでしか使われない言葉である。アメリカでは "closing the barn door after the horse has been stolen"(馬が盗まれてから馬小屋の戸を閉める、即ち後のまつり)と言うが、イギリスではこの意味では "closing the stable door"を使う。19世紀後半になると、アメリカの都市にある納屋には家畜だけでなく、市電が置かれるようになった。このようなbarnはcarbarn(車庫、1860年代の言葉)という新たな名で呼ばれた。J. Hector St. John de CrervecoeurがLetters from an American Farmer (1782)で描いてみせたように、アメリカの納屋は穀物置場と家畜小屋を兼ねていたので、「とても大きかった」。その連想から“You could't hit the side of a barn”(「射撃が下手だ」)という自称射撃の名人に対する非礼な表現が生まれた。

 19世紀になっても、田舎で暮らす人々にとって重要なものは、助け合いの仕事だった。彼等の協同作業のなかで最も印象的な儀式はbarn raising(納屋の棟上げ、1856年頃の言葉)である。もし村人のだれかが納屋を建てるとすると、隣近所の男たちがその家に集い、角材を切り、削り、穴をあけ、地面で他の角材と組み合わせ枠を作り、pikeとよばれた長い棒で棟上げをするのが習わしだった。その作業が終わると、彼等は飲み、食べ、語り合った。完成した納屋にはペンキを塗らなかった。その理由は建築材の松の木や樫の木にペンキを塗ると、すぐ腐ってしまうからだ。したがって、weather-beaten barn(風雨でいたんだ納屋)は当時のアメリカではすでに通用していた。アメリカに移住してくる人数が急増する18世紀中頃になると、納屋の建築に乾燥木材が主流になったが、その頃でも納屋にペンキを塗るとそれだけで思い上がっているときめつけられた。red barn(赤い納屋)というような表現がでてくるのは、18世紀後半になってからだ。作家 Sinclar Lewis のLand (1931)から例を挙げる。「早朝のあかりの中で、かえでと毒にんじんのはえている山のいただきにもまして輝いて見えるのは、赤い納屋のある高地開拓地だった」。協同作業という点では、納屋の中で行われた女性たちのとうもろこしやりんごの皮むき作業も同じだった。ニューイングランドでは、そのような作業は必ずダンスでしめくくられたので、納屋は単に助け合いの場だけでなく、男女が親しくなれる場であった。

 最初はbarnstormingという言葉は1815年にニューヨーク州アルバニーから西部に向かって旅を続けていたSamuel Darake率いる旅役者の一座を指すのに用いられた。彼等は寝泊りする納屋を舞台にしてメロドラマや笑劇を演じて見せ、西部の人々を喜ばせた。1890年代になると、この言葉は主として地方を遊説する政治家を指した。そして1915年頃から、10ドルで農夫たちに10分間の遊覧飛行の楽しみを提供する曲芸パイロットを表す語として用いられようになった。パイロットは農家の土地を着陸場代わりに、納屋を格納庫として使った。夜になると格納庫の中の飛行機のそばで眠ることもあった。 

Senior Citizen and Teenager(年配者と10代の若者)アメリカでは退職年令を過ぎた高齢者は一般に敬意をもって扱われているが、老人に関するそしりの言葉もかなりある。例えば1756年にできたold coger(偏屈者)やold cock(おやじ、1835年)やold duffer(ぼけたじじい、1875年)といった言葉である。old foggyという語が初めて使われたのは1830年代だが、当時の意味は考えの古い人でなく、気が短い老人だった。新しい考えを認めない人を指すback numberが生まれたのは1882年のこと、1900年代にはold fuddy-duddy(頭の古いじじい)が生まれた。前記のように、19世紀にアメリカで生まれた老人についての言葉が、どれもこれもこの類のネガティブな響を持つものでなかったことはいうまでもない。old boy (年配の男)、old girl(年配の女性)といった年配の人に対する親愛をこめた表現は1840年代から、old-timer(古参)は南北戦争時代から使われている。

 1900年にはアメリカ人の平均寿命は45歳だった。1950年にはそれが70歳近くになった。アメリカの人口は2倍になったが、60歳以上の数は4倍になり、全人口の8%を占めるようになっていた。高齢者の人口が急増した1950年代から senior citizen(この語そのものは1938年にTime誌が使ったのが最初)という婉曲表現が広く使われるようになった。そして間もなく、高齢のため第一線から身を引く、所謂retirement(退職)という語が社会一般で使われるようになった。1920年には64歳以上の人の3分の2はまだ現役であったけれども、1950年にはそうした高齢者は25%以下になった。このような大量の退職が可能になった理由は、1920年代に組合加入、1935年に失業保険や社会医療などの社会保障制度、戦後には企業年金が導入されたからだ。1950年代には、史上初めて何百万人ものアメリカ人が定年に達した。retiree(退職者)という語が復活したのもこの頃だ。

 戦後開発された単一家族用の安価な郊外住宅と消費優先の新しい生活様式は、それまでの家族の形態、すなわち親夫婦と子夫婦が一つ家に一緒に住んでいた、所謂extended family(大家族)を消滅させる一因となった。一方、退職年金で暮らす高齢者が集まって生活するretirement village(退職者用村)とかお年寄りに幸福に余生を過ごしてもらう目的で建てられたapartment for seniors(高齢者用アパート)という新現象がニュースに溢れ、論争の的になった。

 teen-ager(ティーンエイジャー)はteenage(13歳から19歳までの人を指す形容詞、1921年の言葉)から造られたアメリカ英語で、10代の若者、特に15歳から19歳までの高校生のことである。ティーンエイジャーは昔からどこの国にもいた。だが、以前はそれほど目立たなかった存在とみえて、teen-agerという言い方がアメリカで最初に活字に現われるのは1941年になってからだ。次は Popular Science Monthly (1941)から。「ティーンエイジャーがこれほど真面目になりえるとは思わなかった」。1945年以降になると、彼等は価値観や服装や言葉使いなどの点で、多くの年配者が眉をひそめる存在になってきた。Revel Without a Cause (1955)といった映画に登場する身勝手な行動をくり返し、親に反抗する中流家庭の息子やJ. D. Salingerの小説The Catcher in the Rye(1951)の中の大人の世界に反抗する思春期のHoldenはその典型的な例である。例文はJohn Steinbeck のTravels with Charley (1962)から。「私がそういうのは、初めて悪さをもくろんだテイーンエイジャーのように、新入りが自分がそれを考えたと思わないようにするためだ」。

                      (新井正一郎)