Scenery           

文学の中のアメリカ生活誌(31)

Cider, Rum and Whiskey(リンゴ酒、ラム酒とウイスキー)Mark Twain のThe Professor's Yearn(1883)の中に次のような一文がある。「彼はシャンペンの山を前にして、もうすでにその効き目を表わしているのだ。彼はそれをサイダーと呼んで、ほめ、この味をあぼえたからには、たとえそれがウオッカだといったっておれは飲むぞ」。アメリカにやってきた清教徒移民は当座の種まき用の穀物といっしょに、イギリスからリンゴの種と切り枝を持参した。リンゴは穀物と違い、ニューイングランドの荒涼とした土地によく耐えることができたので、実を結ぶようになった。1630年頃には、彼等はそれを生のまま、あるいはリンゴ酒にして料理に使っていたと思われる。この頃ニュージャージーにきたスエーデンの植物学者Peter Calmが「これほどおいしいリンゴ酒はどこでも味わったことがない」としるしているからだ。甘口のリンゴ酒は初期のアメリカ人にとって重要な飲み物だった。発酵されたリンゴ酒はapplejack (アップルジャック、1816年の言葉)とか Jersey lightening(ジヤージー稲妻、1698年の言葉)と呼ばれたが、禁酒家で知られていたThomas Jeffersonの食卓にはいつも多くのワインとリンゴ酒が並んでいたことを考えると、それはアルコールの多い飲み物ではなかったようだ。

 18世紀になると、ラムが急速にアメリカ人の間で人気を博した酒となった。元々これはスペイン人が西インド諸島を征服し、さとうきびを栽培した頃にカリブ海の島々で造られていた酒だった。1639年には初期のアメリカ人はラムを指す言葉として、西インド諸島の呼び名Kill-Devil(悪魔ころし)を使っていた。ほどなく、ニューイングランドの商人は西インド諸島から糖密と砂糖を輸入して、これを蒸留して自分たちでつくったラム酒をアフリカ西海岸へ輸出するようになった。ニューイングランドの船はそこで交換した奴隷を黒人奴隷を必要としていた西インド諸島で売り、糖密と砂糖とを仕入れてニューイングランドに戻った。つまりニューイングランドの商人たちは三角貿易で商業的繁栄を拡大していったのである。このニューイングランドで製造されたラム酒はYankee rum (ヤンキーのラム)とかsink-a-busと呼ばれた。これを朝食時に一口飲むことは、当時の南部で猛威をふるっていたマラリアの予防薬になると考えられていた。 その後、フレンチ・インデイアン戦争で勝利を得たものの、莫大な戦費に頭を悩ませていたイギリス議会はその対策として、新たな戦後法案を次々に可決していった。その最初のものは1764年の砂糖条例であった。これは西インド諸島から砂糖を輸入し、ラム酒を製造していたニューイングランドのラム醸造所を窮地に追い込む結果になった。幸いなことに1722年には、多くのスコットランド系アイルランド人が新大陸に到着し、大部分がペンシルベニア州のシェナンドウア流域に定住した。彼等は本国で長いあいだケルト族と接触していたので、ライ麦を発酵してusquebaugh(ケルト語、「生命の泉」の意)の製造法を知っていた。余談だが、このケルト語のusquebaughはまもなくwhiskybae(ウイスキーボー)と発音され、その後whiskeyとなった。eをいれたwhiskeyはアメリカとアイルランドでのつづりである。ところでペンシルベニアのスコットランド系アイルランド人は、祖国での習慣を保持しライ麦を原料とするウイスキーをつくるようになった。その後、彼等はライ麦不足からとうもろこしを用いて製造したのだが、これがウイスキーに独特の味と香りを与えることに気づいた。かくして生まれたのがアメリカ産の強水、バーボンウイスキーである。           

 

nickname(愛称、あだ名)この言葉は「追加の名前」を意味で14世紀のイギリスで使

われていたekenameからきている。当初この語の前に不定冠詞anをつけ、an ekenameというように用いられた。ところが15世紀になると、冠詞anのnはekenameの一部分だ( a neckname )とみなされただけでなく、見当違いな発音が充てられ、1440年の頃には今のa nicknameという綴りの単語が生まれた。写実的なあだ名は実は昔からたくさんある。10世紀のフランス国王Charles が Charles the Bald(はげのチャールズ)とかCharles the Fat(太っちょチャールズ)と呼ばれたことは人々の知るところだ。初期のアメリカでもこのような描写的にうまい通称が盛んに用いられた。それは、一つには増加する開拓民には多くの同姓同名の人がいたせいだが、もう一つはアメリカで尊重されるのがヨーロッパと違い、家柄でなく、有用な技能(何ができるか)であったためだ。東部にはWood-chopper Joe(木こりのジョー)が、西部にはGold Dust Petes(砂金のピート)や Christmas Tree Murphy(クリスマスツリーのマーフィー、Murphyという男がクリスマスツリーで熊をやっつけたことから)といった愛称がよく聞かれた。言いかえれば、当時のあだ名はその人の職業や出身地、あるいは英雄的な行為に因んでつけられることが多かった。

 しかし、1880年代にはいると大きな変化が起こった。すなわち、あだ名はそれまでのように職業や出身地などでなく、ただ外観や目立つ身体的特徴---体重、身長、頭髪、年齢---だけにからめて作られたのである。今や人間の本質より外観が重要になったといっても過言でない。この100年間に現われたこの種のありふれたあだ名に Fatty (おでぶさん)やFats(肥満)がある。ともに1825年から登場する言葉だ。1880年代後半のカーボーイたちがよく用いていたあだ名は Slim (ほっそりした)とShort(ちび)だ。髪に関するあだ名が一般的になるのは1880年代後半、また年齢にちなんだ言葉が誕生するのは1880年代半ばで、Red(赤毛)やBaldy(はげた)、Pop(とうちゃん)などはその一例だ。次は作家John SteinbeckのTravels with Charleyからの一文だ。「私はシンクレア・ルイスとあまりつきあいがなかった。赤毛からレッドとあだ名され、さわがれた時代のことは知らない」。1910年には、「男の子」を指すあだ名がでてくる。Sonny(ぼうや)やBabe(赤ん坊)等だ。

 このような一般人の短い、ありふれたあだ名のほかに、長い、ユニークなあだ名も次々と考えだされた。それは通例有名な政治家や将軍によく見受けられる。以下はその例。the Father of HIs Country(建国の父)はランカスターのFrancis Bailyが発行した1778年の暦のなかで、初代大統領 George Washington に用いられた最初のあだ名だ。Washingtonには他のあだ名もあった。彼の信念は建築物や硬貨のデザインにはっきりあらわれているように、新しい国を古代ギリシャやローマのような自由で気品ある国家にすることであったので、彼は時にthe American Cincinatus(アメリカのシンシネイタス)とあだ名された。5世紀のローマの伝説的人物であるCincinatusと同じように、彼もアメリカの危急(独立戦争)時、故郷のマウント・ヴァーノンの農園を出て、軍人になり国家のために尽くしたからだ。第16大統領 Abraham Lincoln が1858年からHonest Abe(正直なエイブ)と呼ばれていることはよく知られているが、1859年には彼が自分で割った丸太を故郷のイリノイ州議会に献じたことにちなんでthe Rail Splitter(横材割り)とあだ名されたことがあった。文学界ではErnest Hemingwayがその強い個性でpapaという愛称で慕われていたことは広く知られている。     

(新井正一郎)