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「後家地」としてのアメリカス

                                 八 木 敏 雄

 さすがに、ちかごろでは「1492年にコロンブスが新大陸を発見して以来ノ...」というような文章にはお目にかからなくなった。コロンブスが「発見」するまでもなく、南北アメリカ大陸は、太古のむかしからそこにあったこと、逆に、もともとそこに住んでいたアメリカ人こそが、そのときはじめてヨーロッパ人を「発見」したとも言えそうだ、という単純素朴な事実にわれわれが目覚めはじめたからだ。しかし、つい五十年ほどまえまでは、アメリカ大陸を征服さるべき「処女地」、文明化さるべき「無人の荒野」とみなす言説がまかり通っていたのである。なんとファンタスティックなことであろうか。

 ヘンリー・ナッシュ・スミスは、1950年、『処女地』と題する本を世に問い、ひろく受け入れられた。その「エピローグ」には、「本書の意図は、フロンティアの向こうの 無人の大陸としての西部 がアメリカ人の意識にあたえた衝撃をあとづけること」(強調八木・以下同)とある。「西部」には人間はいなかったのか。ペリー・ミラーは名著の誉れ高い『荒野への使命』(1956年)の序で、西欧によるアメリカ大陸侵略と征服の歴史を「アメリカという 無人の荒野 にヨーロッパ文化が流入していく壮大な物語」と呼んでいる。アメリカの「荒野」にも、やはり人間はいなかったのか。

 むろん,そんなはずはない。1492年という時点では南北アメリカには、それぞれほぼ1000万の本来のアメリカ人、いわゆるインディアン/インディオが生きていたとされる。その後、侵略者白人の武器と疫病のおかげでネイティヴ・アメリカンズの人口は一世紀に90%という猛烈な逓減率で減少していった。1620年にアングロ・サクソンの一群がコッド岬周辺に到達してプリマス植民地をつくったときには、その数年まえに白人がもたらした天然痘の大流行でインディアンの人口は10分の1に大激減していたとはいえ、その周辺にはまだ六、七万の先住民がいたとされる。当たり前のことだが,その時点で白人は絶対少数派であり、1630年にマサチューセッツ植民地がつくられたときにもそうだったが、1675年から76年にかけてのフィリプ王戦争が終結した時点では、あの周辺ではインディアンは絶対的少数派になっていた。

 事実として、どの時点にせよ、ヨーロッパ人が侵入していった南北アメリカ大陸のいずれの場所にも先住のアメリカ人たちがかなり稠密にすんでいたのであり、その土地が無人の荒野や処女地であったことはなかった。しかし「処女地」であるほうが、「無人」であるほうが、侵略者にしてみれば好都合であったことはまちがいない。だから、ピルグリムの指導者のひとりウィリアム・ブラッドフォードなども、まだ彼らがオランダのライデンで「新大陸」にわたる心の準備をしている段階での『プリマスの歴史―1620-1647』の記述に次のようなくだりがある。

 彼らが行くことを考えていた場所は肥沃で、居住に適した、アメ リカの広大なる 無人の土地 であった。そこには文明人はまったく住 んでおらず、いるのは、その地を徘徊いする野獣と大差ない 野蛮人と野人 だけである。

 ここでブラッドフォードはインディアンを「人間」でなくカテゴライズすることによって、アメリカ大陸を無人の「荒野」ないし「処女地」にし、自分たちの「移住」の正当化をはかっているわけだが、このピューリタンにしてもインディアンがやはり人間であることは心のどこかで承知しており,自分たちの下心や欺瞞にもうすうす気づいている。うすうす気づいていながら、その気づいていることを自分自身にも隠しておこうとする精神の働きのことを「無意識」とよぶなら、インディアンは白人がアメリカに到着してから今日にいたるまで、かれらの「無意識」でありつづけて消滅することはなかった。だが「無意識」について厄介なことは、自己にまつわる真実や欺瞞に目下のところ明確に気づいてはいないが、いつかは気づくことになる、あるいは気づかされることなるだろうということにもうすうす気づいているような精神の抑圧機構であるところにある。だから、その抑圧をもっと完璧にするために、ブラッドフォードの『歴史』ではインディアンを「人食い人種」に仕立て上げてさえいる。

 中南米大陸の征服のために、コロンブスもおなじような正当化をこころみているようにおもわれる―もちろん、上に述べたような意味での「無意識」で。コロンブスは西インド諸島のひとつに到着早々、島の住民からもっと南に島にすんでいるのはカリブという一つ目の人食い人種だと教えられ、真にうけている。このカリブがほんとに人肉をたべるかどうかは問題ではない。カリブをカニバルと規定して非人間化すること、絶対的「他者」とすることが「新大陸」の領有にとって肝心だったのである。かくしてコロンブスもまたインディオたちを非人間化し、ひいては中南米大陸を文明化さるべき無人の「処女地」と化したのである。トドロフはその『アメリカの征服』(1982年)で「コロンブスはアメリカを発見したが、アメリカ人を発見しなかった」と言っているが、けだし名言である。ここで「アメリカ人」とはむろん本来そこに住んでいた人たちのこと。

 南北アメリカ大陸とは、西欧人が勝手な理屈や使命を発明してやってきて、先住の「アメリカ人」を疫病や殺戮によって抹殺して「荒野」にしたうえで居座った土地であって、その意味でアメリカ大陸は「処女地」(virgin land) どころか「後家地」(widowed land) だ、という卓抜な指摘をするフランシス・ジェニングスの『アメリカの侵略』(1975年)というような、アメリカ合衆国という国民国家成立の過程を侵略の過程とみる本もでてきて、(ジェームズ・アックステルの『内なる侵略』[1985年] という本もある)、さすがにもうアメリカ大陸について、「処女地」だの「無人の荒野」などというメタファーはつかえなっくなってきた。それというのも、D. H. ロレンスが例の『アメリカ古典文学研究』(1922年)でした、「アメリカ大陸の地の霊が真の猛威を発揮するのは、その本来の住民が死滅してからだ」という主旨の予言が、そろそそろ成就する時期にさしかかっているからではなかろうか。いまこそアメリカスの「地の霊」に耳をかすべきときだ。        

(成城大学文芸学部教授)