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ホセ・ルベン・ロメロ著『ピト・ペレスの自堕落な人生』を読む

 この小説はサンタ・クララの教会鐘楼で主人公ピト・ペレスが、酒と交換に作者自身とも思える詩人にさまざまな突飛な身の上話を直接にするところから始まる。彼はみすぼらしい身なりに加えて、顔も青白くやせこけている男だが、注目すべきは彼のザンバラ髪にのっかっている古い麦ワラ帽が彼の顔を「聖像の後光を思わせる. . . 黄金色にひきたたせていた」という描写だ。つまり作者はキリスト教芸術では聖家族と聖人だけにかぎられている聖別のしるしを、こののんだくれの男に与えているのだ。

 時は20世紀の初め、ところは彼の生まれ育った村サンタ・タララ・コプレ。ピト(笛)・ペレスの愛称を持つ貧しい家の少年ヘスス・ペレス・ガオナは退屈な暮らしに我慢できず、ある木曜日の夕方家を飛び出すことを決意する。作者によれば家出の目的は「故郷に錦を飾る」ことにあった。前途に明るい希望があるので、彼には丘の上にたって眺めた外の世界へ通じる白っぽい村の道は「神秘に満ち」ていると映る。外の未知の世界をひたすらめざそうとする彼の志向を表わしている例は、ほかにもある。故郷の村から6キロしか離れていないところで、彼はそのわずかな地理的な隔たりをいいことに、「偉大な征服者にも匹敵する手柄をたてたような気分だった」と言う。ところが希望と輝きをかきたててくれるように思えた世界で体験した数々の職場は、彼の期待と違い偽善、腐敗、言論統制といったものばかりであることを知る。彼はそうした社会の悪と不正を批判するけれども、結局転職、飲酒、放浪を繰り返えさざるをえなくなってしまう。言い換えると、信じて疑わなかった別世界(近代都市)からの度重なる反撃を受けたことで、彼の肥大した夢想は次第に崩壊し、果ては彼は「ようし、こうなりゃ、俺はトコトン悪で通してやる」と絶望にかられて叫ぶのだ。物語の最後は、自分の周囲の世界から孤立してしまった彼が全人類にあてた恨み、辛みの遺書を残し、故郷から遠く離れた州都モレリアのゴミ捨て場で非業の死を遂げる、つまり都市の生贄になる場面で終わる。こうして見ると、この小説は「カーネーションのような太陽」が輝く郷里では、木にとまっている鳥たちに手製の葦笛の音を聞かせてやろうと夢見ていた一人の少年の自然な心を絶望へと変質させ、最後は押しつぶしてしまう近代都市の非人間性(破壊力)に対する警鐘だということができよう。

 初めにも記したが、ピト・ペレスの姿に聖者を暗示するイメージが与えられている。彼はただの田舎の少年ではないのだ。何故かというと彼は対象の中に入り、そのものになりきるという神秘性を現わすからだ。例えば、彼はこう語る。「あるときなんか、俺は、樹木になっちまったんだ。つまり両足が根っこで両脚が幹で、その. . .固い樹皮をいろんな大きさのアリがはい上がってやがるんだ」。更にこうつづける。「. . .官能的な音を立てる絹の生地に俺が少しずつ変身していく気がしたんだ」。訳者が解説で述べているように、行為や生涯の点で、彼の姿には真理を説いたのに、人々は応えてくれなかっただけでなく、最後は最も惨めとされる磔刑に処されたキリストに通じるものがある。とすると、この小説は神秘的なもの(宗教的なもの)を拒絶する近代都市に対して警告を発しているとも読みとれはしないか。解説のほか、巻末資料として多くの『ピト・ペレスの自堕落な人生』のリストも付いている。本学アメリカス学会副会長片倉充造教授訳(行路社)            

(新井正一郎)