Monologue in New York

ベビーシャワーの勧め

 

 私の働いている会社では女性が半分を占める。この世の半分は男性で半分は女性なので当然といえば当然のことなのだが、あたりまえのようにたくさんの女性がフルタイムの職についている。

 通勤バスの中でも、パシッとビジネススーツに身を固めた女性が、Parent Journal やMotherhood などのお母さん雑誌を眺めているのもよく見る光景だ。

 アメリカでは、皆さんご存知のとおり、女性の社会進出は目覚ましく、一般事務のみならず、以前なら男性の領域だと思われていたバスやタクシーの運転手、警察官、またケーブルや電気の配線工事など、ありとあらゆる職場に女性が見かけられるようになった。

 ここでは、例えば私と同じチームにいるテリーサ。彼女は、ただ今妊娠8ヶ月で、大きなおなかを抱えてやってくる。通勤はダーリンの送り迎えだが、それにしても、雨の日も雪の日もやってくる。彼女に4歳になる男の子がいて、このやんちゃ坊主の世話をしながら、この体で仕事を続けることは、大変に違いない。時折、気分が悪いとか「あ、蹴られた」とかいいながらも、今までどおり、バリバリ仕事をこなす姿は、全く尊敬に価する。長男の出産の時には、予定日の一週間前まで仕事をし、産んで翌日には退院し、2ヶ月後には職場に復帰していたという。

 キャリアも積みたい、夫も欲しい、子供も欲しい。何ひとつあきらめることなく、ものすごいバイタリティーで、全てにおいて、最善を尽くす。そういう欲ばり人生を生きているのはテリーサだけではない。アメリカには、そうした、社会人として家庭人として、がんばっている女性がとても多いのだ。

 アメリカの基本的な考え方に、人間として一生働くのはあたりまえ、というのがある。結婚したことによって、仕事に支障をきたすことはないし、子供ができた後もフルタイムの責任の重い仕事を続ける。もちろん、それには夫の協力が不可欠で、それぞれの家庭環境もあるだろう。

 そうした働くお母さんたちをサポートするシステムもこちらでは準備されていて、生まれたばかりの赤ちゃんを預かってくれるベビーシッターや託児所等の施設も整っている。こうした受け皿の完備がバックグラウンドにあることはいうまでもない。

 またもう一つは、男は表に出て働く人、女は家にいる人、と考えている夫婦ばかりではないということが日本と違うところ。昔からの形式にとらわれず、夫が家の中のことを担当し、妻が一家の経済を支える家庭も少なからず存在する。どちらかできる方がやればいい、というフレキシブルな考えである。こういった事情も女性進出の一因であろう。

 家庭を持つ女性を雇う会社側にもかなり理解があり、勤務時間にも融通がきき、必ずしも定時に会社の机に向かっている必要はなく、自宅のコンピュータで子供の様子を見ながら仕事をする“お持ち帰り”もある程度認められている。産休の数カ月後もとのポジションに戻ることも法で保障されている。

 さてわが職場では、来週金曜日に前述のテリーサともう一人の妊婦さんエロディー(予定日はテリーサの二週間前)の二人のための「ベビーシャワー」が予定されている。この二人以外の全社員に招待状が配られ、午後2時に会議室に集合し、彼女たちの安産を願うパーティーを行うのだ。一般的には、出産予定の母親に友人たちが贈り物をする集いだが、ベビーシャワーは「本人にはびっくり」(サプライズ)であることがお約束だ。会社生活のちょっとした楽しい彩りである。

(布川栄美)