Monologue in New York

Anything Goes!

 アメリカの会社に就職をした。毎週日曜日にニューヨーク・タイムズ紙の求人欄を目を皿のようにしてチェックし、面接におもむくこと数十回。過去、ニューヨークでデザインの仕事をしてはいたが、日系の会社なので現地の会社にはなんのコネクションもない。これまでに作った作品をもって会社をまわる。私の場合、外国人である上に、市民権や永住権をもたず、就労ビザを申請する必要があるため、会社のスポンサーシップが必要となり、採用はとても困難である。二次試験まで進み、細かな条件まで出しておきながら、最後の段階でビザのために話が流れたことも何度かあり、あきらめかけたこともあった。

 「一年で帰ってくるね」と親をだまくらかして日本を出てはや8年、サンフランシスコの美術大学 Academy of Art College を卒業、ニューヨークに上京し、日系のデザイン会社で仕事をしてきた。おおかたの仕事の基本、流れがつかめるようになり、さらに大きな舞台で力試しをしたくなり、アメリカの会社でがんばってみようと決心した。日系の会社にいる限り、小さなマンハッタンの、さらに小さな日本人コミュニティーを相手にした仕事に終始するばかり。もっと大きなマーケットをターゲットにした全国的な仕事がしたいと思いたち、始めた就職活動だった。

 面接のその日のうちに自宅に電話があり、採用が決定した。二度目の訪問の時には社内を挨拶まわりさせられるという、すごいスピードで全てが決まった。何でもうまくいく時はうまくいくものだ。問題のビザの件に関しては、ほとんど知識がないらしく、「ビザ?マスター?」というぼけた反応で、それをいいことに、自らでさっさと手続きをすまし、ビザを取得した。

 FADAという会社は時計のメーカーで、例えばKenneth ColeやLaura Ashley などのブランドライセンスのもとに時計を製造している。そこで、広告、パッケージ、ディスプレー、カタログ等のデザインを考えるArt Department という部所に採用された。主に Mac を使ってデザインを仕上げる仕事だ。肩書はGraphic Design Illustrator。

メWelcome aboard!モ

 聞き慣れないこの言葉に迎えられて初日はスタートした。何だか乗り物にでも乗るみたいだなと思いながら、まあ会社というのも沈む時は皆一緒にというようなところ、ひとつの船に乗っているようなものかな、と思ったりして、なんかおかしい。ほくそ笑む。

 社員は約200人、日本人は私ひとり、他は皆アメリカ人だ。しかし、一口にアメリカ人といっても実に多種多様。とくにここはニューヨーク市、人種のるつぼである。白人、黒人、ヒスパニック、アジア系。そしてここは時計の会社なのでユダヤ人経営であることもあり、ユダヤ人がとても多い。時計やジュエリー関係はほとんどユダヤ人が仕切っているという。

 皆それぞれのバックグラウンドを背負っている。外国から来た一世、二世も多い。ニューヨーク・アクセント、カリフォルニア・アクセント、はたまた細かくもブルックリン・アクセント、ニュージャージー・アクセントといろいろ混在するどさくさにまぎれて、関西弁イングリッシュであつかましくがんばっている。ここでは何が標準で何が特殊なのかわからない部分がある。要は「Anything goes なのね。」と、それなりにこういう状況を面白がっている今日この頃である。      

(布川栄美)