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アメリカの情報通信革命

                 公 文 俊 平

 アメリカの情報通信革命は、1990年代の後半あたりから、第三段階に入りつつあるように見える。

 1960年代に立ち上がったその第一段階は、メーンフレーム・コンピューターを中心に、そのまわりを低機能の「ダム・ターミナル」が電話線を介して取り巻くTSS (Time-sharing System) によって主導された。1980年代には、その「ダウンサイジング」が起こり、ワークステーションやパソコンが普及していった。最初はスタンドアロンで利用されていたパソコンは、しだいにワークステーションをサーバーとしてそれにクライエントとして接続する、クライエント/サーバー・ネットワークに組み込まれていった。これが第二段階だが、この第二段階では同時に、無数のマイクロコンピューターが、建物や機械類のいたるところに埋め込まれて、その作動を監視・制御するようになった。

 そしてこれから2000年代にかけて、情報通信革命はいよいよその第三段階に歩みいろうとしている。第三段階の最初のきっかけは、1992年に行われたインターネットの民営化と、「インターネット元年」と呼ばれる1995年に見られた米国の産業界によるその認知であった。

 この第三段階は、二つの顕著な特徴をもっている。

 その第一は、コンピューターのネットワーク(データ通信ネットワーク)と既存の電話や放送のネットワークとが、共通のプロトコル(IPプロトコル)によって統合された「IPネットワーク」の台頭である。そう遠くない将来に、既存の電話や放送のネットワークは、IPネットワークに吸収されてしまうだろう。そのときには、電話が通信のトラフィックに占める比重は微々たるものになり、電話のサービスはデータ通信の「おまけ」として、事実上無料で提供されるようになるだろう。また個人や企業が運営する無数の「インターネット放送局」が世界中に出現し、商業放送の占める比重もごく小さなものになるだろう。いいかえれば、ネットワーク上を流れる「情報コンテント」の圧倒的な部分は、放送であれ出版であれ、プロの制作者ではない人々によって、無料で供給されるようになるだろう。現在のインターネットのウェブ・サイトが動画像の提供も含めたより強力な発信機能を、だれでも利用できる手軽な形でもつようになり、だれでもがごくわずかな費用でそこに高速でアクセスできるようになる状態を想像してみていただきたい。

 その第二は、「ウェブ・コンピューティング」の普及である。さまざまな形で機能が特化し使いやすくなった情報通信機器(とりわけ各種のモバイル機器)が、それぞれ固有の「アドレス」をもって、IPネットワークに常時接続されるようになるだろう。これらの機器はIPプロトコルに準拠した通信を行うようになるのだが、ユーザーとの関係では、そのすべてがワールドワイド・ウェブという共通のプラットフォームの上で行われるようになるだろう。そこでは、かつてのようなメーンフレームとその端末、あるいはサーバーとクライエントといった固定的な役割分担は影をひそめ、それぞれの機器が必要に応じてその役割を交替したり、互いに対等な立場でコミュニケーションやコラボレーションを行うようになるだろう。

 この意味での情報通信革命の第三段階への移行が本格化し始めたのは、1997年の後半にいたって、新興の通信キャリアだけでなく既存の大手キャリアまでが、「IPネットワーク」の構築に向けていっせいに走り出した時だった。つまり情報通信のインフラがまず変化し始めたのである。同時に、インターネットのトラフィックに代表される広帯域のデータ通信への需要も、3カ月ごとに倍増するといわれるほどの目もくらむような速度で爆発的に増大し始めた。それまでの情報通信革命の展開の速度は、いわゆる「ムーアの法則」にいう18カ月で倍増というものだった。それが、この時以来、一年で二倍から三倍、さらには十倍といった速度に、一気に加速したのである。

 1998年に入ると、情報通信面でのインターネットの「主流化」が誰の目にも明らかになり、それを象徴する「ウェブ・コンピューティング」とか「ウェブ・ライフスタイル」といった言葉が生まれた。これは、情報通信のプラットフォームにも大きな変化が始まったことを意味する。

 同じ1998年には、米国の商務省が「デジタル経済の出現」という題のレポートを発表し、情報通信革命の進展が米国の経済のあり方自体を大きく変え始めたと主張した。それに伴って、電子商取引を推進するためのさまざまな新しいアプリケーションが登場するようになった。また、amazon.comやeBayに代表される電子ネットワークに基盤を置く新型の企業のめざましい台頭ぶりが投資家の注目を引き、資本市場での巨額の資金の調達が可能になった。これらの企業は、設備や在庫をほとんどもたないで操業している。しかもつぎつぎに拡張や買収を行い、収益は赤字にとどまっているものが多い。それでも市場は、その市場シェアの大きさや将来に向かっての成長の可能性を評価して、高い株価をつけるのである。

 その結果、1999年にいたって、20世紀のアメリカが生み出した二つの最も成功した制度が、いまやその生命を終えようとしているのではないかという見方が、急速に広がり始めている。その一つは、株価収益率を重視するアメリカの大企業経営である。老舗の証券会社のメリル・リンチや、書店最大手のバーンズ・アンド・ノーブルが、彗星のように登場したチャールズ・シュワブやアマゾン・コムに一敗地にまみれているのが現在の姿である。この現実の前に、既存の大企業はその存続をかけたビジネス・モデルの大転換を余儀なくされつつある。過去の成功が現在の困難をもたらしているのは、何も日本の経済や企業に限った話ではない。

 もう一つは、アメリカの高等教育である。ここでも、若者の教育から生涯学習へ、キャンパスに集まってくる学生を対象とした授業から、世界中の学生を相手にするオンライン教育へと、既存の高等教育のあり方がそれこそ音をたてて崩れ去り、新モデルへの転換が模索されている。高等教育の不振もまた、日本だけの現象ではないのである。違いがあるとすれば、対応にとまどってたちすくんでいる日本に対して、アメリカの企業や大学は必死の自己改革努力にすでに乗り出しているというところだろうか。

 しかし、ここでもう一つの興味深い状況がみえてくる。通信業界の巨人AT&Tの最近の瞠目すべき動きに典型的にみられるように、わき目もふらぬ自己改革の努力のおかげで、過去のBDC (Big Damn Company)は、いまや新しいBDC(Big Dot Com)として再生しつつあるという評価が生まれ、ウォールストリートもそれに好意的に反応している。ところがその一方で、既存大企業の反撃は、せっかく新しい方向に進んできた情報通信革命の流れを、一面で旧に引き戻す効果をもちかねないことが懸念されている。たとえば、CATV会社の大手をつぎつぎと買収して、同軸ケーブルを使ったインターネット高速アクセス・サービスやインターネット電話サービスの提供に全面的に乗り出したAT&Tは、自社の保有する同軸ケーブルの競争相手への開放を拒んでいる。電話線については、地域電話会社の保有する銅線の競争相手への開放が1996年の改定電気通信法によって義務づけられたのに、同軸ケーブルについては開放義務を課さないのは不公平だという声もあり、政治問題化しようとしているが、情勢がどう展開していくかは予断を許さない。インターネット自体の運営についても、大手企業による寡占化の動きが批判されている。

 1980年代の後半、世界のトップに立ったとおごった日本の製造業が結果として高転びに転んでしまったように、情報通信革命の新段階への移行の先頭を切っていると自負するアメリカが、2000年代に入って意外にその足をすくわれてしまわないとも限らない。コンピューターの2000年バグが引き起こす「西暦2000年問題」への対処の不手際が、その引き金を引く結果になる可能性もなくはないのである。

(国際大学グローコム教授)